第19話 讃嘆
羽矢さんの言葉に、回向はそっと目を伏せながら言った。
「変わらないね……お前は。いつだって口にする言葉は変わらない。お前みたいに迷う事などなく進んでいたなら、誰一人として漏らす事なく、正しい道に導く事が出来たんだろうな……」
そう口にすると回向は顔を上げ、また本殿の方へと向き直った。
「右京……」
寂しげな口調で高宮の名を口にする回向に、蓮が近づいた。
「開けろ」
感傷的な回向に、強い口調の蓮の声が振り落ちる。そんな心情になっている場合じゃないと言うように。
その声に回向の両手がぎゅっと握られた。
「今更……迷う事などないだろう、回向」
「紫条……そんな事は分かっている。そのつもりで法を説いたんだからな。迷っているはずがないだろう」
回向は、強気にも笑みを見せて、蓮にそう言った。
「ああ、そうだな。それが……全てを開示するって事だろ?」
蓮は、そう言いながら和尚を振り向くと、こう口にした。
「『験者であれば寺に属せ、寺に属したならば、廃寺を免れる為に神社と名を打ち、還俗して神職者……国の祭祀を司る長官、神祇伯の地位に落ち着いたと、羨望に値するか』そうだな……」
和尚は、自身が言った言葉を蓮が口にした事に、ふっと笑みを漏らし、そっと目を伏せた。
その表情は、ホッとしているようにも見えた。
蓮が答えを突きつけようとしているのが分かったからだろう。
『互いに進む道を守る事が出来れば、突きつける事の出来る答えとなる。お前たちなら分かるだろう。そこにないものをあるとは言えないのだからな……』
当主様の言葉が思い起こされる中、続けられる蓮の言葉が重なるように流れた。
「昨日までは三鈷を握り、翌日には幣帛を執る。容易く捨てられるものだと、見る者にはそう見えただろうな。神職の務めを終えれば、密やかにも経を唱えるのに……な?」
意味を含めた蓮の言葉に、和尚が動く。
和尚が動いた事に、羽矢さんが回向の背中を押した。
回向は、羽矢さんに頷きを見せると、ゆっくりと立ち上がる。
羽矢さんは、何かを問うようにも住職へと目線を向け、住職はその問いに言葉を返すかのように頷いた。
住職の表情を確認した羽矢さんは、回向を支えるように背後に立つ。
和尚が前列に立ち、神体をじっと見つめると、深く息を吸い、呼吸を整える。手が動き、神体を前に印契を結んだ。
そして、印契を結んだまま動きを止める和尚は、前を向いたまま口を開いた。
「神仏分離はその名の通り神と仏を分けるものだ。それは神と仏を明確にするという判然令。それ故に廃仏毀釈で真っ先に打撃を受けたのは験者だった……ふ……」
和尚は、静かに笑みを漏らすと、印契を結び変える。それが何度か繰り返された。
見えない姿の中にある見えない姿。その全てが明かされていく。
本殿の奥が次第に明るくなってきた。
印契を結んでいた和尚の手が解かれると、そこに何があるのか目に捉えられる程に明るくなっている。
光があれば……闇は消える。ただそこに光がないだけ……。
……これが……。
目の前に広がる光景に、瞬きさえ忘れたように目が奪われる。
神体の後ろに隠れていたもの……それは。
正面と左側に壇があり、右側には影向座が置かれていた。
影向……神仏が化現する事……それは権現だ。
住職が和尚の隣に並んだ。
「……奎迦」
「瑜伽……秘密といえども、全てを開示する事は、善哉……」
「善哉」
和尚が言葉を繰り返した。
住職は、和尚と顔を見合わせた後、同時に前に向き直ると礼拝した。
そして、住職は和尚に穏やかな笑みを向けると、こう言った。
「善き哉」