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かつての婚約者と偶然会ったセドリック。
彼の中ではすでに終わったことだと思っていたが、それでもやはり情は少なからず残っていたらしい。
会えば少しくらいは心が乱されたのも事実。その思いが愛などでは無いことは確かだが、どうにもできなかった後悔と、自分の不甲斐なさを呪うような思いだったのかもしれない。
彼女が無理矢理結ばされた婚姻には、大枚が動いたと口にする者もいた。
事実、半ば強引に押し付けるように縁を結ばせた彼女の家からは、持参金と称した迷惑料が支払われたようだった。
そして尻の軽い婚約者を押し付ける形になったセドリックの家からも、彼女の家から届いた慰謝料の一部を口止め料として支払っている。
実際、相手の家は話のわかる者達のようで、これまで上手に領地に押し込めてくれていたらしい。彼女の姿を王都で見ることはなかった。
ここに来て当主であった義父が病に倒れ、彼女の夫が子爵を継ぐことになったため夜会などに夫婦で参加するようになったのだ。
元々綺麗な女性だった。その美貌は辺鄙な領地に引きこもっていてもなお、輝きを失う事はなかったようだ。きっと、暇に任せて十分な手入れをしていたのだろう。
そんな彼女が夜会に参加し始めた。領地に押し込められ出るに出られなかった彼女は、ここ数年の憂さを晴らすべくその美しさを披露し始めた。
夫となった者は特に秀でたものもないが、子爵としては十分な人間だった。だがそれだけの男。若くに結婚をし、すぐに妻を病で亡くしていた。その後、後妻を迎え入れなかったのは望んだわけでは無く、単に話が来なかったからだろう。
それに比べて元侯爵家の令嬢であったイザベラは、歳を重ねても美しさが劣ることは無く、子を産まぬ体型が崩れることもなかった。
セドリックの中ではすでに終わった話だ。自分が幸せにしてやれなかった分、他で幸せになってくれればいいと、そう思うほどに過去の話だったから。
だからこそ、気にもならなかったのだろう。
これが執務ならもっと根回しをし、段取り、鉢合わせになることなどないようにしたはずなのに。やはり彼の中では、女性や色恋沙汰は抜けているのだろう。
こんなところでこんな目にあい、ましてやシンシアに助けてもらうなど、自分の無力さを痛感するしかなかった。
セドリックとシンシアの二人が庭園から戻ると、夜会会場の一部で人だかりができていた。そのような光景もよくあることなので特段気にしていなかったのだが。
「ああ、セドリック。何処に行ってたんだ? なんだか突然現れたご婦人が、君の元婚約者だとかなんとか。それにシンシア嬢との婚約も王太子からの命によるものだから、可哀そうだとか言いだして……」
彼の同僚であるマルコが、セドリックの姿を見るなり駆け寄って来た。
セドリックは人だかりの方を険しい顔で睨みつける。
シンシアはイザベラのことだと思うものの、大して心を乱されることはなかった。
先ほど本人であるセドリックへの尋問まがいの問いかけで、話を聞いていたことが功を奏したのだろう。もし知らぬ状態だったら、人目もはばからず喧嘩腰で詰め寄ったかもしれない。
「わかった。すまなかったな」
セドリックはマルコへ謝意を示すと、シンシアに向き合い告げる。
「昔のこととはいえ、はっきりさせなければ。君はマルコと一緒に、ここに居てくれ」
「なぜ? なぜ私がマルコ様と一緒にいなければならないのです? 私の婚約者はあなたでしょう? ならば私が一緒に居る相手は彼じゃないわ。あなたよ」
そう言ってシンシアは「さあ、行きましょう」と、自ら先陣を切って人だかりに歩き始めた。「まったく、君という人は……」薄らと笑みを浮かべたセドリックは遅れないように、早足で彼女を追うのだった。
「なんかわかんないけど、カッコイイじゃん」
マルコはシンシアの後ろ姿を見つめ、笑いながら呟いた。
人だかりを縫うように近づけば、そこには想像通りイザベラが涙声で同情を引くように話していた。
元は侯爵令嬢だったとしても、現在は子爵夫人。彼女の周りにいるのは同じような位の人間か、何もわからぬ若い令嬢が主だった。
それでも面白そうな話に食いつかないわけはなく、高位貴族の御婦人方も遠巻きに話を聞いているような状態だ。
「かつては婚約者として愛し合っていたのです。それはもう、熱を帯びたように私を求めて来られて。でも、留学で大国へ行ってしまわれて、その時間が二人を引き裂いたのですわ。それがなければ今頃は、仲睦まじく過ごせていたはずなのに……」
「聞けば、王太子妃の侍女と婚約をされたとか。それも王太子の命令なのでしょう? そんな愛の無い結婚を強いられて、彼が可哀そうで可哀想で……。
きっと彼も後悔しているはずですわ。そんな、愛の無い結婚に耐えられるような方ではないもの。以前の熱い熱情を持った彼ならそんな結婚、すぐに破綻してしまうのが目に見えていますわ。
それでも離縁できないなんて、本当に彼が不憫で……。
できるなら私が彼を慰めて差し上げたいのに、そうできたらきっと彼も喜んでくれるはずですのに。今の彼の環境がそれを許さないのです」
「実は先ほども廊下の隅で、彼に呼び止められましたの。あの頃と変わらない熱い眼差しを向けられて、まるで時間が戻ったようでした。
お互いそれが許されないとわかっているからこそ、想いは熱く燃え上がるものですのね。きっと、彼も私をもう一度その手に抱きたいと熱望しているはずですわ。
だって、ねえ。うふふ」
彼女の周りに群がる若い令嬢達は、昔の噂話を知らない。
今の彼女と同じような低位貴族達は、昔の事情を知らない者もいるのだろう。
薄っすらと涙を浮かべ、頬を桃色に染めるその姿は妖艶にも初々しくも見える。同情をひきつつ話す彼女は、舞台女優にも引けを取らぬほどの名演技だった。
そんな彼女に心を持っていかれた者達が、口々に慰めの言葉を並べる。
「相思相愛なのにお可哀そう」「愛しあうお二人を引き裂くなんて、あんまりだわ」
「どうにかならないのかしら」などの声が聞こえる中で、高位貴族の者達は耳をそばだて聞き入っているのが見て取れる。
王太子の側近で宰相候補。そして王太子妃お抱えの専属侍女。
この二人を敵に回すほどの愚か者は、高位貴族の中にはいないのだろう。
セドリックとシンシアの姿を見つけた者達がサアーと道を開ける。
まるで「さあ、どうぞどうぞ。面白い話題を振りまいてちょうだい」とでも言うかのように、面白いくらいにすんなりとイザベラの前へと進んで行った。
「フレイン子爵夫人」
イザベラの前に毅然とした態度で立つセドリックは、険しい顔つきでその名を呼んだ。そして、その一歩後ろにシンシアが様子を伺うように立つのだった。
「ああ、セドリック様。私のことをお探しに? 申し訳ありません、今あなたとのことを話していたところですのよ」
焦がれるように伸ばすイザベラの手を、スルリと躱したセドリックは固い声色で答えた。
「私の話を? 他人のあなたがなぜ私の話などを?」
差し出した手を交わされ、宙ぶらりんになったその手を押さえるように胸元へと戻したイザベラは、寂しそうな顔で訴えかけた。
「ええ、すれ違いであなたの手を放してしまいましたが、元は婚約者同士。
あんなに愛し合った二人ですもの、そう簡単に忘れるはずなんてありません。
お互いが後悔していると、できることならあの頃のように二人過ごしたいと願っているのだと話しておりましたの。今は無理でも、私いつまでも待ちますわ。
ね、セドリック様」
『パシッ!!』
潤んだ瞳で手を伸ばしその腕に手をかけようと歩み寄るイザベラの手を、容赦なく払いのけたその音は、その場の者達の言葉を遮るほどに大きく響き渡った。
「な、なにを? セドリックさ……」
「なにを? それはこちらの台詞です。
確かに家同士の話し合いで婚約を結んだこともあった。だが、それを反故にしたのはあなたではないですか。今さら変な言いがかりをつけるのは止めていただきたい!」
「言いがかりだなんて。確かに、あなたの留学で頼る相手を失い、少しばかりすれ違ったことはありましたが、それでも今も昔もあなたを愛していますのに。
あなたも私をまだ愛して下さっているのでしょう? だから先ほど廊下で私をあなたの胸に……」
「ああ、あなたに呼び止められ、突然抱きついてきたことですか? あれにはさすがに参りました。子爵夫人ともあろう方が、なんの真似だとね。
はっきり申し上げますが、今も昔もあなたを愛したことはありません」
「嘘よ! 嘘! だって、あなたはいつも私に愛のこもった手紙を下さり、花や贈り物を下さっていたではありませんか。
留学に向かう時も『待っていてくれ』と、そうおっしゃったわ」
「それは、婚約者として当然の務めです。それ以上でもそれ以下でもない。
ゆくゆくは夫婦になるのだから、仲睦まじくありたいとは思いましたが、それだけのことです。当然でしょう?」
面と向かいハッキリと口にするセドリックに揺るぎはない。
そんな風に言われてイザベラは、フルフルと肩を揺らし今にも崩れ落ちそうだった。
「その女なのね。王太子からの命で婚約させられた、その女のせいであなたは変わったんだわ。あんなにも私を、私だけを愛してくれていたのに、その女のせいで!!」
セドリックの一歩後ろで様子を見守っていたシンシアに向かい、鬼の形相で指を差すイザベラ。
(やっぱり、高みの見物とはいかないのね)
と、気づかれないように小さく息を吐くシンシアだった。




