第33話 無極
神祇伯の言葉が、はっきりと映し出されるようだった。
『鬼と称すは人魂。怨敵四魔を破る祭文。罪穢れを移す祓詞は、閉ざされた戸を開き、闇を解除する』
人魂が鬼……神祇伯が言った四魔とは、煩悩の事だ。
「お前が持っているものに、俺が持っているものが、相重なるだけだ」
そう言った蓮に、回向が答える。
「空っぽであるという『空』には、無の中にある有を以って相即とする。それが自然だ。つまりは生死即涅槃は空を説く」
回向の言葉に、羽矢さんは笑みを見せる。
羽矢さんの笑みに、僕は察する事が出来た。
『お前は託されているんだよ』
『還相回向……それでもお前はその名を嫌うか?』
自然虚無無極……だ。
だから……回向なんだ。
生は一度きり……だが、この界には輪廻転生という概念が存在する。
自己一身である生に、因果応報が結びつくのは、一身で罪を償い切れず、子孫にまで及ぶという、正しいとは言えない結びつきだ。
だからこそ、往生成仏するに至っての還相が必要となってくる。
蓮と同時に回向は印契を結び切った。
人魂に張り巡らせた呪符が、グルグルと周る。
蓮が印契を結び切り、同時に回向も印契を結び切る。
即座に印契を結び切れるのは、見様見真似なんかではない。回向はその術を知っているという事だ。
人魂は、火の勢いを強め、呪符を焼き尽くそうとするが、呪符が燃える度に、呪符が増えていく。
これが怨念の強さなのか、呪符だけでは押さえ切る事が出来なさそうだ。
当主様は、蓮に託したのだろう。それは回向と高宮の為でもあるのだと分かった。
『お前の罪……俺が祓ってやるよ』
「紫条……お前は……」
人魂が呪符に押されていく中、逃れようと暴れる人魂を見据えながら、更に印契を結ぶ回向は、蓮に言う。
「このやり方で……祓い切れると思っているのか」
「馬鹿かお前は。くだらねえ質問しているんじゃねえ。思っているからやっているんだろーが」
「……紫条……」
「葬送は仏式……高宮の父親は、誰が送った? 俺にはその答えは、一つしか見えねえんだよ」
怨念を吐き出そうとするようにも、人魂が火花を撒き散らした。
「葬送を司る氏族『水景』……お前の父親が国に属し、神祇伯となったならば、その葬送を行ったのは……」
呪符が破られ、燃えていく。人魂は更に大きく炎を上げ、膨らんだ。
河原が大きく波を立て、荒れる。
水飛沫が霧のように舞ったかと思うと、辺りを真っ赤に染め上げる。
赤い霧だ……まるで……血のように……。
蓮の言葉を聞く回向は、歯を噛み締める。
蓮は、回向の抱えた思いを砕くように、大きな声で言った。
「お前しかいねえんだよっ……! 水景 回向!」
あの時、後悔を示すようにも呟いた回向の言葉……。
『道が……狂ったんだ……』
そして……。
高宮が口にしたあの言葉も、今ここで成り立った……。
『願いを叶えるのは、神であるのか仏であるのか……と。彼はそれを使い分ける事が出来ますからね』
蓮が呪符を構えた。
「分かってるな? 知らないとは言わせねえぞ、回向……いや。お前が呼んでくれと言っていたように呼んでやるよ……半俗験師……!」
蓮の言葉に、回向の表情がもどかしそうにも歪んだが、験者であった回向には届いたはずだ。
それが伝えられた事が、同時に放たれた詞によって表された。
蓮と同じ詞を口にした回向の表情は、迷いを払拭し、決意を固めた真剣な表情だった。
「「急急如律令……!!」」