第4話 開闢
眼、目に見える闇は色を隠し、そこにあるべきものを見せる事はなく、耳、耳に聞こえる音もなく、鼻、匂いも漂わせる事はない。
舌、味を含ませるものもなく、身、その身に触れ、感じる取れるものもない。
何一つ捉える事の出来ない感覚は、意、知り得る事も、何の思いも起こされない……『無』だ。
「……蓮様。足元にお気をつけて下さいませ」
この闇は。
「ふん……気をつける足元もないだろう。天と地が混ざり合う混沌……天も地も差別ない。柊」
「はい、蓮様」
衣が掠れる音。柊の手が動きを見せたのだろう。
蓮の言った通り、気をつける足元もない。
閉ざされた光の中で進めた足は、方向さえも不確かになっていた。
それでも蓮は、躊躇う事なく歩を進め、誰もがそこに向かえる足場を持っていた。
柊が動きを見せた事で、うっすらとした明るさを浮かび上がらせた。
色、光はそこにあるものを照らして目に色を見せ、声、全てのものの存在にあたっての音を耳に届かせる。香、そこにあるものの香りを漂わせて鼻に伝え、味、その味を口に伝えて、触、そこにあるものの存在に触れれば、その身に感触を得られ、法、そのものが持つものを知り、思いを巡らせて意を示す。
浮かび上がった明るさが、次第に上へと昇っていく。
その様を見ながら、蓮が口を開いた。
「明らかなるものは上部に落ち着き、暗くも濁ったものは下部へと落ち着く。だが……」
全ての界より誘いし出でる、神という名をもって降り立つ式神。
一つに纏まったその闇は、天と地の差別なく、混ざり合った一つの空間。
一つであって一つとは言えず、二つの要素を備えているという相即……。
天と地は分けられて、天は高く昇り、地との差を広げた。
広げられた差は、埋める事は出来ず、互いに手を伸ばしても届きはしないが、遠いはずのその存在と、関わり合って対とする。
だが、それだけに留まらない。
これが……境界を繋げる橋。
当主様が全ての神社、寺院に立ち入る事が出来るというのは、ここから来ていたんだ。
蓮の言葉を継ぐように、羽矢さんの声が流れた。
「一にして二を備えるは、十のみならず、三、四も備える」
羽矢さんの言葉を追うように回向が答える。
「一即一切。多を有して一を成す」
「相即相入……互いに作用し、調和を保つ」
交互に言葉を並べる、羽矢さんと回向。
「尽きず、滅びず……」
そう回向が言葉を重ねると、羽矢さんの声がはっきりと響いた。
「如来無尽の大悲をもって、三界を矜哀す」
蓮の手が、そっと僕から離れたが、心配するなと言うように笑みを見せた。
僕は、蓮の笑みに笑みを返して頷いた。
蓮は、スッと足を横へと滑らせると、顔の前で指を立てる。
羽矢さんと回向が蓮に並んだ。
何気なしに高宮を振り向くと、高宮は回向へと真っ直ぐに目線を向け、笑みを見せながら静かに頷いていた。
その表情に、高宮が回向に言った言葉が思い起こされた。
『あなたの願いを守りたかっただけ……』
羽矢さんが衣の袖を振り、黒衣を僧侶の衣に変えた。
錫杖を揺らす回向。遊環がシャランと音を立てる。
はっきりとした蓮の声が響いた。
「さあ……開闢だ」