第35話 独神
「ここまでやらなければ、延々と続く呪いだ……」
回向が指を弾くと、人魂に絡み付いていた縄が燃え上がった。
「調伏した金縛の縄を解縛する」
……解縛。
解縛された瞬間に、人魂が弾けて分散した。
ゆらゆらと河原に人魂が漂う。
呪縛なしの調伏には。
……慈悲しかない。
燃えていく縄を見つめながら、回向が呟くように蓮を呼ぶ。
「……紫条」
「……言っただろ。俺に伝える言葉など、時を無駄にするだけだ」
そう返した蓮に、回向は苦笑する。
「言葉にしなければ……分からない事だってあるだろ」
「言い訳を聞けと言うのか? 言わなくていい言葉だってあるだろ。自身の行為を認めて欲しいと伝えれば伝える程、歯車が狂うんだよ。何の為……誰の為……平等を謳っておきながら、実際の行為は平等にはならない。それが現実だろ……」
「紫条……」
「羽矢」
蓮の呼び声に、羽矢さんの手が動く。
数珠を握った手が、河原を動かすように振られると、河原の裂け目から、龍が飛び出してきた。
水飛沫がキラキラと光を放つ。その一つ一つが、分散した人魂へと入り込むように降り落ちていった。
……綺麗だと思った。
天高く昇り、まるで、空に鏤められた星のようだ。
その中で強い光を放つものが一つだけある。
蓮は、強い光を放つ人魂を示すように、手を龍から人魂へと滑らせる。
その動きに反応して、龍が人魂へと向かった。
龍が魂を飲み込むと、光が弾け、真っ白な光が広がった。
一瞬、光以外、何も見えなくなったが、光が和らぎ、辺りを映し出す。
「流……!」
神祇伯の乗る舟から声が響いた。
その声に当主様は、声を詰まらせた。
……当主様……。
声の主へと目を向けたままの当主様に、住職が近づき、背中を押す。
当主様は、ゆっくりと河岸に足を運ぶ。
「……来生……」
高宮の……父親だ。
衣冠姿で現れたその姿は、高宮と見紛う程によく似ている。
此岸と彼岸。
神祇伯が乗る舟は、彼岸側だ。
当主様の手がぎゅっと握られた。
「……長い時を繋ぎ止めたな……来生」
そう呟くと、当主様は寂しげに微笑んだ。
当主様の言葉に、声が返ってくる。
「後悔していると答えて欲しくはありませんが……」
「後悔など……しているものか」
「それならば良かった。ですが……後悔しているのは、どうやら私の方だったようですよ、流」
「ああ……だから待たせた……待たせてしまった」
「そうですね……分かっています。分かっていたのに、納得する事が難しかった……それがこの結果を招いたのでしょう」
「神仏分離で廃仏毀釈……後の神社合祀で居場所をなくした。飲み込まれていく霊魂には、その姿が消えぬようにと、力を示す神号を重ねていく事だけだ……」
当主様はそう答えると、深い溜息をついた。
高宮の父親は、ふふっと静かに笑うと、当主様に答える。
「その神号も結び付きを奪われれば、祖神さえも奪われる……祖神とは、氏族の系譜に於いても、地位を成り立たせ、引き継がれるもの……それは天地開闢の根源までをも、大きく左右する事でしょう」
「そうだな……」
当主様は、また寂しげな笑みを漏らした。
当主様と高宮 来生の視線が重なったまま、間が開いた。
言葉を交わす時に限りなどないのならば、この間が開く事はなかったのかもしれない。幾多の思いを語り合えば合う程、終わりはないと互いに気づいているからだ。
それに……多くを語れる時を、この界は与えはしない。
『また明日』は……ないのだから。
「……流」
住職が当主様に時を告げる。
当主様は、分かったと頷いた。
神祇伯が舟を動かし始める。
別れの悲しみを和らげるように、来生の声が緩やかに流れていった。
「独神は双神に地を託し、身を隠す……それは『空』に等しい事だと、言えるのではないでしょうか……」