ー14-
「おはようございます、お嬢様!!」
結局、あれから思うように寝付けなかったシンシアは、明け方近くにやっとウトウトし始めた。そんな寝不足の彼女の目を覚ますべく、侍女のマリアが大きな窓のカーテンを『シャアッ』と開ける。
まだ早い時間ではあるが、太陽の光は余すところなくシンシアに降り注ぐ。
「ま、眩しいわ。マリア」
「ええ、そうでしょうとも。朝の太陽の光は眩しいのです。そして、今日のお嬢様も眩しいほどに輝いておりますよ。ね?」
眠気眼のシンシアには、マリアの言葉の意味は十分に分かっている。
昨晩、あの場所にマリアはいなかったはずだが、使用人の中ではすでに十分すぎるくらいに情報伝達ができているのだろう。
恐るべし、アーベル伯爵家の使用人たち。
「さあ! 王太子妃がお待ちです。今日も張り切ってお仕えしてくださいまし。
そして、ご家族の皆様もお待ちでございますよ」
『ああ、やっぱり……』と項垂れるシンシアは、「食欲が無いわ。今日の朝食は要らない……」と呟いた。
それを聞き逃さなかったマリアが「お嬢様!! お嬢様がお食事を抜くだなんて、嵐が来ます。絶対になりません!」
食いしん坊のシンシアは、子供の頃から食事を抜いたことなど無い。故に体型は少し丸みを帯びているがそんなこと気にしない。
『身体が資本』
食事を抜いて体調を崩しては元も子も無い。それがシンシアの座右の銘なのだから。
「お気持ちはわかります。お嬢様、気を抜いてはなりませんよ」
身支度を整え部屋を出るシンシアの背に向かって投げかけられたマリアの言葉。
全てがそこに表されている。シンシアも同じことを考えていたのだから。
「何かあったら、後は頼んだわね」
「はい。お任せください」
自分と大して歳の変わらぬマリアに背中を押され「頼もしい侍女だこと」と、消え入るような声でつぶやくのだった。
少し遅れて食堂に行くと、家族はすでに席に着いていた。両親に兄、そしていつもは小さい子を理由に、朝食には顔を見せない義姉まで座っている。
「遅くなりました」
シンシアが席に着くなり、皿が運ばれ食事が始まる。
きっと矢継ぎ早に質問攻めされるだろうと思っていたのに、拍子抜けするくらいにいつも通りの食事風景だった。
これなら、さっさと済ませて王宮に向かおう。そう思っていたら……。
「昨日は大分騒がしかったようですが、何かあったのですか?」
義姉が口火を切った。彼女は子供を寝かしつけるべく、あの場にはいなかった。
その後兄から聞いてはいるだろうに、何を今さらと思いながらも「別に、何もありません」と平然とした顔で答えたのだった。
「ああ、そうだな。昨晩は義弟になるセドリック殿と、固い握手をしたくらいか?」
「そうね、私も昨晩から何故かウキウキした気分で楽しいの。ね? あなた」
「……、知らん!!」
(ああ、昨日の様子が目に浮かぶようだわ)
シンシアは軽い眩暈を覚えながら、食事を口に運ぶ。
「お義姉様。昨晩は特に何もありませんでした」
「……、そう。あ!お義母様。実は取り寄せたチョコレートボンボンがございますの。後でお部屋に伺ってもよろしいですか?」
「あらまあ。チョコレートボンボン? それは楽しみだわ。朝食の後、すぐにでもいらっしゃいな」
「はい、喜んで!!」
すっかり機嫌を良くした義姉は、ニコニコ顔でフォークを口に運ぶのだった。
―・―・―
「シンシア、聞いてちょうだい。昨日の夜会が舞台になるらしいわ」
うっとりとした瞳で話して聞かせてくれるのは、王太子妃オリヴィア。
怒涛のような夜会の後、王太子妃オリヴィアの元に顔を出したシンシア。
待ち受けたのはうんざりするほどの質問攻めだった。
家族からは回避できたと思ったのに、やはりここでは無理のようで。
次の日。いや、なんならあの晩からすでに社交界ではその話で持ちきりだった。
王太子側近で次期宰相候補の呼び声も名高いあのセドリックが、公衆の面前で愛の告白をしたのだから。それも、自らの腕に愛する人を抱きながら……。
それはもう、噂好きな紳士淑女の皆様を喜ばせたことは間違いない。
「実はあの晩、王弟殿下がお忍びでいらしていたらしいの。ほら、あの方妻も娶らず好き勝手なさっておいででしょう? 才能のある方のパトロンをしながら劇団にも顔がきくらしくてね、それで演目に取り入れたいって熱望されたらしいわ」
「なんですか、それは? 何も聞いておりませんが」
「そりゃそうよ。まだ秘密だもの」
秘密を簡単に口にして良いものかどうか? 甚だ疑問ではあるが、王太子妃ならば良いのだろう。
「ああ、私もこの目で見たかったですわ。シンシア様の決定的瞬間を!」
「決定的瞬間て、あなたねえ」
「私もです。私も見たかったです。それはもう素敵だったとお聞きしました。
なんでも、王妃様付の侍女の方はあの夜会に行かれていて、ご自分の目で見られたとか。とても素敵だったとおっしゃっていましたもの」
「私も、王妃様がいたく感動されたとか。きっとお声がけがあるんじゃないですか?」
「やめて。そんなんじゃありません。本当に違いますから!」
シンシアは必死に頭を振って抵抗して見せた。しかし、それを信じる者は一人もいない。これは困ったことになったと、頭を抱えたくなるのだった。
そして、なんとか一日を終え、気疲れした躰を引きずるように馬車止めまで向かうと、そこには噂の婚約者殿が待ち構えていた。
「あ! シンシア」
シンシアの姿を見るなり笑みを浮かべ、近づいてくる紳士。
昨日までの彼を知っている人物なら、目を疑うような光景。
王家に忠実で、執務に厳しい真面目一辺倒の王太子側近。その彼が笑みを浮かべているだけでも気持ちワル……、考えられないのに、仕事を早く切り上げ婚約者を待っているなど誰が信じられるだろう。
噂好きな淑女の皆様は、それはもう仕方がないにしても、それにしても。
彼の豹変ぶりにシンシアは正直、ついて行けそうにないとその存在を見て見ないふりしたくなった。
「もう、帰るのだろう? 私も帰るところだ、送って行こう」
「いえ、我が家の馬車がありますので大丈夫です」
「ならば、私が伯爵家の馬車に乗るとしよう」
「は? では、侯爵家の馬車はどうなさるのです?」
「大丈夫だ。後ろからついて来させれば問題はない。お互いの家はそう遠い距離ではないのだし。ゆっくり話もしたいと思っていたから丁度いいだろう」
「さあ」と目の前に伸ばされた手は、シンシアの手を待ちかまえていた。
「さあ早く、ほらほら」と催促されているようで、内心面白くないと思いながらも、婚約者としてこれを拒むのは悪手だと思い彼の手を取るのだった。




