第6話 背信
「……当主様」
当主様がその場にゆっくりとした足取りで現れた。
目前で繰り広げられている状況を、じっと見つめている。
逃げ惑う人たちは、我先にと押し合い、助け合う姿を見せる者はなかった。
響く雷鳴の中に混じる声。悲鳴は勿論、口汚くも罵る言葉は責任転嫁だ。
押し合い、押し退け、どうにか自分だけはと逃げ惑う。
雷鳴が大きく響けば響く程、騒ぐ声も大きなものとなった。
人を盾に、人が逃げる。
自分が助かる為なら、誰でも盾にするのだろう。
……耳を……目を……塞ぎたいくらいだ。聞いていられない、見ていられない。
そう思った瞬間に、バサリと僕の頭に衣が被せられた。
……蓮の羽織だ。
「……蓮……」
「……終わるまで、そうしていろ」
「……はい」
僕は、被せられた蓮の衣をギュッと握った。
被せられた衣で、騒ぎ声が緩和されている。
深く被れば見る事も避けられるが、閉ざしてはいけないと、僕は視界を塞ぐ事はしなかった。
羽矢さんは、社殿前の様子をじっと見つめながら、ふっと笑みを漏らして言う。
「まるで地獄絵図だな」
「ふん……そう言うなら、本物の地獄に案内してやれよ、死神」
「はは。こんなものじゃないって事をか?」
羽矢さんのその言葉に蓮は、笑みを返す。
「ああ……こんなものじゃないって事をだ」
蓮の指が動きを見せる。
逃げ行く足場を失わせるように、稲光が地へと落ち、行手を阻む。
それでもなんとか逃げ場を見つけ、どうにか逃れようとするが、進む方向、逃げる方向へと稲光が地へと落ち続ける。
「蓮……俺、お前だけは敵に回したくないと、心底思うよ」
「冗談だろ。羽矢……お前とやり合ったら、俺の方が劣を踏む」
「はは。ご謙遜を」
「本音を言っているんだ。俺は地獄を見せる事は出来るが、生憎……」
蓮は、ニヤリと笑みを見せると、こう答えた。
「地獄から救う術は持ち合わせていない」
蓮の指がパチンと弾かれた。
稲光がバチバチと音を立てて、空に大きく広がった。いつ雷が落ちてもおかしくないといった状況を、見せつけるようだった。
皆、逃げ場を失い、その場から離れる事も出来ず、空に広がった稲光を仰ぐ様子は、恐怖心を露わにしていた。
その様子をじっと見つめていた当主様は、社殿へと向かって歩を進め出した。
混乱の中、当主様の姿がそこにある事に、ようやく気づいたようだ。
社殿へと向かって歩を進める当主様の足取りは、地を踏み締めるように強く、頭上に広がる稲光に目もくれない。
凛としたその姿に、騒ぐ声も段々と静かになる。
それは、当主様が助けてくれるという安堵からなのか、当主様に全てを押し付ける事が出来るという思惑なのかは分からない。
だがやはり、なんとかしろ、どうにかしろという声があがった事に、僕は落胆した。
当主様は、その声に振り向き、体を向き直す。
その声へと言葉を返す当主様。当主様のその言葉は、社殿から逃げ出して来た者たちの核心をつくものだった。
「どのお方を一にお守りすればよろしいか、お答え頂きたい」
蓮が放った稲光の柱は社殿の直ぐ裏側で、火花を散らしているままだ。火花が散る音は、社殿の中で大きくも聞こえるはずだ。
社殿にいる事が危険であると、逃げ出した者の中に。
『聖王』の姿はなかった事が、その答えを示していた。




