第2話 無闇
満面の笑みを見せて、羽矢さんは言った。
「やっぱりここは奈落……地獄巡りっていうのはどうだ?」
……地獄巡り。
「遊びに誘うみてえな言い方すんな、馬鹿羽矢」
「まあそう言うなよ、意外に楽しいかもしれないよ?」
「そんな訳ねえだろ、クソ死神」
「あれ……? 俺、まだ門、開けてねえけど?」
「本音以前に、当然があるんだよ。言われて当然ってやつがな」
「でも行くだろ?」
「行くしかねえだろ」
「じゃあ、決まりだ。地獄の門を開けるぞ」
羽矢さんは、クスリと笑みを漏らすと、袖を大きく振った。
衣の色が黒に変わっていく。そして、ゆっくりと瞬きをすると、その目つきも表情も一変する。
「ここからは俺たちの領域だ」
熱気を帯びた風が強く吹き抜けた。
開かれた地獄の門は、目に焼き付くような真っ赤な赤い口を開けていた。
「依」
蓮が差し出した手を僕は掴む。
羽矢さんが微笑ましくも、僕と蓮を見ていた。
「行くぞ。何を見ても大声出すなよ。当然、それ相応……いや、それ以上の応報だ」
「そうだな。それ以上、だ」
「それなら、行きたくなっただろ?」
「ふん……当然だ」
「それはよかった」
羽矢さんは、躊躇いもせずにしっかりと地を踏み締め、先に入って行った。
僕と蓮は、羽矢さんの後をつく。
進んで行けば進んで行く程、熱気を帯びた空気が強くなってくる。
だが、境界でも抜けたように、熱気が薄れていく。同時に真っ赤に染まっていた空間が、赤黒くも変わっていく。
それでも中和されたような生温い感覚がそこにはあった。
それが何故なのか、辿り着いた場所で容易に判断出来る。
……ここは……。
羽矢さんは、足を開き、構えるような体勢を取りながら、はっきりとした口調で言った。
「河原だ」
うっすらと立ち込める霧。
水の音の中に聞こえる、舟を漕ぐ音が不穏を呼ぶように近くなってくる。
笠を被った人の姿が、目に捉えられた。
やはり……この舟守は……。
「ようこそ、私の領域へ」
舟守……そして神司。高宮 右京。
「よく分かりましたね……そちら側から入って来られるとは、これも藤兼さん、あなたの立ち入りが出来るようになったからでしょうか」
「地獄と言っても様相があるからな。ここはその一つに過ぎない。河原と言えば、死後、直ぐに向かい、河を渡る事が出来たなら、浄界への道も見えると思いがちだが、実は違う。確かに河原は地獄へと繋がる場所ではあるが、そう言われるのも、この河原自体がもう地獄だからだ」
高宮は、笠を摘んで顔を見せると、クスリと笑みを漏らした。
そして、僕と蓮にちらりと目線を送ると、また口を開く。
「おや……? 気づかれましたか、私と彼の『秘密』に」
煽るようにも聞こえる高宮の言葉に、蓮が答えた。
「秘密……? 呪いの間違いだろう」
蓮はそう言うと、指をスッと高宮に向けた。
「呪いを掛けるには、接点が必要だ。闇雲に人を呪っても届きはしない。それをお前は『秘密』という形で、闇を作った。分かるか? 闇雲ってな、見通しも立たない中でも無理に行う事だ。それってな……」
高宮の目がピクリと動く。
蓮は、高宮のその表情を確認すると、言葉を続けた。
そこにないものをあるとは言えない。
光が差せば闇は消える。だが闇には実体がない。
ただそこに光がないだけだ。
蓮のその言葉に、羽矢さんはニヤリと笑みを見せた。
「『無闇』って言うんだよ」