第7話 理由
鬼籍に何も書かれていない……。
それどころか、名が浮かんだかと思えば、直ぐに消える。
……魂が……奪われている。そう感じた。
思っていたよりも、事が大きく広がっている事にぞっとした。
「……羽矢」
羽矢さんの愕然とした様子に、蓮が心配する。
羽矢さんは、目線を下に落としたまま、硬直した様子だった。
強張った表情でポツリポツリと言葉を口にし始める。
「冥府の……番人の名に……おいて……」
瞬きもせず、震える声でそう口にしたが、言葉が止まった。
「……羽矢」
蓮が、しっかりしろと羽矢さんの腕を掴んだ。
顔を伏せる羽矢さんの体は、怒りからなのだろう、震えていた。悔しさを握りつぶすように、ギュッと手を握り締める。
「……藤兼」
羽矢さんの様子を見兼ねたのか、閻王が羽矢さんを呼んだ。
羽矢さんは顔を上げる事はなかったが、閻王は言葉を続けた。
「お前の怒りなど察するに至らぬ。我が元にお前を置く理由は、言わずとも分かる事だろう。お前が我に言った言葉を、忘れた訳ではあるまい」
閻王のその言葉に羽矢さんは、ハッとした様子で顔を上げた。
少しの間、閻王と羽矢さんの目線は、互いをじっと見つめたまま動く事はなかった。
抱えた悔しさが、羽矢さんの信念を呼び起こしたのだろう、表情が変わった。
強く、真を見据える瞳。
揺れ動く事のない真っ直ぐな目は、閻王に思いを伝えた事だろう。
閻王の声が強く響いた。
「行け」
低く響く声が、その短い言葉の中に重さを伝えていた。
羽矢さんは、真っ直ぐに閻王を見ると、強さを持った声で返した。
「承知」
下界に戻った僕たちは、羽矢さんの寺院の本堂の中へと入った。本堂にはうっすらとした明かりが灯っていた。
中に入ると真夜中だというのに、内陣には住職が本尊を前に座っていた。
僕たちは、住職の背後で足を止める。
「……羽矢」
住職は、振り向く事なく、羽矢さんに声を掛けた。
住職の後ろに僕たちは座った。
「御子息も依さんもお聞き下さい」
住職は、振り向く事はなくても、僕と蓮も一緒だと気づいていた。
静かに入って来た僕たちだったが、僅かな気配でも、何人いて、それが誰なのか分かるのだろう。
「冥府の番人、別名……死神。私は、こんなにも早くその座を羽矢に就かせる気はありませんでした。それでもその座に就かせたのには訳があります」
住職は、落ち着いた静かな口調で話を続けた。
「奔放な上に自分が決めた事を譲らない。その奔放さが災いして、生死を彷徨った事があるのですよ……」
生死を彷徨った……羽矢さんが……。
住職は、少し顔を上げ、本尊を見ると、少し間を置いて言葉を続けた。
「私は、冥府の番人としての務めを、親という立場で利用したに過ぎません。羽矢を連れ戻そうと冥府に行きました。ですが……」
住職の話は、胸を熱くさせた。
その力があるからそれが出来る……だけどそれでいいのだろうかと自責の念に駆られる。
住職の静かな笑みが本堂に響いた。
「堂々とした様子で羽矢は、閻王の前にいたんです……私の口添えなど、羽矢には必要ありませんでした……」
続けられた言葉は、その時の羽矢さんが目に浮かぶようで、それが閻王が羽矢さんに言っていた『理由』なのだろう。
『俺は、一つの道を進んできた。それが間違いであるのなら、下界に戻る理由はない』
住職の声が強く響いた。
その声は、閻王と同じ響きを持っていた。
「行きなさい、羽矢」
住職の言葉に羽矢さんは立ち上がり、住職に答えた。
「承知」