第26話 遷座
羽矢さんの声が、蓮が口にした言葉と響きを共にした。
「さあ……開白だ」
羽矢さんの言葉に回向が頷く。
「……そうだな」
呟くように答えた回向に、羽矢さんはクスリと笑みを見せた。
羽矢さんが漏らした笑みに、回向は訝しげな顔を見せる。
「なんだよ?」
「……いや。まだ何か隠している事でもあるのかと思ってな?」
「今更だろ……例えあったとしても、お前には隠し通せないだろう?」
「はは。当然だ。じゃあ、最後まで付き合えよ、回向」
「ああ。勿論だ」
うっすらと夜が明けてきた。
「依」
蓮に腕を引かれ、山を見下ろせる位置へと立った。
羽矢さんと回向も、僕たちに並ぶ。
見晴らす光景に、ただただ僕は、僕たちは。
自然という大きな空間の中で、その身を置いている事に改めて気づかされる。
その光景を目に映し、この身に伝わる風の流れに耳を澄ませば、風に揺らされる木々が、カサカサと鳴らす音も聞こえてくる。
そんな微かな音に耳を傾ける事など、聞こうとしなければ気づきもしない……いや。気に留める事などなかったんだ。
この大自然を体感する事は、大きくも必要とする事だろう。
穏やかな時の中、小さくも地から震動が伝わってくる。
その震動は然程、強いものではなかったが、山の変化を伝えるものだった。
舞い上がった霧が、微かにも頬を濡らす。
その霧は、辺りを覆い尽くすようなものではない。
それが何処から舞って来るのか、耳にする音で気づく事が出来た。
僕は、目に映すと同時に、言葉を漏らす。
「滝……」
左下側に滝が見えた。流れ落ちる水が、霧雨のように飛沫を舞い上がらせていた。
大きな滝ではないが、今の今までこの滝に気づかなかったという事はないだろう。
今のように、見晴らせる位置に立った事もあったのだから。
「……出口」
そう口にしたのは回向だった。
出口……。
住職が言っていた事は、この滝の事だったんだ……。
山中他界。そこには浄界も地獄も含まれている。
そして滝は、地獄の出口とも言われるものだ。
『出口が出来ている事だろう。瑜伽、後は自身の目で確認してみては如何かな』
だけど……。
蓮が和尚に行かないのかと聞いた時、和尚は何も答えはしなかったが、蓮には伝わっていたようだった。
きっと、和尚は回向のその目で確認させたかったのだろう。
和尚にしても、回向にしても、深く抱えていたものは同じであったのだから。
僕は、滝を見つめる回向を見ていた。
回向が抱え続けた返りのない思いに、答えが返ってきたと思えるだろうかと、僕はその表情を窺った。
滝を見つめ続けていた回向は、ふっと笑みを漏らして目を伏せる。
「……クソ親父」
そう呟いた回向だったが、その表情には笑みが浮かんだままだった。
蓮も羽矢さんも、回向の様子を見て笑みを見せていた。
「紫条。お前……親父に何か伝えられただろ」
蓮を振り向く回向に、蓮は答える。
「まあ、そうだな……その目で、な」
「……ふん……目で、か。結局は俺に手を貸せと言っているようなもんだろ。これを見たら、やらない訳にはいかないからな……」
「どうせもう、お前がやってくれると確信出来ているんだろうから、向こうは向こうで始めているんだろ」
「ふん……それならそうと言えばいいものを。あるべき姿をあるべき場所に……ね」
回向は、またふっと笑みを見せると、目線を仰ぎながら言った。
「遷座……か」