第16話 補佐
羽矢さんが歩を進めると、黒い空間が浮かび上がった。だが、先を示すような光がその奥に見える。
……あれは……。
地蔵菩薩の光明だ。
……救済。
その言葉が直ぐに浮かぶ。
気掛かりであった事は、回向と高宮の姿は見当たらなかった事だ。
光を見つめる僕に、羽矢さんは、にっこりと笑みを見せる。
その笑みは、何も心配する事はないと伝えられているようだった。
僕は、その笑みに頷きを返した。
当主様も神祇伯も、回向と高宮の姿がない事を案じている様子はなかった。
蓮も問題はないと言っていたのだから。
だから……きっと……大丈夫。大丈夫なんだ。
蓮は溜息をつくと、羽矢さんに言う。
「地獄巡りだと? 巡らなくていいから、もう扉を開けてくれ、羽矢。勿論、真っ直ぐにな?」
「心配するなって、蓮。今日はジジ……」
住職の視線が、ちらりと羽矢さんに向く。
「住職に開けて頂きますので」
住職は、半ば呆れた顔を見せたが、厳しくも表情を変えると羽矢さんに答える。
「よろしい」
先に住職が進んだ。その後に羽矢さんがついた。
羽矢さんは、後ろを歩く蓮を振り向くと、小声で言う。
「蓮、お前……誘導してんじゃねえ。俺の睡眠を奪う気か?」
「馬鹿言うな。お前が日頃から正しておけば済む事だろーが。なんだかんだ言って、本当は住職の説法を聞きたいんじゃないのか?」
「……蓮。お前が口にする言葉は、現実に影響が及ぶ。頼むからやめてくれ」
苦笑を見せる羽矢さんに蓮は、ははっと笑う。
僕たちの後ろを歩く当主様と神祇伯が、蓮と羽矢さんのやりとりを楽しんでいるかのように、ふふっと笑みを漏らしていた。
柔らかな光だった。近づけば近づく程に、優しくも包み込まれるような感覚を纏う。
その光を抜けると、住職は足を止め、振り向く。
「それでは、扉を開けるとしましょうか」
住職の声と共に、扉が開かれる。
「……奎迦」
低く、重さを持った声が静かに響く。それは勿論、閻王の声だった。
住職の名を口にした後、閻王はふうっと長い溜息を漏らした。
閻王が……溜息……?
僕は、気鬱そうにも見える閻王の様子に驚く。
閻王の前に進む住職を、僕たちはその場で見つめていた。
「お前が来ると、時の流れが変わらぬではないか」
「時が変わらぬ事に、何が不都合かな? 閻王」
「そう急かすなと言っておるのだ」
「急かす……?」
閻王の言葉に、住職はクスリと笑みを漏らす。
この仕草……。
僕の目線が羽矢さんに向く。
羽矢さんは、住職の方を見ながら、小さくもクスクスと笑っている。
「導かれざる魂をあるべき処へと導くのが、私共『死神』の務め……冥府から失われた魂を元に戻すにあたり、全てを回収したに過ぎず、その審理は委ねるべき処へと送ったに過ぎないが……ご不満かな」
「お陰で鬼籍が、止まる事なく名を記し続けている。河原の舟守が苦を呈しているぞ」
……河原の舟守……。
高宮の姿が浮かんだ。
だけど……社殿前に姿を現したのは、高宮だった。
疑問を抱いたが、続く住職の言葉に意識が向く。
「それはそれは……その様では、輪廻の転生も事なきを得るというもの。審理に影響が及ばぬよう、私が担いましょうか……? 閻王」
ゆっくりとそう答えた住職の声は、閻王の声のように、低く、重く響いた。
閻王が再度、溜息をつく。
羽矢さんが、ニヤリと笑みを漏らして蓮に言う。
その言葉に蓮は、呆れた顔を見せながら、やめろと羽矢さんの背中を叩いた。
「な? クソジジイだろ?」