ー12-
「その女のせいね!」
と、イザベラに指を差されたシンシアは、さすがにここは自分が収めなければならないのかと、諦めたように一歩前に出ようとした。だが、それをそっと手で制された。「え?」と思い、セドリックの横顔を見上げれば、彼の顔は真剣で怒りさえ滲んでいるように見える。
いつも冷静な彼はあまり表情を他人に見せることはないのに。そんな風に思っていたら、シンシアを制した手がそっと彼女の肩を抱き、彼の方に引き寄せた。
「キャ」と、若い令嬢の声が漏れ聞こえる。
(「キャ」は私の台詞よ)
初めてのことにシンシアは戸惑い、緊張し、そして照れた……。
「イザベラ殿……」
「ああ、やっと私の名を。はい、セドリック様」
「私は、今も昔もあなたを愛したことは一度もない。婚約者として一般的な務めを果たしたに過ぎない。そして、それを裏切ったのは、他でもないあなたの方だ。
それでも、あなたを恨む気にはなれなかった。あなたを愛しきれなかった私にも落ち度があったのだと思い、どこかで小さな幸せを見つけてくれれば良いと、そんな風に思っていたのに。
だが、あなたは私の愛した人を侮辱した。それは決して許せるものでは断じてない!! 私は彼女を、シンシアを心の底から愛している!」
(は?!)
セドリックの腕の中で恥ずかしさと緊張で固まったままのシンシアの頭上から、とんでもない言葉が降り注がれた。
(ちょ、なに言ってるのこの人? 誰か止めて!!)
セドリックの腕の中で指一本動かせないままに固まったシンシアは、真っ赤に頬を染めながら耐えるしかなかった。
「素敵!!」
「あらあら、まあまあ」
年若い令嬢も、貴婦人方も、思いは皆同じ。
『 いいもの見たわ 』
「彼女の容姿も、頭の良さも、顔に似合わず辛辣な物言いも、私にとっては全てが愛おしくてたまらない存在だ。
あなたとの婚約時代にも、他の誰にもこんな想いを抱いたことはない。
彼女は私にとって、唯一無二の存在だ。シンシアに謝れ!!」
普段は冷静で落ち着いた風情のセドリックが、ここまで憤慨するのは珍しい。いや、人前で怒りを露わにしたのは初めてだろう。
そんな彼の様子に怖気づき怯えた様子のイザベラは、顔色を失い呆然としていた。
素直に謝るような人間ではないだろうが、それでも今の彼女は言葉を発するのも難しいかもしれない。
「イザベラ!!」
そんな緊張の糸が張り詰めたような雰囲気の中、イザベラの名を呼ぶ声がする。
声の主は人込みをかき分けやっとの思いで彼女の元に駆け寄ると、何の躊躇もなくセドリックの足元の跪きひれ伏した。
「この度は私の妻がとんでもないご無礼を、どうかどうかお許しください。
妻はただあなた様のことを思ってのことなのです。私が不甲斐ないばかりに、妻一人治めることも出来ず、全て私のせいでございます。
妻の責は夫である私のもの。どうかお怒りは私一人でお願いいたします。
妻を、妻をどうかお許しください!!」
冷たい大理石の床に額をこすりつけ、男はセドリックに懇願し始めた。
会ったことはないが、彼はイザベラの夫であるフレイン子爵なのだろう。
罪の重さに震えるようにしていたイザベラは、力を失くしたようにその場に崩れ落ちた。その様子を背に感じたフレイン子爵は、そっと彼女の肩を抱きしめる。
無理矢理押し付けられた婚姻だと聞いていたが、どうやら彼の方はそうでもなかったらしい。最初はどうであれ、今となっては自分の命を賭してでも守りたいと思えるほどの想いはあるらしい。
そんな二人の様子を見て、シンシアの体からも力が抜ける。
そして、自分の肩を抱くセドリックの手からも力が抜けるのがわかった。
「セドリック様」
緊張で固まった体をほぐすように、そっと彼の顔を見上げる。
彼もまたゆっくりと顔を動かし、視線をシンシアに向けた。
「シンシア」
シンシアはわかっている。彼はこんなに大事にするつもりはなかったことを。
怒りに任せて我を忘れてしまったのだと。
見上げた瞳には、すでに怒りの色は消えていた。
「フレイン子爵夫人、彼女が我が婚約者のシンシア嬢だ。あなたの愚かな過ちも許せるだけの、広い度量を持ち合わせている人だ」
勝手になにを?と思ってはみたが、シンシアもそこまで怒ったわけではない。
この場を静める為にも、彼女の謝罪の言葉で流してやろうと思った。
夫であるフレイン子爵に肩を支えられながら立ち上がると、未だ肩を震わせながら謝罪の言葉を口にし始めた。
「申し訳ありませんでした。この度のことは、全て私の責任です。夫にも子爵家にも罪はありません。どうか、罰は私だけでお許しください」
涙で震える声を絞り出すように告げたその言葉で、シンシアは心から許せると思えた。
(なんだ。二人ともちゃんと想いあってるんじゃない)
二人並んで頭を下げる姿を見て、シンシアは謝罪を受け入れることを伝えた。
「フレイン子爵夫人、あなたの謝罪を受け入れます。今後は私たちの前に姿を見せなければそれで構いません」
事実上の社交界追放。
それでも、彼女が一人我慢をすれば全て丸く収まるのだ。
夫にも家族にも、そして子爵家にもお咎めがない。
それを『甘い』という者もいるだろうが、きっと元は悪い人ではないのだろう。
なんだかんだ言ったところで、彼女の後ろにはグレイ侯爵家がいるのだし。
「子爵殿。これからはしっかりと妻であるイザベラ殿を見張ってくれ。
なに、子爵領は広く肥沃な土地だ。これから年を開けずに子を成していけば、子育てで彼女も領地を出ることができなくなるさ。な?」
セドリックは腕の中のシンシアを見下ろし、さも良いことを言ったとばかりに瞳を輝かせていた。
(何を期待しているのでしょう、この方は)
褒めて欲しそうな顔をみながら、シンシアは作り笑顔で黙って頷くのだった。




