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感情のない


 クレイスくんの撃退方法はいくらでもある。


 ある、けれど。それは驚かしたり不意をつくものが殆どなわけで、茂みの向こう側に居るリリィさんと小僧に気付かれてはいけないこの状況では打てる手がない。どれをとっても大きな音を立てることになってしまう。

 香水かシャンプーか分からないけれど柑橘の混じったような石鹸の良い匂いと、唇に当たる皮膚の感触に脳みそが茹で上がりそうだ。

 ……いや、気をしっかり持て。

 失踪したはずのリリィさんと、憎き小僧がこのような場所で何を成そうとしているのかしっかりと見届けなければ。逢引というには、小僧の様子が明らかにおかしい。


 リリィさんはその瞳に熱を宿して幸せそうに微笑んでいるけれど、小僧の方に表情がないのだ。

 彼女の頬を撫でる手も、額に落とす唇も、どの行為もまるで義務であるかのように無表情でこなしている。……好きな人が出来た今だから分かるけれど、もし自分があんな表情で恋人に接されたら立ち直れないだろう。

 けれど、リリィさんはそれに気付いている様子ではない。目の前の小僧が自分と同じ気持ちだと信じ、幸せいっぱいといった満ち足りた表情をしているのだ。


「……流石に内容までは聞こえないな」


 うん。そうだね。だから、私のお口も解放してほしい。噛んだろか、と思ったのだがそれでクレイスくんに大声を出されたら私達が居ることがバレてしまう。

 しばし捕縛されたままでいるしかないか、と諦めているとほどなくしてリリィさんと小僧は木々の中に消えていった。観察対象を失ったことで私の拘束も解かれたのだが、正直ふらふらである。

 好きな人に後ろから抱き締められるような状態になっていたうえ、そのおててに鼻息とかがかかっていないかとかそこに長い間ちゅーしちゃってたとかそんなことが頭の中でぐるぐるしているのが原因だ。

 木の陰に居て幸いである。力の抜けた身体を預けられる。


「ルル。疲れたか? 人通りのある場所までは無理だが……、背負うのと抱き上げるのと、どちらが良い」


 この疲れは主にきみが原因なんだが。おまけに、運んでくれようとしている?


「……あの。自分で歩けるんで」


 悪化するのでご遠慮したいところである。


「好きな子に大変な思いはさせられないだろう」


「…………」


 なんでこうかな。いや、もう約得だって開き直ってみようか。こんなに格好良い男の子に優しい言葉をかけてもらえる女子はそう多くはないはずだ。

 引き下がってくれるような子でもないし、せっかくだからお願いしてみよう。


「…………肩車」


「肩車、されたいか? 本当に」


 そう言って、私の言葉を待つこともなく横向きに持ち上げられた。

 横抱き──、つまりは、お姫様抱っこである。


「ルル」


「なんでしょう。重いですか?」


 おててにちゅーし続けるよりはマシだが、恥ずかしい。どうにもバランスが悪くて揺れるし、首に腕とか回したほうが良いのかもしれないけれど緊張しすぎて無理だ。腕の中で縮こまるしかない。だから、重いからというのが理由なら不本意ではあるが、降ろしてくれても構わない。


「重くはない。……王子というものに憧れがあるとは聞いたが、エール公爵家に混じる王家の血はもう薄い。それに、いくらお前のためでもこの平穏な治世を壊すようなことは……、王位簒奪は出来ない。すまない」


 何の話だ。相変わらず突拍子がない。

 

「なぜこの状況でそんな物騒な話をされているんでしょう。……あっ、前世の推しの話? あだ名ですよ。女の子なのに格好良すぎたから、まるで王子様みたいって表現されていただけで」


「…………女性、なら……、女装は、不可能ではないな」


「しなくて大丈夫です」


 ちょっと見てみたい気もしなくはないが。

 クレイスくんは私のためなら何でもしてやりたい、と言ってくれるのだがどうも方向性がズレている時がある。クレイスくんという人物自体がどこか盛大にズレた価値観を持っているので、今更ではあるのだけれども。

 でも、本当になんでもしてくれるつもりなんだなあ、と。愛されていると実感する。


「俺は……、あんな無機質な目でお前を見ない。表情に乏しいかもしれないが……出来ることはなんでもしてやるつもりだ。もしあいつと同じようだと感じられてしまうのなら、愛しているということを……もっと豊かに表現できるよう努力する」


「あ……、クレイスくんも気付いたんですね。小僧の様子」


「…………小僧」


 しまった。また口から出てしまった。ユリーシア様と違ってお説教をくらわせてくることは無いだろうが、品のない呼び方をしていることがバレてなんだか気まずい。いや、一番最初はきみのことも心の中で小僧って呼んでいたけどね。私も妖怪令嬢とか呼ばれたのだからおあいこだ。


「えっと、ですね。クレイスくんが私のこと大好きなのは、知ってますよ。うん。好きな人に優しくしてもらえて、私はとっても幸せです。だから……、気掛かりです。あの二人のこと。リリィさんにはお仕事を投げ出されたっていうのがあっても……、小僧が彼女の恋心につけ込んで弄んでいるなら許せませんし」


「……そこまで愚かでないことを祈ろう」


 弄んでいるのではないかもしれない。この世にはいろんなしがらみがある。

 例えばだが、リリィさんが実は貴族の隠し子で政略結婚の相手として引き合わされたとか、そんな事情なら小僧のことは責められないのだから。



 ──翌日。私は恐れ慄いていた。


 ユリーシア様の鉄拳が飛んだからだ。







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