第27話 秘鍵
「密厳浄土の法を説こうか?」
そう言った羽矢さんを、回向の父親は見据えるように見ていた。
密厳浄土……大日如来の浄土だ。
羽矢さんに寄り添うようにも、側についた回向。
隣に回向が立った事に羽矢さんは気づいたようで、穏やかに微笑んだ。
『俺の頭の中にある文字には、回向、お前の頭の中にある文字を頼れと教えている』
回向の頭の中にある文字を……頼れ……。
……そうか……。
『お前が信じているものを、俺も信じているからな』
羽矢さんが回向に言っていた言葉。
……羽矢さん……。
油断した、なんて……本当は……。
分かっていたんじゃないだろうか。
今までだって、まるで先が見えているような行動だった。
この神社に来た時の、何か深く考えていたあの表情も、この事にどう繋げるかを考えていたんじゃ……。
深く頷けた。
密厳という言葉が出た事に。
浄界を処とする羽矢さんだが、冥府においてその審理を行うのは五道転輪王、仏の姿なら阿弥陀如来だ。
それに……回向も分かっていた。
『本当の地獄は何処にある?』
そう口にしていた回向だが、高宮は回向もまた救済の為に存在していると言っていた。
だから……即身成仏なんだ。
少しの間が開くと、回向の父親は口を開いた。
「密厳浄土……そして無量を主張する……か。成程。お前たちのその様子も、共に同じだと説いているようだ。回向……お前はその為にその道を選んだという事か。ならばもう……確かに身を隠す理由もない訳だな」
「……そうだな。冥府の番人の領域を侵す事にはならないと理解していれば、身を隠しはしなかった」
回向は、羽矢さんの前に立ち、錫杖を構えると、はっきりとした口調でこう言った。
「十方世界、一仏国土。密厳大日、極楽弥陀、名は異なれど一処同体」
密厳浄土の大日如来、極楽浄土の阿弥陀如来。この二仏は、名は違っていても同じ浄土であり、一つの仏……つまり同体であるという事だ。
そして……。
『光明遍照……それはお前も俺も同じに持っているものだ。ただお前は……この世にそれを求めただけだ』
同じ浄土であるとしても、回向からしてみれば、この地獄のような穢れた下界も、密厳浄土であるという事だ。
だからこそ……救済すると決めているのだろう。
この世で。この世だからこそだ。
それが回向の真意であり、即身成仏であると言えるのだろう。
目を刳り抜かれた大日如来。この地の何処かに埋められているだろう、阿弥陀如来。
本殿に隠された姿も見る事は出来ず、浄界への道を断たれているとしても、羽矢さんと回向ならきっと……。
回向が言った言葉に、父親はふっと笑みを漏らした。
「だからお前たちもそうであると……? 同じ国土に足を置き、不二であると……そうか」
そう呟くと笑みを止め、睨むようにも羽矢さんと回向を見た。
その強くも鋭い目線を遮るように、二人の前に蓮が立った。
「ちょっと待て。開扉しないんだったよな?」
……蓮。
「……それが?」
蓮へと変わった目線。
蓮は、クスリと静かに笑みを漏らした。
「まあ元々、神の姿は見えはしないが……見えない姿の中にある、見えない姿を絶対に開扉しないと言うならば、表立っているのは当然、神だよな?」
「だからなんだ?」
蓮は、ザッと地に足を滑らせ、またクスリと笑う。
「回向……羽矢を頼んだぞ」
「ああ、任せておけ」
蓮が蹴った地から、土埃が霧のように舞い、羽矢さんと回向の姿を隠していく。
僕は、蓮に手を引かれ、蓮の隣に立った。
ゆっくりと瞬きをする蓮は、再び開けた目で前を見据えると、こう言った。
「じゃあ……開扉したくなるまで、相手は俺だな」