第28話 結願
回向がふっと笑う声に、僕たちの目線が回向へと向いた。
回向は、僕にちらりと視線を向けたが、その目線は羽矢さんへと方向を変える。
「どうやら…… 一つは処が決まっているようだな?」
回向の言葉に羽矢さんは、呆れた溜息を漏らしながら答える。
「何を今更。惚けた事を言っているんじゃねえ。お前も知っての上で、『処』を説いているんだろ。感覚器官である眼、耳、鼻、舌、身、意の六内入処。感覚器官の対象である色、声、香、味、触、法の六外入処。心と心の作用、それは心所の生門だろ。それに識を加えれば『界』となるが。つまりは有漏……言わば煩悩だ。……それが人だろ」
「は……お前こそ、何を言っている。仮の姿なら、説いたところで処は定まらないだろーが。何にしたって、本来の処へと戻る。それが境地だろう」
「回向……お前な……」
「なんだよ? 羽矢。そんな真顔で見るんじゃねえ」
不服そうに顔を歪める回向を見ると、羽矢さんは満足そうにも表情を緩ませ、揶揄うように言う。
「相変わらず皮肉れてんな? ははは」
「羽矢……お前ね……」
苛立った顔を見せる回向に羽矢さんは、ニヤリと笑みを見せて口を開く。
「言ってるだろーが。俺は無量なんだよ」
「ふん……だから尚の事、摂取不捨という訳か。一切…… 一つも漏らす事なく、ね……成程」
回向の言葉に羽矢さんは、誇ったようにも笑みを見せて言う。
「本来の境地は、俺とジジイが守っている。そもそも……」
言いながら羽矢さんは、続ける言葉を促すように蓮へと目線を向けた。
それは、羽矢さんの言葉ではなく、蓮が思っている言葉を優先したいが為だろう。
羽矢さんの目線を受け止める蓮は、羽矢さんの言葉の先を続けた。
「作られる事もなく、作り変えられる事もない……ただ固有の自性だ」
『化作されたものに本来の姿を問うのは可笑しな事……何を以て本来の姿を問おうとするのでしょうか』
『そうでなければわたくしは、作られたものでもなく、作り変えられたものでもないと言えはしませんから』
柊の言葉が思い起こされると同時に、柊が神社で僕を助けたあの時、僕を見て笑みを見せた理由が結びついた。
あの時は、その笑みに何の思いが秘められていたのか分からなかったが。何故、僕に笑みを見せたのだろうと、不思議には思っていた。
柊も……同じだったんだ。だから僕を見て笑みを見せた……。
「だから……」
……蓮。
蓮の目線が僕へと戻る。
うっすらと笑みを浮かべる蓮は、少し寂しげにも思える表情を見せていた。
「俺にだって、作る事も出来なければ、作り変える事も出来はしない。ただ……側にいてくれと、願いを乞うだけだ」
蓮の言葉に、回向は静かに頷き、呟くように言った。
「『願いを叶えるのは、神か仏か』……か」
その言葉に高宮が浮かんだのは、蓮も同じだっただろう。
羽矢さんと回向は、伝え合うように顔を見合わせる。
言葉なくとも、同じ思いが浮かんでいる事だろう。同時に頷きを見せた後、羽矢さんは言った。
「それなら……結願に向かおうか。ジジイが待っている」
蓮は、ふっと笑みを漏らした。
そして、僕の目を真っ直ぐに見ながら蓮が答えた言葉に、羽矢さんと回向は、納得するように二度、頷いた。
羽矢さんと回向を振り向いてその言葉を言った蓮は、自信に満ちた笑みを見せていた。
「そこに境界などない。神も仏も、だろ?」