第26話 境地
手にした人形。
そこには僕の名が書かれていた。
「僕……ですか」
驚いたからじゃない。
急に苦しくなって、地に膝をついた。
「う……」
「依……!」
蹲った僕と、蓮が目線の高さを合わせた。
苦しさに腹部を押さえる僕の手には、生温い感触を与えていた。
……血。
……これ……まさか、あの時の……。
依代が突き刺さったところ……。
『この地に留まる神霊よ……供する身をここに選んだならば、この身に宿る式神となれ』
供する身……この身に宿る……式神。
『触れるな。祟るぞ』
……祟る。
『少しの隙でも見せれば奪われる。そうやってしっかり掴んでいろよ、蓮。絶対に離れる事のないようにな』
……奪われる……。
『……見つけた』
見つ……け……た……。
様々な言葉がぶつかり合って、繋がり合って、苦しさに拍車を掛ける。
「う……あ……」
「依……」
蓮が僕の体を支える。
羽矢さんも僕へと近づいた。
僕の様子にも羽矢さんは冷静だった。
「蓮……もう話してくれないか」
羽矢さんの静かな声が、蓮の口を動かした。
「言っただろ……神仏混淆の名残りがある山に登ったと」
「ああ」
「境界の確認、式神を持つ事……あとは『依代』の確認だった」
「ああ」
「頂上に行く途中、お前も見ただろうが道が分かれていた。選んだ訳ではなかったが、一つの道に俺は進もうとした」
「ああ」
蓮の話に、羽矢さんは先を促すように頷きを繰り返した。
「……依が……俺を止めたんだ。その瞬間……」
「落ちたんだな?」
「……ああ。落ちて……依代が刺さった」
「それが……その一つ、か」
僕は、蓮と羽矢さんの言葉を聞きながら、苦しさに耐えていた。
『あの場所に眠る依代は、数にして百八十八……だが……蓮…… 一つ足りない』
「ああ、そうだ……その一つだ」
「……そうか」
「羽矢……お前も話してくれないか。その話……繋がるんだろ」
「……そうだな」
羽矢さんも屈むと、苦しんでいる僕の背にそっと手を置いた。
「神仏が分離されても、下界に置かれるその姿は権現だ。名を変え、姿を変えても本来の境地がある……それをどう崇めるかは、思想の違いじゃないか、蓮」
「……ああ」
「仏は祟らないが神は祟る……崇めると祟るは、似て非なる字だ。だが……似ているだけあるんだよ」
「……分かっている」
「そうだよな……お前はよく分かっているよな……だから総代は、あの場所に行かせたんだ」
羽矢さんは、僕の体に手を回し、そっと寝かせると腹部に触れた。
「あの場所に眠る依代……その一つが目覚めたんだ。いや……目覚めさせたと言った方がいいな」
蓮はそう言って、僕の腹部に触れる羽矢さんの手に自分の手も重ねた。
「だから……境界はなくとも、その境地は……分かれているんだよ……」
そう呟いた蓮の声は、悲しげだった。
……蓮。
『併存しているんだろう? それなら、ここには境界はないと伝えればいい』
『そう……ですね』
歯切れの悪かった僕の返事。
蓮は気づいていた。
「俺はそれでも仏の道を進んでいる。その境地を守る為にだ。だったら……蓮……」
……羽矢さん。
羽矢さんの静かな声は、重くも強く響いて、蓮の決意を固めるようだった。
あの時の蓮の言葉が浮かんだ。
『仏も神だと言われたのは、神の姿は仏の化身だと言われていたからだ。そうだとしたら、どちらかが消えても、どちらかは存在する事が出来る。どちらかが存在していれば、どちらも存在しているのと同じ……そう思わないか、依』
「蓮……お前は神の道を行け」