父
ママは出かける前におじさんに声をかけた。
「依理をお願いします」
「ああ、分かってるよ。さあ、行くよ、依理ちゃん」
おじさんはその大きな手で私の肩を押しやると、軽トラックの助手席に乗るように促した。
私は生きた心地がしなかった。初めて2人きりになる大人と、初めて乗る車で、初めて行くキャンプ場に行き、そこで「罰」を受けるらしいのだ。この状況におびえない人がいたら見てみたい。
当時私は中学2年生。父は私が物心つく前に出て行き、シングルマザーの母に育てられた。私は優等生とは言えなかった。ママは遅くまで仕事から帰って来ない日もあったし、私は比較的自由に友達と遊び回っていた。でも、万引きしたのは昨日が初めてだ。友達3人とドラッグストアで化粧品を万引きし、あっさり捕まった。
昨夜、ママは長い間おじさんと電話していた。おじさんは1年前ぐらいからママが付き合っている彼氏だ。ママよりずっと歳上で、私はほとんど話をしたこともないし、特に関心も持ってはいなかった。
今朝ママに、おじさんが私をキャンプ場に連れて行ってくれる、そこで昨日の万引きの罰をおじさんに与えてもらうから、深く反省して心を入れ替えるように、と言い渡された。
おじさんと私は黙ってトラックに乗った。私は身を縮めて、なるべくおじさんから離れるようにして座っていた。運転しながらおじさんはそんな私をチラッと見やると、独り言のように話しはじめた。
「俺は君が何をしでかしたのか、詳しくは知らない。昨日、警察沙汰になったと君のお母さんから聞いただけだ。お母さんは本当に悩んでいて、俺に相談してきたんだ。君が二度と悪いことを考えないようにするためには、どうしたらいいのかって」
「俺には3人子供がいる。相当な悪さをした子もいたが、今はみんなちゃんとした大人だ。坊主達が子供の頃は、悪いことをするとお仕置きしていた。懲りるようにお尻を叩くんだよ。俺自身がそうやって育ったからね」
おじさんはこちらを向いて目をくるっと回した。
「そうしたら、君のお母さんも、君に同じようにして欲しいって言うんだ」
は?だって私はもう中学生だけど?疑問が顔に出たのかもしれない。
「坊主達も高校生まではお仕置きしてたよ。じつのところ、お仕置きが一番効果があるのは中学生以降だと思うね」
なんてことを言うんだろう。
「だけど俺は、たとえ君のお母さんが何と言おうと、君が望まない限り、何もするつもりはない。俺のことを恐がって欲しくないから」
「今日は昔息子達と良く行ったキャンプ場に行くんだ。近くにハイキングコースがあって、バーベキューもできる。バーベキューしたことあるかい?」
私は首を振った。児童会の行事でハイキングは行ったことがあるが、バーベキューはしたことがない。そんなことより、何もするつもりはない、というおじさんの言葉で頭は一杯だった。じゃあ、なぜママは朝あんなことを言ったのか。
おじさんは、バーベキューの説明をはじめた。食材はキャンプ場でもらえるが、準備は自分達でしなければいけない。「君は野菜切れるかな」
徐々にぎこちなくではあるが、私も返事をするようになっていった。キャンプ場には小さなログハウスが点在しており、その一つの横に車を止め、荷物を下ろすと、私達はまずハイキングに出かけた。
歩きながら、おじさんは私の学校のこと、友達のこと、そして父と交流があるかも尋ねた。私は父のことは全く記憶にないことを話した。
おじさんは奥さんは10年ほど前に亡くなったこと、自分の仕事のこと、小さい頃兄弟とした遊びの話、そしておじさんのお父さんがアメリカ人だと教えてくれた。だから濃い顔をしているんだ。
いつの間にか私は笑い転げていた。なぜかおじさんとは話が合った。朝は怖いとしか思わなかったのに。
ママの話もした。「君はお母さんが好きかい?」もちろん好きだ、と私は答えた。「俺も好きだ。お母さんはやさしい、いい人だ」「やさしいかどうかは断言できないけどね」私は澄まして言った。
「でも昨日はお母さんは泣いていた。もうどうしてよいか、分からないって」私は黙り込んだ。「俺の目には、君はなかなか良い子に見える。君は一体何をしたんだ?」
私は最初からいきさつを話した。「君はその化粧品が欲しかった訳じゃないのかい?」もちろん。「その友達とは仲がいいの?」別に。ただの仲間。
するとおじさんは、自分が子供の頃にやったいたずらについて話しはじめた。隣の家の人が怒り狂い、後でお父さんにこってり怒られたことを。「君だってお母さんを泣かせたかった訳じゃないだろ」それはもちろん。おじさんがそんなことをしたなんて、信じられない。「もっと色々悪いことしたよ。教えてあげようか」
それからバーベキューがはじまり、食べ終わって片付けた頃には日は傾いていた。
「帰るの?」私はおじさんに聞いた。「何か忘れてない?」「何かな?」おじさんは本当に忘れているように見えた。もちろん、その振りをしていただけだろう。「私にお仕置きするんでしょ」
おじさんは本当に困っているように見えた。「君のお母さんには頼まれたが、私がするべきことなのか、よく分からないんだ。君のお父さんの仕事だと思うな」「私にお父さんはいない。それに私に罰を与えなかったら、ママが悲しむんじゃないの?」
「悲しむかもしれない。でも、好きな人の関心を買うために君をお仕置きするのは、何か違うと思わないかい?」これは私にはとても誠実な態度に思えた。
「私がおじさんの子供だったらどうする?」
おじさんはさて、というように顎に手を当てた。
「もし俺の子供が君と同じことをしたら、厳しくお仕置きするよ。だって泥棒だからな。でも、君は俺の娘じゃない」
「じゃあ、好きな人の娘がそんなことをしたら?」
私はそっと聞いた。
「君が望むなら、お仕置きする。君は望むのか?」
私は躊躇った。ここまで楽しい1日を過ごして、罰からも逃れられそうだったのに、お前は何を考えているのか。私の中の1人がそう呟いた。
でも、このまま帰ってどうする?ママはがっかりして泣くだろう。おじさんは泥棒の私のことをどう思うだろう?こんなに仲良くなったのに。もう1人の私が呟いた。そしてほとんど気づかないうちに私は頷いていた。
おじさんは、じゃあ、中に入ろう、と私をログハウスに入れた。中は広めのワンルームで、木のテーブルと椅子のセットが端に置いてあるだけだ。まずそこに座って、とおじさんは言い、自分は向かいの椅子に座った。
「何のために君のお母さんが君に罰を与えて欲しかったか分かるかい?」怒ってたから?「それもあるかもしれない。でも一番の理由は、今後同じことをして欲しくないからだ。娘に泥棒になって欲しい親なんていない」私は考え込んだ。「君は今までお母さんの言い付けを真面目に守ってきたとは言えないだろ。だから今回は、悪いことをしたらダメだということを絶対忘れないように、お仕置きして欲しいんだ」
「君はお母さんか誰かにお尻を叩かれたことはあるの?」私は息をのんだ。「ない」「俺は息子たちにやっていたのと同じ方法でお仕置きするつもりだ。君は何歳?」「14歳」「じゃあ5分だ」おじさんは腕時計のタイマーをセットし始めた。
「どういうこと?」「君はズボンを脱いで、俺の膝の上に乗る。そして5分間、お尻を叩かれる。君のしたことはとても悪いことだから、その後で、このベルトで」おじさんは自分の腰を指差した。「君の歳の数、14回、ベルトで打つ。それで終わりだ」「お尻を?」「そうだよ」
私は泣きそうになったが、それを押し隠し、平静を装ってたずねた。「それって痛い?」「痛いよ。忘れられないぐらい」おじさんは当然のように言った。「俺もされたことがあるから、よく分かる」私はまた黙り込んだ。
おじさんは椅子を部屋の真ん中に移動させた。そして椅子に座ると「ジーンズを脱いで、こっちに来なさい」と言った。
心臓が口から飛び出そうだった。ゆっくり片足ずつジーンズを脱ぐとそれを椅子に置き、Tシャツをひっぱって少しでも腰を隠すと、震える足を励ましておじさんの方に近づいた。おじさんは私を膝の上に載せると、椅子の足を掴むように言った。そっと手を伸ばして椅子の足を掴むと、おじさんは恐ろしいことにTシャツをまくりあげ、パンツに手をかけた。私は思わず椅子の足を放し身を起こした。
「パンツは下ろすよ」おじさんは当然のように言った。「お仕置きはお尻剥き出しでするんだ。さあ、椅子の足を掴んで」私は再び椅子の足を掴み、おじさんはパンツを太ももまで引き下ろした。剥き出しのお尻を突き出した姿勢のあまりの恥ずかしさに気が狂いそうだった。
「どうしてお仕置きされるのか、言ってごらん」「万引きしたから」私はすーすーするお尻が気になって気もそぞろで答えた。「そうだね。それを忘れないで」おじさんは手を振り上げると、右のお尻に振り下ろした。パンッという音が響きわたり、熱さと痛みが広がって、でもそれより私は恥ずかしさで頭が一杯だった。続いて左のお尻。そしてまた右のお尻。間を開けずに、しかし続けてでもなく、一定のペースで音は響いた。もちろん、痛くないわけではないが、せめてお仕置きなんて平気なところを見せよう、と私は虚勢を張っていた。必死に椅子の足を握り、お尻に振り下ろされる打撃を堪えた。
しかし、最初は大したことがないと思っていた痛みはどんどん酷くなっていった。私は平手を避けようと、お尻をもぞもぞと動かしたが、腰をガッチリと固定されており、大して動かなかった。思わず右手を放し、お尻を庇おうと腕を出したが、おじさんに捕まれ、背中に固定された。こうして左手は椅子の足を持ち、右手は背中に固定された状態で、パンッ、パンッ、という音は延々と続いた。
結局、私の虚勢は長くは続かず、声にならない声をあげはじめ、ついに痛い、と口をついた。痛い、痛い。声は泣き声に変わったが、おじさんのペースも叩く強さも全く変わらなかった。もちろん手加減はしていたのだろうが、その時の私には全くそうは思えなかった。とうとう私は足をバタつかせはじめた。何回ぐらい叩かれたのだろう。5分はとても長かった。永遠に終わらないのではないかと思った。
タイマーが鳴り始めると、おじさんはすぐに手を放し、私を立ち上がらせた。私は焼けるようなお尻を両手で擦り、どうなってるか見ようとしきりに振り向いた。赤いお尻がチラチラと見えた。
おじさんは今まで座っていた椅子の向きを変えると、私に椅子の背の部分にお腹をつけて、座面を両手で持つように言った。その格好を取ると、ヒリヒリするお尻が剥き出しにされた。膝下には脱ぎかけのパンツがからまったままだ。
視界の端で、おじさんが、スルスルと腰のベルトを外し、二つ折りにするのが見え、足が震えてきた。「14回だ。痛いけど、我慢するんだよ」おじさんはそう言うと、待つ時間もなく打撃が飛んできて、あまりの痛みに一瞬足が麻痺したようだった。お尻全体が熱かった。しばらく間を置いて、2回目。私は思わず手を放して立ち上がり、お尻を手で覆った。
「ダメだよ。手を戻して」おじさんが手を添えて姿勢を戻した。パンッ。腕の力が抜けそうだった。パンッ。連打ではなく、一定の間隔が開いていたが、お尻の痛みは毎回凄まじかった。打たれるたびに呻いたり、腰をくねらせはしたが、私は必死に椅子にしがみついた。根性のない子だと思われたくなかった。しかし目に涙が溢れるのはどうしようもなかった。
「終わったよ」おじさんの声がして、私は立ち上がったが、そのままジンジンする熱いお尻を抱えてしゃがみ込み、情けない呻き声をもらした。
ベルトを付けなおすと、おじさんは私の腕を抱えて立ち上がらせ、部屋の隅に行くように指示した。「あそこで壁の方を向いて、しばらく立っていなさい。なんでこんな痛い目にあったのか、よく考えるんだよ。お尻が冷えたら、パンツを上げてもいい」
私はまだパンツを足元に絡ませたまま、よちよちと部屋の隅に向かい、Tシャツの裾をなるべく引き下ろした。壁の方を向くように言われたが、お尻が気になり、何度も振り向いた。先程とは比べ物にならないほど濃い赤に変わったお尻が目に入った。
おじさんはテーブルの向こうで荷物の整理をしているらしく、こちらには注意を払っていないようだった。最初は頭に血が上っているようで、何も考えることができなかったが、徐々に落ち着いてくると、恥ずかしさと共に、これで終わりだという安心感が込み上げてきた。
数分してジンジンが少しおさまってくると、私はそっとパンツをあげた。それでだいぶほっとした。そのまましばらく壁の板の模様を眺めていると「もう落ち着いたかい?」とおじさんが声をかけてきた。うなずくと「じゃあ、帰る用意をしよう。お母さんが待ってる」おじさんはジーンズを投げてくれた。「そーっと穿くんだぞ。そーっと」おじさんはおどけたように言った。
私は急に元気になり、勇んで帰る用意をした。トラックの助手席には、行きにはなかった分厚いクッションが敷かれていた。「痛いからね」おじさんは、その痛みを与えたのが自分であることに気付いてないようだった。それでも凸凹道だとかなり痛み、もぞもぞとお尻を動かしたが、おじさんとクイズを出し合い、とても楽しかった。
家につくと、連絡をもらっていたらしいママが、心配顔で外に出てきた。私はそっとトラックから降りた。「おじさん、またね」「じゃあまたな、依理ちゃん」楽しそうな私達をママが不審そうに見ているのが面白かった。「後で連絡するよ」おじさんはママに言うと、そのまま軽トラックを発進させた。
2年後、度々門限を破ったことで、私は父に2回目の、そして最後のお仕置きを受けた。この時はもう父の娘だったから、特に意思は確認されず、遅れて帰宅した瞬間に、玄関に現れた父に「お仕置きだよ」と言われ、すぐさま居間に連れて行かれた。
あっという間にソファに座った父の膝の上にうつ伏せにされ、スカートをまくられて、なにが悪いのか言うように促された。「門限を守りませんでした」「破ったのは何度目?」母の声がした。「3度目」「違うでしょ、5回目でしょ」「こないだは電車を乗り間違えたの。その前はお腹痛くて休んでたって言ったじゃない」「連絡もせずに?」
父は呆れたように腕を差し上げた。「依理ちゃん、なかなか立派な態度だね」私は口をつぐみ、絨毯の模様を見つめた。父は腕時計をセットしはじめた。「6分だよ。ただし後半はヘアブラシだ」「ヘアブラシ?」私は思わず振り返った。父は母がいつも使っている楕円形の大きな木の柄のヘアブラシを私に見せた。母はこれで髪の毛をとくとツヤツヤになるのだとよく言っていた。
父はそっと私の背中を押して元の体勢に戻すと、ストッキングとパンツを太ももまで引き下ろした。自業自得とはいえ、仲良しの父に母の目の前でお尻を剥かれたことは、2年前のあの時より屈辱だった。
父はそんなことには全く頓着せず、すぐに硬い大きな手がとんできた。右、左、右、左。私は冷静に打撃を堪らえようとした。既にみっともない姿を晒してしまっているが、お仕置きが堪えているように母に見られたくなかったのだ。
声を出さないように奥歯を噛み締め、必死に足を動かさないようにこらえた。叩くペースは2年前よりも明らかに速く、すぐにお尻全体に痛みが走るようになり、バンッ、バンッと重い音が炸裂する度に思わず体をくねらせたが、絨毯に爪を立て、なるべく動かないように頑張った。
幸い、声をもらす前に3分がたち、一旦打撃はやんだ。横に立っていた母が父にヘアブラシを手渡したのが分かった。
右のお尻にヘアブラシが落ちてきた瞬間、私はああっという叫び声を上げた。お尻の表面が裂けるような、とんでもない痛みだった。続いてすぐに左のお尻。すぐまた右。平手の時のようなインターバルはなく、ヘアブラシは次々と振り下ろされ、とても我慢できずに足をバタつかせた。右、左、中央と冷静に振り下ろされるヘアブラシの下で、私は陸に上がったマグロのようにはね続けた。気がつくと、両足をみっともなく開いたまま、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、言うつもりのなかった言葉を繰り返しながら、泣きじゃくっていた。終わりのタイマーの音も耳に入らなかった。
父に体を起こされると、私はその場でお尻に直接両手を当ててしゃがみ込み、裏切られた思いで父を眺めた。いつもは優しい父に、容赦なくぶたれたのは正直ショックだった。
しかし、2年前と同様、父は平然としていた。「スカートを脱いで、あそこの隅で壁を向いて、しばらく立ってなさい」いつもと変わらない声で父は指示した。私はスカートの留具を外して脱ぐと、せめてもの抗議の意思を示そうと、憤然と壁際に向かった。足首にパンツとストッキングが絡まった状態では、全く効果がなかったが。
壁に向かって立ち、首を回してズキズキするお尻を眺めると、びっくりするほど真っ赤だった。こんな真っ赤なお尻を両親の前に晒しているのかと思うと、恥ずかしさで世の中を呪いたくなった。「なんでこんな痛い目にあったのか、よく考えるんだよ」父の声がした。
「あの時もこんな風にお仕置きしたの?」母が父に聞いている声が聞こえた。「あの時はもっときついお仕置きをしたよ。あれから、依理はずっと良い子だった。きっともう門限は破らないよ」父があの時のことを詳しく母に話していなかったことを知って、ちょっと父のことを許す気になった。
もちろん、その後の私は真面目だった。門限に大きく遅れそうな時は必ず事前に連絡したし、遅れたときもせいぜい数分。それ以外でも、決して品行方正とは言えなかったが、お仕置きに値するような大きな逸脱はしないように、十分気をつけた。何か仕出かせば、また母の目の前でお尻をぷりんと剥かれ、普段は私にデレデレの父に容赦なく「痛い目にあわされ」、その後2日は座るたびに苦痛を味わうことは確実だったからだ。
結婚して20年、両親は今も仲良く暮らしている。