第24話 河臨
「待たせてすまなかったな……来生」
当主様が龍へと差し伸べた手。悲鳴のように響く、龍の大きく鳴く声が空間を震わす。
当主様の指が、龍へと向けて撫でるように緩やかに動いた。だが、反対に龍は、当主様の指の動きに叫び声をあげ、苦しみを訴えた。
その様を見つめる神祇伯の表情が、同じように苦しみを感じているように見えた。
龍の声が大きく鳴き叫ぼうとも、当主様の手は、動きを止めはしなかった。
龍の鱗がポロポロと剥がれ落ちていく。当主様の手が動く度に剥がれ落ちているんだと、誰もが分かった。
鱗が剥がれる苦痛を吐き出しながら、身を捩らせ、暴れ回る。苦しむ姿を見ているのが辛いのだろう、神祇伯が目を伏せた。
その様子に気づく当主様は、手を動かし続けながらも神祇伯に言う。
「……目を逸らすな、瑜伽」
「……分かっている……だが……」
目線を戻せず、歯を噛み締める神祇伯に、住職が口を開いた。
「ならば……流の腕をよく見てみるといい」
「奎迦……?」
住職の言葉に、神祇伯の目線が当主様の動かす手にと向く。
暴れ回る龍が強い風を生んで、当主様の衣が翻えり、袖が捲れた。
……当主様……。
当主様の腕には、鱗模様が浮き上がっていた。
「父上……」
「……総代」
刻まれるようにも現れる鱗が腕に広がっていき、次第に血が滴り落ちた。
ポロリと龍から鱗が落ちれば、ポタリと当主様の腕から血を落とす。
それは体中に広がってきているのだろう、当主様の首から頬に掛けてピリピリと、亀裂を入れるかのように模様を作り、血を流れさせた。
同じ痛みを受け入れている……その痛みは相当なもののはずだ。段々と、身につけている衣にも色を移らせ、染めていく。だけど当主様は、表情に出す事はなかった。
「おい……蓮……」
当主様を心配する羽矢さんが、蓮にどうにか出来ないのかと声を掛ける。
「……無理だ。間に入る事は許されない。術の均衡を崩し、術を掛けた父上に全て戻る」
「そうなれば、善も悪も関係なく、総代の方が全て持っていかれるって事か……」
「……ああ」
当主様の腕から滴り落ちる血が、量を増していく。
「……流……もう……」
「やめろなどと言うなよ、瑜伽。無論、十分などと、口にはするな。私が鎮めると言った時に、お前は剥がすと分かっていたはずだが?」
そう言いながらも、当主様は龍へと目線を向け、手を動かし続けている。
「だが……流……お前まで……もう……身代わりに出来るものなど……何も……何も出来ない……」
「身代わり……? ふふ……瑜伽。そもそも私は、身代わりになどなっている訳ではない」
当主様の手が大きく横に振られた。
バッと風が吹き抜ける。
ビリビリと、体にまで震動を与えるような龍の大きな鳴き声と共に、大量の鱗がまるで花弁のように散った。
当主様の腕から滴り落ちる血も飛び散り、重なり合って舞い散る鱗を包むように染めていく。
剥がれ落ちた鱗。当主様の血が混ざって、字が浮かんだ。
そしてそれは……。
「人形……」
驚く僕は、その様を見ながらそう声を漏らした。
鱗が……当主様の血と混ざり合って……人形に変わった……。
住職は、会心の笑みを漏らすと、小さく二度、頷きを見せる。
そして、促すように神祇伯に目線を向けた。
「瑜伽……お前なら出来るのではないか?」
「穢れを人形に移したのか……撫物棄却……鎮める……水の中に沈めると……」
「流の意に気づいたのならば、尚更……お前にしか出来ないのではないのかな?」
住職の言葉に、神祇伯の表情が真顔に変わった。
「河臨法……か」
「ふふ……その通り。瑜伽……」
住職の言葉に重ねて、神祇伯が答える。
「正しく混淆だな……だが、今の私には適宜している」
神祇伯はそう言うと、自信を持った笑みを見せた。