人生の分岐点【クレイスSide】
あの日俺は恋に落ちた。
夕日を浴びてきらきら輝くあの笑顔に。
汗だくで息を切らす小さな令嬢を見てはしたないと陰口を叩く大人も居た。
彼女のあの姿に何人もの人間が強く焦がれてしまったことも知らないで。
──あの頃の俺は事故で両親を亡くしたばかりで、引き取られた先のエール公爵家になかなか馴染めずに居た。
従姉妹から義姉になったユリーシアは同い年だというのに気を遣ってよく遊びに誘ってくれたが、そんな気分にもなれず断ってばかりだった。だというのに嫌な顔ひとつせず翌日にはまた挨拶をして、遊びに誘ってくれる。
そんなユリーシアは同じ年数しか生きていないはずなのにとても大人に見えて、その手を取れない自分が酷く幼くて情けない存在のように思えて嫌だった。
おまけに彼女は努力家だった。俺のことを気にかけつつも己の淑女教育も手を抜かない。まだ幼いのにいつ寝ているんだ、と思うほど忙しなく過ごしていた。
そんな彼女の姿を見る度余計に俺の劣等感は増していき、けれど自ら何かに取り組むこともせず毎日を鬱々とした気持ちで過ごしていた。
そんな時だ。
気分転換に、とエール公爵夫人とユリーシアに連れられてグラシュー侯爵邸の茶会に参加したのは。
茶会というには些か大規模なそれは、グラシュー侯爵家のご令嬢が主催したとのことだった。
侯爵家の末っ子であるその彼女もまた同い年であると聞いて、卑屈な心はますます大きくなっていく。
ユリーシアもグラシュー侯爵令嬢も一生懸命何かに取り組んでいるのに自分は何も持っていない。悲しいのに何かをしようという気にもなれない。そんな自分をどんどん嫌いになっていく。
曇った気持ちで、曇った顔でただ眺めていたと思う。小上がりのステージに上がった彼女は斬新な音楽に合わせて聴いたことのない歌を歌い、見たことのないような動きで踊った。
軽快なリズムに心が少し軽くなった気がした。あまりにもストレートで明るい歌詞に『大丈夫だよ』と言われているような気がした。
ぼんやりと眺めていただけのはずなのに、いつの間にか夢中で食い入るように見つめていた。
彼女と目が合う。笑顔だ。可愛い。
ぱち、と片目を閉じて挨拶をしてくれた。
もう、その瞬間には完全に彼女に堕ちてしまったのだ。
その出し物が終わった後の大人達の評判は頗る悪く、かといって侯爵家相手に表立って文句など言える者は少なくひっそりと自身の子息子女に間違っても真似などしないようにと釘を刺すだけだった。
もう何人もが彼女の虜になってしまった後だったのだが、品行方正を演じることの得意な貴族子息たちは表面上はその言葉に頷いた。そうして、あの茶会は物の怪パーティーなどと呼ばれることとなる。
当時の彼女を真似をする者こそ居なかったが、今でも多数が彼女に焦がれている。
彼女に心酔する者の多くが見守りたいという気持ちの持ち主で、恋愛感情を向ける者が少ないのは幸いだった。
ライバルは少ないほうが良い。同い年の貴族ならばいつか学園で再会出来るはず。魅力的なあの子に見合うために、格好良い男にならなければいけない。
勘の良いユリーシアは俺の変化にすぐに気付いたらしい。あの日のあの子に心を奪われてしまったと話すと、貴方はもともと見目は良いのだから中身を磨きなさいとアドバイスをくれる。
距離のあった義姉だが、こんなにも味方になってくれる存在だったのかとすぐに懐いて『姉さん姉さん』とこちらから後を着いて回るようになった。
中身を磨け、というアドバイスだが。とりあえず俺は勉強をした。どちらが継ぐかわからない公爵家だが知識はあって困るものではないし、もし将来あの子が勉強が苦手だと言うなら教えてやれる。家に招くのもいい。たくさん話したい。けれどお喋りな男は嫌われるだろうか。もし次に同じような催しがあるならば伴奏にも名乗りを上げられるようにとピアノも習ったし、何かあった時に守ってあげられるように護身術の履修を終えると剣術も習った。
グラシュー侯爵家のルルシアといえばお転婆で有名らしいので、木登りが趣味のユリーシアとも話が合うだろう。ユリーシアとも仲良くしてほしい。
そんなユリーシアだが、入学後初の試験結果の発表では顔を顰めていた。
「クレイスが八位、ね……。貴方、私に気を遣って手を抜いたわね?」
公爵家実子のユリーシアの順位を抜かすのもと思って確かに手は抜いたが、首位を獲るであろう彼女の次席くらいには収まるつもりでいたのに加減を間違えた。上手く調整出来なかったのは自分の実力不足である。
「実力だ」
「貴方ねぇ……」
順位の確認も終えて教室に戻ろうとしたところ、振り向きざま斜め後方に居た女子が視界に映り込む。
亜麻色の髪に翡翠の瞳。今この瞬間にもなにか楽しいことはないかと探しているようないきいきとしたその表情。
「あら……あの子」
ユリーシアも気が付いたようだ。
「仲良くなってみせる」
「そう、応援してるわ」
此処に来るまでに、磨ける部分は限界まで磨いてきた。
そうして見つけたあの日の輝き。
必ずこちらを振り向かせてみせると誓ったのだった。




