第36話 本貫
「独神は双神に地を託し、身を隠す……それは『空』に等しい事だと、言えるのではないでしょうか……」
来生の言葉が流れると、神祇伯が舟を動かし始めた。
高宮がその姿を追うように、河岸に立った。
互いに合わせる目線に、多くの思いを伝え合った事だろう。
「私はそれでいい。それがいい……右京」
「……はい」
思いを吐き出すような声だった。
高宮の思いを受け取るように、来生はゆっくりと頷きを見せる。
来生の姿が遠くなっていく。
割れた河原が元に戻り、うっすらと霧が立ち籠めた。
遠くなっていくその姿が霧に包まれ、次第に見えなくなっていく。
それでも高宮は、来生が消えて行った方向を見つめ続けていた。
「……右京」
回向が高宮を支えるように、背中に手を添えた。
高宮は、回向を振り向くと、大丈夫と頷きを見せた。
「『空』……か。やはり……お前がいなければ、聞く事が出来なかった言葉だな……奎迦」
当主様は、住職を振り向いて、静かに笑みを漏らした。
「流……」
住職は、当主様をじっと見つめる。
住職の真っ直ぐな目線に、当主様は笑みを止め、目線を河原へと戻すと住職に言う。
「……それでいい。そのままでいい。だから……このままでいい。……このままがいいと思っているよ」
当主様が先に答えたのは、向けられた住職の目に、どのような言葉が含まれていたのかを分かっていたからだろう。
住職も目線を河原へと戻したが、当主様が察していても、言葉は続けられた。
「『神社』である事に変わりはないからか。本来ならば、お前が持つべきものは……」
「奎迦」
当主様は、穏やかな口調で笑みを見せながら、住職の言葉を止めた。
「私には、後悔など何もないんだよ」
「ふふ……そうだな……すまない。変わりはない、か。持つべきものは捨てた訳でも、捨てさせられた訳でもないものだ。そしてそれは、既にお前自身の中にあるのだからな……失う訳もないな」
「ああ、勿論だ」
住職は静かに二度頷くと、話を続けた。
「来生と瑜伽が守り続けていた処……か。神仏分離が行われ、廃仏毀釈で寺は廃され、神社合祀で神社も廃された。流……お前の立場から言えば、反目も同然の事をお前は成し遂げたのだから……神仏混淆。その処を作り上げ、その処を守り続けている。今までも、これからも……な……」
「ああ。共に……な。それが互いの望みであるのだから、少しの苦もない」
「そうか……本当にお前には、頭が下がる」
住職の言葉に、当主様はにっこりと笑みを見せた。
「それは私も同じだ、奎迦」
当主様は、ふうっと息をつくと、こう口にした。
「……あの時、あの場所にいた、たった一つの存在……私はそれを望んだのだから」
……たった一つの……存在。
他に目を向ける事なく、その存在だけを見つめていた……。
ふっと頭に浮かぶのは、やはりあの光景だ。
『おいで……依』
あの時、あの場所にいた、たった一つの存在……。
他の何よりも、誰よりも。
掴もうと互いに手を伸ばし合った。
当主様にとってその存在とは……。
……柊だ。
『願いというものそれ自体が、全てにおいての呪縛……この手に掴み、離れる事なく、繋がっていて欲しいと焦がれる事に、失う術はないと、わたくしはお答え致しましょう』