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処の境界  作者: 成橋 阿樹
第四章 法と呪
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第9話 帰命

 火の玉の火花が小さくもパチパチと音を放つ中、住職の言葉が静かに流れていく。


「中尊を閻王に……その壇を目に浮かべ、己自身と一体とする……。瑜伽。それが成せた事は、お前は力を失った訳ではないと分かるだろう。無論、その力を捨てた訳でもなければ、捨てさせられた訳でもない。閻王は、全てを知っている。それは無論、この世で起こった事の全てをだ」

「なればこそ、これが果報だと言うか……? 奎迦。お前のように冥府との繋がりを持てる者も、全てを知る事が出来るだろう。だが、この世では、人の思惑など、防ぎようもなく、争いが起きる。欲界とはよく言ったものだ」

 神祇伯は、そう答えると、苦笑した。

「ならば……」

 住職の低く、落ち着いた声が、ゆっくりと流れた。


「この欲を、断ち切ってみればいいのでは?」


 住職の落ち着きのある声とは真逆に、火の玉が弾けさせる火の粉が激しくも飛び散り始めた。

 飛び散る火が勢いを増し、羽矢さんと住職の姿まで隠してしまった。

 神祇伯の間近で上がる炎が、飲み込むように襲ってくる。

 微動だにせず、炎に巻かれそうになる神祇伯に、回向が立ち上がった。

「何してんだよっ……! 動けよ! 親父っ……! 膨らみ続けるだけの欲に、全てを閉ざさせるつもりか? 呪殺を望んだ者同士が、その願いを叶える為に()()()()()()()()……その結果が、あんたの境地を狂わせたんだろーがっ……!」

 回向の声にも神祇伯は、動きを見せない。まるで、襲い掛かってくる炎に自ら飲み込まれるように、じっと座ったままだ。


南麼三曼多伐折囉赧なうまくさんまんだばぎらだん 戦拏摩訶路灑吒(せんだまかろしゃだ) 薩破吒也(そばたや) 吽怛羅迦(うむたらきゃ) 桿漫(かんまん)

 回向は、真言を唱えると、檜扇を炎へと向け、大きく振った。


 ……この真言は慈救呪(じくじゅ)だ。

 霊山で羽矢さんが唱えていた真言、慈救呪と同じ……。不動明王の慈救呪だ。

 真言には、一字咒(いちじしゅ)といった短いものと火界咒(かかいしゅ)といった長いものがあり、その中間にあるのが慈救呪だ。

 それは、慈悲を持ち、生きとし生けるもの全てを救う……全てを救うという意が込められたもの。


 僕の目線が、炎の向こう側にいる羽矢さんの方へと向いた。

 炎が揺れ動く隙間から、羽矢さんの姿が時折、見える。

 回向の方へと視線を向けている羽矢さんは、クスリと静かに笑みを漏らしていた。

 ……羽矢さん……。


 揺れ動く炎。その度に羽矢さんの姿が見え隠れする。羽矢さんの方へと目線を向け続ける僕。その目線に気づいたのだろう、羽矢さんと僕の目線が重なった瞬間、羽矢さんは、クスリと笑みを漏らし、そっと口元に指を立てた。

 ……秘密……。


 あ……。

 あの時……羽矢さんが慈救呪を唱えた時の高宮との会話……。


『お見事ですね……藤兼さん。既に正体を見抜いていたという事ですか』

『俺が……お前を追う為だけにここに来たと思うか?』

『私も……あなた方をここに来て頂く為だけに来たと思っていますか?』

『俺は、荒魂を見せる化身の正体を、本来の境地に戻す為に来た。お前はそうだな……』


 僕は、ゆっくりと高宮を振り向いた。

 高宮の目線は、回向へと真っ直ぐに向いている。

 回向を見つめ続ける高宮は、その姿を捉えながら小さく二度、頷いた。


『生死即涅槃は(くう)を説く。生死がなければ涅槃はない。涅槃がなければ生死もないという事だ』


 高宮は、檜扇を振る回向を見守るように見つめながら、静かに呟いた。


「私は……私の命一つで済むのなら……失う事に恐れなど何もありませんでした」

 高宮の言葉に、蓮も高宮へと目線を向けた。

 僕たちの目線に気づきながら、高宮は言葉を続ける。

「その願いが叶うなら死んでもいいと思う事に……報われるものなどないと知らされるのは……」

 少し間を置いて流れたその言葉が。


「遺された者なのでしょうね……」


 胸を締め付けた。

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