変わらない日常
公募の落選作を少し直したものです。
「お姉さんたちは、付き合ってるんですか?」
五月半ば過ぎの朝方、よく晴れた週末の寺で、木々を見上げていた私たち二人は声を掛けられた。声の主は制服に身を包んだ少女で、高校生だろうか。お寺への参拝客は珍しくないけれど、この年頃なら普通は街にでも遊びに行きそうなものだった。
「ええ、そうよ。何か、気になった? 私たちが同性のカップルだから、かしら」
私が言葉に詰まっていると、恋人の方が少女へ、そう答えていた。私のパートナーである彼女の受け答えは、声も表情も優しい。普段、私たちは周囲に軽々しく交際をカミングアウトしないけれど。いい加減な答えを彼女がしなかったのは、きっと少女の表情が切実だったからだろう。
「その、失礼だったら、ごめんなさい。でも、どうしても知りたいんです。辛いこととか、ありませんか? 周囲から反対されたら、どうしますか?」
「そうね。辛いことも悲しいことも、あると言えばあるわ。周囲に私たちの関係を認められないときは、そういう気持ちになるわね。傷つかず強く生きていければ、いいんだけど」
そこまで答えた後、「なかなか、そうは、いかないわね」と恋人がため息をつく。私も気持ちは同じで、相変わらず何も言えずにいると、「でも」と恋人が続けた。
「『周囲から反対されたら、どうしますか?』って尋ねたわね。その答えは決まっているの。知ったことじゃないわ。周囲の意見に合わせて、それで幸せになれるのなら良いけど、恋愛はお互いの問題なんだもの。だから私は、彼女と生きていく」
「え、ええっと。私も同じ気持ちよ。質問の答えは、これでいいかしら?」
恋人に愛の宣言をされて、うろたえながら私も言葉を挟む。かっこ悪いったらない。質問をしてきた少女に目を向けると、どうやら納得してくれたようだった。
「はい! ありがとうございました!」
少女は笑顔で、一礼してから私たちに背を向けて駆けていった。駆けた先にある木の後ろから、やはり制服に身を包んだ同じ年頃の女子が出てくる。二人の制服女子は、一緒に私たちの方へ頭を下げて、それから弾むように笑顔で駆けて去っていった。
「あの子たちも、恋人同士だったみたいね」
恋人がそう笑う。春風が通り抜けたような爽やかさが、後には残った。
「私たちも十年前は、あんな感じだったのかしら」
私も笑いながら、そう返した。あんな風に、何処までも恋人と駆けていきたい。少女たちの青春は私をセンチメンタルな気持ちにさせた。
私の家は有名な寺と距離が近い。その家に昨夜から恋人は泊まり込んで、私の両親と挨拶を交わした。以前から交流はあったのだけど、挨拶というのは、つまりカミングアウトだ。私たちは女性同士で愛し合っているのだと、二人で私の両親へ報告を済ませた。
「良かったわ、貴女の両親に、関係を認めてもらえて。あー、やっと緊張が解れる」
時刻はお昼どきで、私たちは寺から近い温泉に浸かっていた。黒湯で、浴場の底は見えない。つまり私たちが温泉に浸かりながら、そっと手を繋いでいても目視はされないのだ。
「次は私が、貴女の両親に挨拶する番ね。うまくいくかしら」
恋人の手が、まるで命綱のように感じる。私は弱い。もし私が男性だったら、こんなに恐れることもなく恋人の手を握れるのだろうか。恋人を不安から守れるのだろうか。
「大丈夫よぉ。何があっても、私たちの関係は変わらないんだから。心配いらないわ」
いつも恋人は、私を力づけてくれる。弱い私を勇気づけるために、彼女は強くなるしかなかったのだろうか。恋人の愛に応えるためにも、私は強くならなければならない。
「……温泉って興味がなかったんだけど、二人で入るといいわね。今、とっても幸せだわ」
「もう。人目があるんだから、ここでイチャつくわけには、いかないんだからね」
うっかりすると、恋人と素肌を密着させたくなるから困る。同性の恋人と、人目を気にせず外で歩き回れる社会が欲しい。そういう世の中が早く来ればいいのに。
「ねぇ、お寺でおみくじを引いたでしょう。結果はどうだった?」
「うーん、先に貴女の方から聞きたいわ。そっちのおみくじは?」
質問を質問で返される。「凶よ。待ち人は来ないとか、頓珍漢なことが書かれてたわ」と私は答えた。おみくじの結果が悪かったから言うわけではないが、私は昔ながらの伝統が嫌いだ。伝統は美しいけれど、ひたすら保守的で変化を受け入れようとしない。きっと私たちのような同性愛者は、伝統的に社会から拒絶され続けてきたのだろう。
「そう、私は大吉だったわ。だから何もかも、うまくいくわよ」
「本当に? そのおみくじって持ってる?」
「ううん。境内で、所定の場所に結んできたわ」
大吉というのは、もちろん嘘だとわかる。この寺のおみくじは凶が多いことで有名なのだ。だからこそ私は、おみくじで良い結果を得たかった。変わろうとしない社会の中で、恋人と愛し合える未来を夢見たかった。
「そっか、大吉か。じゃあ、うまくいくわね」
恋人は私に、希望を見せてくれている。だから私には、それでもう充分だった。お湯の中で握る手に力を込めて、恋人へ感謝を伝える。この先も私たちは、お互いの手を放さず生きていく。
モノレールに似た新交通システムに乗って、私たちは恋人の家へと向かう。まだ時刻は午後三時くらいだ。窓から海が見える、この路線が私は好きだった。恋人の家まで向かう道のりだからだろうか、我ながら単純なものだった。
それほど乗客は多くなくて、その中には男女のカップルがいて仲良く座っている。肩を寄せ合って、何を隠す必要もなく笑顔で幸せそうだ。
私たちも並んで座っていたけれど、男女のカップルと同じようにはいかない。私は目を閉じて、恋人の肩へ頭を持たせ掛ける。眠いわけじゃなくて、そう振る舞わないと公共の場所で、私たちは密着できないのだ。そのまま私は、右手を彼女の背中へ回している。
私の右手は背中を通り抜け、恋人の細い胴を抱くように、お腹の方へと回る。私の右手の指先を、そっと恋人が自身の左手で握る。それが私たちの、恋人同士としての握手だった。
海が見たくて、私は薄眼を開ける。すると向かいの席に座っていた女性が、私たちの繋がった指先に目を向けていた。私と彼女の目が合って、彼女が慌てたように私たちから目を逸らす。ああ、気づかれちゃったかな。
「気づかれちゃったわね」
恋人が小声で、私に言った。ちょっと声が笑っている。
「もうすぐ到着ね。ねぇ、手を繋いで歩こうよ。貴女の家に着くまで」
小声で恋人へ伝える。私たちの関係を、彼女の両親が認めてくれるかは、わからない。未来のことは、誰にもわからないのだ。私たちは異性愛者にとって、ひょっとしたら永遠に理解されない存在なのかもしれない。
「それは、この電車の中から? 駅に着いて、立ち上がったときからかしら」
「うん。貴女のことが愛おしくて、もう隠せないくらい気持ちが高まったら、そのときは周囲にもカミングアウトしたいわ。それでいい?」
日本が嫌いなわけじゃない。できれば、この国で幸せになりたいと思う。でも幸せになれないと感じたら、そのときは遠くへと私たちは飛び立つだろう。春夏に海を越えて、日本を離れるカモメのように。
「もちろんよ。何があっても、私たちの日常は変わらないんだから。問題ないわ」
社会は変わらないかもしれない。それでも私たちは、ずっと一緒だ。アナウンスが駅への到着を告げる。私たちは立ち上がって、互いの手を繋ぐ。ドアが開いて、笑いながら弾むように私たちは飛び出した。
背後でドアが閉まって、広々とした世界が私たちを包む。電車と私たちが去った後には、春風が吹き抜けたような爽やかさが残った。