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王宮にある中庭。
そこに仕える者達が自由に使えるこの広場で、長細いベンチに腰を下ろす男女。
二人の間には大人が一人、余裕で入るくらいの隙間が空いている。
この二人の関係性が垣間見えるように。
王太子妃オリヴィアの侍女を務めるシンシアは、手を伸ばせばやっと届くような距離に座る男性をチラリと横目で見ると、気づかれないように小さく息を吐いた。
(セドリック様はよほど私のことが気にいらないのね。私だって納得はいっていないけど、だからってどうすることもできないのに。そんな露骨に嫌そうな顔をしなくたって。しかも、こんな人目につく所で、これじゃまるで私が悪者みたいだわ)
広い中庭の庭園。日差しの眩しい今の季節、屋根のある四阿だってあるし、前もって連絡を入れておけば応接室や談話室は使えるのだ。それなのに呼び出された場所はなぜか庭園のベンチ。最初はここで待ち合わせをして、他の部屋に移動でもするのかと考えたがそうではなかった。
先に着いていたセドリックはシンシアの顔を見ると、どうぞと手で合図をし、そのまま座ってしまった。そうなればシンシアとて座らないわけにはいかない。
(日傘を持って来て良かったわ)
シンシアはせめて陽に焼けないよう、気をつけようと思った。
しばし沈黙の時間が過ぎる……。
いい加減このままでは仕事に支障をきたしてしまうと思い、シンシアは思い切って声をかけてみることにした。
「あの、セドリック様。そろそろ戻りませんと、王太子妃殿下が心配をいたしますので……」
少し俯き、じっと一点を見つめていたセドリックはシンシアの言葉に「はっ!」と我に返ると「すみません。少し考え事をしておりました」そう言って眼鏡のふちをクイッと指で押し上げた。
「……、あなたはこの馬鹿げた婚約話に対して、何も思わないのですか?」
前を向いたまま話しかけるセドリックは、決してシンシアを見ようとはしない。
横から伺うように見ても、彼が面白くない顔をしていることは十分わかる。
きっと前から見たら眉間にしわをよせ、汚い物でも見るような顔をしているに違いないと、シンシアはその対象が自分であることに情けなさが込み上げてきた。
(顔を見るのも嫌なのね? ほんと失礼だわ)
「セドリック様。そう言われましても、これは王太子殿下からの命でございます。私の意見など何の足しにもならないと思うのですが」
「では、あなたは私との婚約に何の異論もないと? 殿下の言葉に黙って頷くだけの人生で良いと、そう言うわけですか?」
「はあ……。あなた様がこの縁談に異議をお感じになられていることはよくわかりました。私など、しがない伯爵家の人間が、恐れ多くて王太子殿下に物申すことなどできません。思うところがおありなら、どうぞセドリック様が進言なさればよろしいのではないでしょうか。仲がよろしいとお聞きしておりますが?」
少し嫌味ったらしく答えれば、セドリックはやっと顔をシンシアに向けた。
ただし、その顔には明らかな驚きと、怒りと呆れがこもったような顔ではあったが。
「あなたはもっと聡明な女性だと思っていたのですが、どうやら思い違いだったようですね」
再び前を向き、視線をさまよわせるように遠いどこかを見つめるセドリック。
彼の言葉にめまいを覚えながらも、言いたいことは山のようにあるがここは自分が大人になろうと、シンシアはぐっと言葉を飲み込んだ。
ついでに、向こうも「あなた」呼びをするので、シンシアも負けじと「あなた様」呼びすることにした。
「まあ、私が聡明などと……。あなた様のような方でも人を見誤るのですね。安心しましたわ」
(こっちこそ思い違いだわよ。とんだ大馬鹿野郎だわ)
同じ空気も吸いたくないと思い、シンシアは立ち上がると、
「そろそろ王太子妃殿下が本気で心配なさいますので、戻らせていただきます。
あなた様がご心配なさる件に関しては、どうぞお好きなようになさってくださいませ。私が口を挟めることではございませんので、お任せいたします。
その願いが叶う事を、私も強く祈っております。では……」
そう言って、一度も振り返らずにその場を後にした。どんな顔をしているかなんて、もうどうでも良い。
少し足早に歩くさまは淑女らしからぬ姿であるが、それももうどうでもいい。
誰にどう思われても構わない。どうせお仕着せを着た侍女など、誰の目にもとまらないのだから。
早足に中庭を抜け後宮の入り口近くまで来ると、さすがに怒りに任せた気持ちのままで戻ることは許されないと思い、回廊の柱に身を預け大きく深呼吸をした。
額に滲んだ汗をぬぐい、息を整えると次第に落ち着いてくる。
怒りと情けなさと、ほんの少しの寂しさで涙がこぼれそうになったことは自分だけの秘密だ。
「パンッ!」と両手で頬を叩き気合を入れるといつもの笑顔に戻り、主である王太子妃殿下の私室に戻って行った。
「ただいま戻りました!」