後日譚:三十年後の王国
後日譚:三十年後の王国
「大人になるということ」
かつて四王が統べたこの国は、
今も王が存在している。
だが彼を“崇める”者はいない。
**“ああ、あの人がいてくれてよかった”**と、時折誰かが静かに言うだけだ。
「王は、皆の責を背負ってくれてる。しかも喜んで」
「だからこそ、俺たちも“背負う覚悟”を持たなきゃな」
この国では、「社会に出る」とは“技術や知識”を得ることではない。
“心構えを持つこと”が、その第一歩だった。
三つの心構え
1. 苦は、楽しみを見つけるチャンスだ
子どもが道具をうまく使えず泣いていたとき、
大人はそっと言う。
「できないってことは、できたときの喜びが増えるってことさ。
苦しいなら、どうやったら笑えるか考えてみよう」
苦しみを遠ざけず、“味わう方法”を探す。
それが、この国の文化となっていた。
2. めんどくさいは、喜んで立ち向かうチャンスだ
役所の手続きが面倒でも、
道具の準備が多くても、誰も文句を言わない。
「“めんどくさい”って、逆に“やったら目立てる”ことなんだよな」
「誰もやらないなら、俺が一番手になれるってことじゃん」
若者たちは、“めんどくさい”を
誇りに変える方法を自然に知っていた。
3. 「誰かがやるだろう」じゃなく、「それなら自分がやる」
街角のごみ、困っている観光客、雨漏りする公民館。
それを見た誰かがすぐ動く。
「あれ?誰かやらないの?」
「じゃあ、俺がやるか」
これが、この国で“大人”と見なされる最低条件だった。
学歴でも、経歴でもない。
**“責任の矢印を外に向けないこと”**が、大人の証だった。
王の背中
王は、いまだ王宮の奥に住まう。
だが、彼の映像は年に一度だけ配信される。
彼はただ言う。
「私は、国の責を背負います。
皆さんが、やりたいことに挑めるように。
やりたくないことから逃げられるように。
それでも国が回るように、私は仕組みを整え続けます」
そして必ず、こう締めくくる。
「あなたが“あなたであること”を、私は全力で守ります」
ラストメッセージ
この国の誰もが、
「王を信用しているから自分を甘やかす」のではなかった。
むしろ、
「あの人が責任を背負ってくれている。だから自分も、一つぐらいは支えを持とう」
そう思って、自分の行動を選んでいた。
最終文:心構えを持つ者たちの国
王が責任を喜んで負ってくれる。だから、私たちは“自分で選べる”。
大人とは、知識の量ではなく、心の矢印を内側に向けられる者。
苦を見て、楽しみの芽を探せる者。
“めんどくさい”をチャンスに変えられる者。
誰かのせいにせず、「自分がやる」を選べる者。
この国では、それが人として生きる、当たり前の作法だった。