第18話 持明
「ならば、行け」
「承知」
閻王の言葉に住職は答えると、踵を返した。
僕たちの脇を抜け、先を行く住職に当主様と神祇伯がつき、僕たちも後を追う。
「……ところで……」
歩を進め始めた僕たちの背に、閻王の声が投げ掛けられる。
「疑問がないところが……逆に疑問を生むとは思わぬか」
閻王の言葉に住職は、肩越しに振り向くと、クスリと笑みを漏らしてこう答えた。
「……閻王。それが『秘密』というものでは……?」
住職は、真っ直ぐに前を見ると、止めた歩を進め出す。
閻王の楽しげにも聞こえる笑みが、住職の背中へと送られているようだった。
疑問がないところが、逆に疑問を生む……。
閻王の言葉を頭の中で繰り返す僕の目は、前を歩く神祇伯へと向いた。
今に至るまでの、数々の事を思い返す。
河原で消える魂……舟守は神司……結びついたものは、神社に置かれた宮寺だと……。
ああ……そうだ。
『お陰で鬼籍が、止まる事なく名を記し続けている。河原の舟守が苦を呈しているぞ』
あの時、僕は、今と同じ疑問を抱いていた。
閻王に答える住職の言葉に、その疑問も考え続ける事はなかったが。
……配置。
再び疑問が浮かんだ瞬間に、その言葉が頭の中で弾けた。
それと同時に、辿り着いた目の前の光景に、瞬きを……忘れた。
今……僕がこの目にしているものは……。
羽矢さんが、住職の隣へと立った。
「河を舟で渡るには渡し賃がいる。棺に入れる六文銭、今ではそれを描いた紙だ。だが……」
羽矢さんは一度、言葉を止めると、クスリと笑みを漏らして続けた。
「生前にその取引が済んでいたなら、話は早い。対価以上を要求する事も可能だろう。例え、戻る体がなかったとしても、『依代』に与えればいい。だがそれは……復活の為の供物として、だ」
あの時と……この河原で高宮を見た時の、あの時と同じ言葉だ。
そして、返ってくる言葉も。
「……到着がお早いようで、なによりです。お探しのものは見つかりましたか……?」
河原に浮かぶ舟の上に、その姿はあった。
高宮……。どうしてまた……舟守に……。
だが、あの時と同じ言葉を口にした高宮の表情は、以前と違って穏やかな優しい笑みを見せていた。
「……ああ、見つかったよ……」
羽矢さんは言いながら目を伏せると、ふっと笑って顔を上げる。
舟の中で寝そべっているのだろう。羽矢さんの声に、ふふっと笑う声が舟の方から聞こえた。
高宮の目線が下へと向く事に、そこに誰かがいると証明される。
ゆっくりと舟が近づいて来る。
羽矢さんは、舟が近づくのを待った。
河岸に舟が止まると、羽矢さんがその名を呼ぶ。
「回向」
呼び声に半身を起こして、回向は羽矢さんへと目を向けた。
……黒衣を着ている。
祭祀を司る氏族に、葬送を司る氏族。
水景は葬送を司る氏族だ。
それは勿論……水景 瑜伽も。
水景 瑜伽が冥府にいる事に、閻王は何も言わなかった。可も……不可も何も……。
そして何一つ言葉を交わしていない。
だけど、あの神社で住職が神祇伯に中尊を別尊にと変更した壇……観想によって行われたその壇の中尊は閻王だったはず。
だから不動明王が現れた。身代わりとなった不動明王を閻王が元の処に戻したんだ。
『疑問がないところが……逆に疑問を生むとは思わぬか』
これが……秘密……。
回向は半身を起こしたままの姿勢で、一つに束ねていた長い髪に結ばれている紐を左手で解いた。
霊山で大きな岩の上に座っていた回向。その周りには、無数の魂が漂っていた。
その姿が今と重なり合う。それは、河原にも無数の魂が、群がる様にも集まっていたからだ。
回向は、衣の袖を捲り、腕に刻んだ種子字を見せるように向けた。
「そうだよな……回向。不動明王の種子字……お前が口にする真言は『呪』だ。その種子字を刻んだのは……」
羽矢さんは、クスッと笑うと回向に言った。
「『持明者』の証だからな」