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処の境界  作者: 成橋 阿樹
第四章 法と呪
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第24話 鎮守

 神木の中に入り、山中他界へと繋がる道を行く。

 勿論、それはあの霊山の頂上へと続いている道だ。

 頂上に依代がないというのも、今は頷けた。

 頂上である事に意味があるのだから、頂上に依代など必要はなかったんだ。


 霊山の頂上へと向かいながら、羽矢さんの強弱をつけた声が響くように流れていく。

設我得仏(せつがとくぶつ) 他方仏土(たほうぶつど) 諸菩薩衆(しょぼさつしゅう) 来生我国(らいしょうがこく) 究竟必死(くきょうひっし)……」

 風が……緩やかに流れ込んで、穏やかな空気を漂わせていた。

 その風を纏いながら、続けられる羽矢さんの唱える声に、導かれるように頂上へと辿り着く。

誓到弥陀安養界せいとうみだあんにょうかい 還来穢国度人天げんらいえこくどにんでん 願我慈悲無際限(がんがじひむさいげん) 長時長劫報慈恩じょうじじょうごうほうじおん


 ……羽矢さん。

 唱えられた言葉に、回向に伝えていた思いが表されていた。


『俺はその名が嫌いだよ……まるで罪人の烙印のようだ。その名で呼ばれる度に、何故、こんな名をつけたんだと不快に思うよ。それでも一生ついて回るんだ……』

『お前がその力を手にしていると信じ、願ったからこそ、この世に生まれたお前にその名が与えられたんだ。お前は託されているんだよ』


 それは……還相回向だ。

 その事に気づく回向は、羽矢さんを横目に見ると、ふっと笑みを漏らした。

 頂上へと再び立った僕たちは、続けられる羽矢さんの言葉を静かに聞いていた。


清浄慈門刹塵数しょうじょうじもんせつじんじゅ 共生如来一妙相ぐしょうにょらいいちみょうそう 一一諸相莫不然いちいちしょそうまくふねん 是故見者無厭足ぜこけんじゃむえんぞく

 羽矢さんの声が暫くの間、流れた。

神力演大光(じんりきえんだいこう) 普照無際土(ふしょうむさいど) 消除三垢冥しょうじょさんくみょう 広済衆厄難(こうさいしゅやくなん)


 羽矢さんが唱えているのは声明(しょうみょう)だ。神仏を讃える()であり、鎮守法楽(ちんじゅほうらく)と言われる。

 それは、神仏混淆の中では、鎮守とする神前にて行い、神に捧げる神祇法楽偈と呼ばれていたものだ。

 僕は、ただただ、その声に耳を傾け、思いを巡らせていた。

 神社を管理する為に置かれた宮寺が行う神前読経は仏式であり、それは仏法の守護を願うもの……。

 そもそも鎮守とは、新たに神仏を勧請する中で、その地に元より住まう神、地主神の祟りを抑えるべくして祀る事だ。だからこそ、その地主神よりも神力の強い神を勧請する。祟りを起こさせない為に。



 羽矢さんの後に、回向の声が流れ始め、僕はまたその声を耳に傾ける。

無上甚深微妙法むじょうじんじんみみょうほう 百千万劫難遭遇 ひゃくせんまんごうなんそうぐう 我今見聞得受持がこんけんもんとくじゅじ 願解如来真実義がんげにょらいしんじつぎ


 羽矢さんも回向も共に、回向文を唱えている。

願以此功徳 (がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)


 回向の声明が止むと、羽矢さんは和尚から託された阿弥陀如来の像をじっと見つめる。

 羽矢さんは、そっと像の目元に指を触れた。

 その後に目線を仰ぐ羽矢さんは、呼吸を整えると口を開く。


俺縛日羅目乞灑穆おんばざらぼくしゃぼく


 そう唱えると、指を弾いて音を鳴らした。


「羽矢さん……」

 ただただ驚く僕は、掠れた声を上げる。

 それというのもこの真言は、魂抜きと言われるものだからだ。


 和尚から託された阿弥陀如来の像は、開眼(かいげん)は済んでいた。魂入れが済んでいたという事だ。

 その魂を……抜いた……。


「羽矢さん……!」

 僕は、羽矢さんを止めようと駆け寄る。

 だが、既に魂抜きの法は済み、間に合う訳もない。

「羽矢さんっ……! どうして……」

 羽矢さんの腕を掴む僕に、羽矢さんは穏やかな笑みを見せる。

 その笑みに僕の手の力が緩んだ。

「あ……」

 羽矢さんが手にしていた阿弥陀如来の像が、パアッと柔らかな光を放ち、光が弾けて、華と舞い散り、その姿が消えていく。

 僕は、その華の行方を目で追った。


「依……まさか、忘れた訳じゃないだろう? 俺を誰だと思っている」

 羽矢さんの呼び声に振り向く僕に、羽矢さんは言った。

 ……ああ、そうだ。

 羽矢さんだから、なんだ。

 涙目になっている僕の肩に、蓮がそっと手を置く。

 僕を揶揄うようにも、ニヤリと笑う羽矢さんの続けられた言葉に、僕は笑みを返して頷いた。


「俺、『無量』だぞ?」

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