夜更かし
「おはようございまーす!」
いつもの挨拶を言いながら、扉を開ける。天井から降り注ぐLEDの光が、薄暗い廊下とのギャップで、余計に眩しく感じる。
「お疲れ様でーす」
会員が口々に挨拶を返す。昼まで寝てたり講義中も寝てたりすることで、「おはようって今何時だよ」と突っ込まれたのも、もう半年前の話だ。今日は何人か講義で忙しいらしく、隣の席の同期も含めて空席が目立つ。会員用の籠から、紙を折り曲げて作っただけの三角柱を回収し、自分の名前が見えるように長机に置いて、席に着く。
「眠そうだねー」
そういうのは書記を務める先輩だった。長机の一番端で頬杖を付く彼もまた、実験が忙しいのか眠そうだった。
「ま、眠いのはいつものことですから」
先輩としては「後輩もいるんだからシャキッとしようね」という意味合いがあったのかもしれないが、眠たいのはしょうがないので軽く流すことにする。
「そういえば聞きたかったんですけれど、鵜川さんっていつ頃完成させたんですか」
向かいに座った新人…というにはもう半年たつので遅いか。後輩が訊いた。サギカワとか呼ばれたのもまた半年前の話だ。あの時はサギは読めて「ウガワ」は読めないのかとひっそり呆れた。そんな後輩は確か、制作に行き詰ってるんだったっけ。
「イベントのひと月前だったかな、焦ったけれど、そっちのペースなら大丈夫、かも?」
後輩は俺の名前の横に書かれた、もう一つの名前「チーリー」をしばらく見つめて、考え込む。脳内でスケジュールでも組んでいるんだろう。水色のオオカミの俺と違って、彼はチーターを制作しようとしているらしい。完成が楽しみだ。
話し終わったのを確認して、会長が立ち上がる。
「終わった?じゃあそんなわけで、楼大ケモノ・着ぐるみ研究会金曜例会を始めます」
『おはようございます』
『お疲れ様です、通話入ります?』
チャットソフトの「ケモ創作」サーバーに入り込むと、今日はやたら活発な議論がなされていた。なんでもひと月後に迫っているイベントで出す小説が、なかなか終わりが見えない、というか着地点が見えないらしい。イラスト勢の俺には何とも言えない話だが、この人はいつもなかなか漲る話を書いてくれるので、密かに応援していた。
通話ボタンを押して、議論が交わされていたのであろう空間に滑り込む。
「おはようございますー」
「お疲れ様ですー」
何人かの返答が返ってくる。小説絡みの大激論は終わったようなので、ゆるゆると、実はそんな余裕はないのだが、来たるイベントに向けた作業をしている人が大半のようだ。帰宅して遅めの夕食を取った後、ここにしばらくいて作業するのが毎日の日課だった。なんせあとひと月、自分もイラストで寄稿するのだから、遊んでいる場合はあまりない。サーバーの中には同じ合同誌に寄稿する人もいるのだが、お互いにいつ締め切りだっけ、と確認し合う度に焦っていた。
とは言うものの、SNSについつい手が伸びてしまうのもまた事実。何件か入っていた通知欄を開き、その中のリプを確認する。この前完成させたコミッションのお礼の言葉が届いていて、丁寧に言葉を選んで返した。
「シオンさん何描かれるんでしたっけ」
同じ合同誌参加の人が訊いた。俺は、誰に見られるともなく慌ててSNSを閉じると、何でもないように彼女に答える。
「2ページマンガですねー、あと数コマなんですけどね」
描画ソフトを起動させると、そこには真っ赤な体色の雌オオカミ獣人が描かれている。
「おはでーす」
「おつでーす」
「ケモノ集会」ワールドに入った途端、一緒に入ってきた鳥人に声をかけた。サーバー負荷軽減のために最初は壁の方を向いているので、そこに書かれた「入り口は反対側」表示に従って部屋の中へと移る。回線の問題か、しばらくは数多のポリゴンが映っているだけだが、そのうち徐々に全員の姿が思い思いのアバターに置き換わる。
知り合いに何度か挨拶しつつ、適当に話し相手を探す。暇そうにしていたのはユキヒョウで、自分と同じく女性アバターを主に使っている。中身は俺と同じく男で、音声が遅延するからって理由でボイスチェンジャーを使っていなかった。
「おはよう」
「おつ」
といつも通りの挨拶を交わしたところで気づいた。いつもフルトラッキング、つまり全身を使って応対できるはずの相手が、今日は妙にぎこちない。
「ひょっとして今デスクトップか?」
「いや。ヘッドセット付けてる、ただ」
今日仕事で足挫いてさ、ちょっと歩けないんだ、と残念そうに言う。いつもはリアクションにぴょんぴょん跳ねてるような相手だったが、今日はそのせいか元気がなかった。
彼と違ってフルトラッキングではなく、ヘッドセットとコントローラー一式のみな俺も、座り込む彼の目線に合わせて座る。
「そういえば見た目変わったな、帽子被ってる」
「気づいた?取り外しまではできないんだけれど」
黄緑色の髪、そう、灰色のオオカミとギャップのある髪の上には、ちょこんとハンチング帽が乗せられている。俺は今露出の低い女性オオカミのアバターだったが、黄緑色の髪に茶色の帽子は、ミラーを見るたびにそこそこ映えているような気がしていた。
「いいなあ、グラントみたいに俺もアバター改変してみようかな」
俺は色の変更と小物の増設だけだったが、彼は何もアバターをいじっていない。お互い、改変のみならずゆくゆくはフルトラッキングで自作してみたい、と言い合っていた。
「今度の休みにちょくちょく進めようかなー」
「いいねー、そういやもうすぐアプデだっけな」
そんな会話を続けていくうちに、ヘッドセットの外では夜が更けていく。
「お疲れ様」
「お疲れ」
夜闇に風が吹き抜けていく。強い風が毛皮に当たって心地いい。
「髪、染めたの?」
流石彼女だ。夜目が効く。俺の頭の毛が紫色になっているのに、早速気づいたらしい。
「ちょっとね、なんか夜に紛れそうな色にしたくて、普段は帽子被ってるからばれないんだけどさ」
そう言って耳をぴくぴく動かす。よくやってることだが、変身した後は体がどこか凝ったような感じになるので、全身をくまなく動かすことが多いのだった。
俺は腰を敗れたズボンで覆った半裸、片や彼女はどこから手に入れたのかあまり破れのない上下の服を纏っている。と言っても、短パンと半袖シャツとなると、彼女の綺麗な縞模様が目立って素敵だった。
「さーて、どうする、せっかくのデートだし山にでも行ってみる?」
伸びをする。今宵は夜闇に紛れて遊ぶにはちょうど良い。尻尾はぶんぶん揺れていて、彼女と遊ぶ嬉しさが隠しきれていなかった。
「そうだね…例のクラブ、行ってみようか」
クラブというのは同類が集まった山奥のホテルの集まりだった。この時間帯だったら開いているし、既に人間としても成年だ。飲酒は問題ない。貴重品は手元にある。となると興味本位でも行ってみていいかもしれない。子供は帰れ、なんて言われたらその時はその時だ。
「言われないと思うよ、ケモノの集まりって居心地良いらしいし」
そう、人虎の彼女が妖しく目を光らせて言う。お互いこの猛獣のような雰囲気に惚れたのだから、全く敵わない。それに、ケモノの集まりが居心地良いのは、人間の世界でもケモノの世界でも同じことのようだ。
そう、どこでも同じ。例え俺がチーリーでもシオンでもグラントでも、そして
「アルシ!行こう!」
鵜川有志でも人狼のアルシでも変わらない。今までも、きっとこれからも。
そんな心地良さを全身で感じながら、身体を宙に躍らせる。
今日の月は、三日月だった。