第24話 鎮守
神木の中に入り、山中他界へと繋がる道を行く。
勿論、それはあの霊山の頂上へと続いている道だ。
頂上に依代がないというのも、今は頷けた。
頂上である事に意味があるのだから、頂上に依代など必要はなかったんだ。
霊山の頂上へと向かいながら、羽矢さんの強弱をつけた声が響くように流れていく。
「設我得仏 他方仏土 諸菩薩衆 来生我国 究竟必死……」
風が……緩やかに流れ込んで、穏やかな空気を漂わせていた。
その風を纏いながら、続けられる羽矢さんの唱える声に、導かれるように頂上へと辿り着く。
「誓到弥陀安養界 還来穢国度人天 願我慈悲無際限 長時長劫報慈恩」
……羽矢さん。
唱えられた言葉に、回向に伝えていた思いが表されていた。
『俺はその名が嫌いだよ……まるで罪人の烙印のようだ。その名で呼ばれる度に、何故、こんな名をつけたんだと不快に思うよ。それでも一生ついて回るんだ……』
『お前がその力を手にしていると信じ、願ったからこそ、この世に生まれたお前にその名が与えられたんだ。お前は託されているんだよ』
それは……還相回向だ。
その事に気づく回向は、羽矢さんを横目に見ると、ふっと笑みを漏らした。
頂上へと再び立った僕たちは、続けられる羽矢さんの言葉を静かに聞いていた。
「清浄慈門刹塵数 共生如来一妙相 一一諸相莫不然 是故見者無厭足」
羽矢さんの声が暫くの間、流れた。
「神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難」
羽矢さんが唱えているのは声明だ。神仏を讃える偈であり、鎮守法楽と言われる。
それは、神仏混淆の中では、鎮守とする神前にて行い、神に捧げる神祇法楽偈と呼ばれていたものだ。
僕は、ただただ、その声に耳を傾け、思いを巡らせていた。
神社を管理する為に置かれた宮寺が行う神前読経は仏式であり、それは仏法の守護を願うもの……。
そもそも鎮守とは、新たに神仏を勧請する中で、その地に元より住まう神、地主神の祟りを抑えるべくして祀る事だ。だからこそ、その地主神よりも神力の強い神を勧請する。祟りを起こさせない為に。
羽矢さんの後に、回向の声が流れ始め、僕はまたその声を耳に傾ける。
「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義」
羽矢さんも回向も共に、回向文を唱えている。
「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」
回向の声明が止むと、羽矢さんは和尚から託された阿弥陀如来の像をじっと見つめる。
羽矢さんは、そっと像の目元に指を触れた。
その後に目線を仰ぐ羽矢さんは、呼吸を整えると口を開く。
「俺縛日羅目乞灑穆」
そう唱えると、指を弾いて音を鳴らした。
「羽矢さん……」
ただただ驚く僕は、掠れた声を上げる。
それというのもこの真言は、魂抜きと言われるものだからだ。
和尚から託された阿弥陀如来の像は、開眼は済んでいた。魂入れが済んでいたという事だ。
その魂を……抜いた……。
「羽矢さん……!」
僕は、羽矢さんを止めようと駆け寄る。
だが、既に魂抜きの法は済み、間に合う訳もない。
「羽矢さんっ……! どうして……」
羽矢さんの腕を掴む僕に、羽矢さんは穏やかな笑みを見せる。
その笑みに僕の手の力が緩んだ。
「あ……」
羽矢さんが手にしていた阿弥陀如来の像が、パアッと柔らかな光を放ち、光が弾けて、華と舞い散り、その姿が消えていく。
僕は、その華の行方を目で追った。
「依……まさか、忘れた訳じゃないだろう? 俺を誰だと思っている」
羽矢さんの呼び声に振り向く僕に、羽矢さんは言った。
……ああ、そうだ。
羽矢さんだから、なんだ。
涙目になっている僕の肩に、蓮がそっと手を置く。
僕を揶揄うようにも、ニヤリと笑う羽矢さんの続けられた言葉に、僕は笑みを返して頷いた。
「俺、『無量』だぞ?」