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処の境界  作者: 成橋 阿樹
第三章 天と地
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第32話 瑜伽

 蓮の言葉を追って、回向の声が背後から流れた。


(しき)、視覚に置き、(しょう)、聴覚に置き、(こう)、嗅覚に置き、()、味覚に置き、(そく)、触覚に置き、(ほう)、知覚概念全てに『識』を置き、『界』を説く。我が器を処とし、境界を定める」



 その言葉を聞く神祇伯は、蓮に向けていた檜扇を下ろし、静かに笑みを漏らした。

「……私に……明かせるのかと問うのか。その……隠された意図を」

 蓮は、挑戦的な目線を向けて言う。

「ああ。明かせるものならな」

 神祇伯は、まだ羽矢さんと回向の姿を隠している、霧のように舞い上がった土埃へと目線を向けた。

「……そこに隠された姿の中にあるのが『聖意(しょうい)』であると? その聖意が明かせなければ、私が開扉しないと言った事に意味がないとでも言うのか」

 聖意……仏の意図を示すその言葉に、蓮が二人を隠した意味が理解出来た。



 蓮と神祇伯が真っ直ぐに互いの目線を捉える中、参道からこちらへと向かって来る足音が聞こえる。

 ……誰だろう……当主様……?

 僕たちの視線が、足音へと向いた。

 灯籠の明かりに照らされる姿に、高宮は道を開けるように一歩引くと頭を下げた。

 ……当主様じゃない。

 ゆっくりと、一歩一歩を踏み締める足音。

 その様子から落ち着いた雰囲気を感じ取れた。

 足を止めると、拝殿へと向かって頭を下げ、僕たちへと目線を向けるとまた頭を下げた。

 僕と蓮も、挨拶を交わすように頭を下げたが、神祇伯は、怪訝に表情を歪めた。


 法衣に身を包んだその姿は、穏やかな表情で蓮の後方へと目線を向けながら口を開いた。


「……絶対なる秘仏であれば、住職であろうともその姿を拝む事は叶わない。それでも、その姿がそこにあると言えるのは、仏との合一をはかる事で成せるもの……貴殿ならば深く理解出来ているはずでは……? 水景 瑜伽(ゆが)

 ……水景 瑜伽。それが回向の父親……神祇伯の名……。

 回向といい、この神祇伯といい……この名はあまりにも深い……。

 そして、この状況を抑えるというより、時をゆっくりと流れさせるような雰囲気を漂わせたのは。


「ふふ……子息の身を案じてか。こうした場で対面するとは……まあ、それも当然と言えようか」

「案じるなど、羽矢には無用の事」

 そう……羽矢さんの父親である、住職だった。

「我が息子には、法を守護する化身を与えている」

「では、何をしに来たという?」


「その法を説きに」


「ふふ……まさか、私にとは言わないだろうな?」

「まさか……」

 住職は、静かに笑みを漏らすと、姿を隠されたままの羽矢さんと、目線を合わせるように目を向けた。

 だけど……視覚を閉ざされた羽矢さんは、住職と目線を合わせられないのでは……。

 そう不安に思ったが、クスリと笑う羽矢さんの声が返ってくる。


「……羽矢」

 住職の呼び声に、羽矢さんが言葉を返す。


()()()の説法は、苦行中の苦行だからな。遠慮しとくよ」

「……羽矢……お前……」

「羽矢さん……」

「うん? なに、蓮、依?」

 僕と蓮は、顔を見合わせると、住職の表情を窺う。

 住職には羽矢さんの姿が見えているのだろう。羽矢さんの方に目を向けていたが、その表情は穏やかだった。


 ……だが。


「羽矢」

 穏やかながらも強い口調で羽矢さんの名を口にする住職に、羽矢さんは、まずいといった様子で、あっと小さく声を漏らした。

 蓮は、呆れたように息をつくと羽矢さんに言う。

「……だから普段から気をつけろと言っているんだ、馬鹿羽矢」

「本人の前では言わないと……言っていましたよね……これって……まずいのでは……」

 僕は、そう言って苦笑した。

「出るにも出られねえな、これでは。隠して正解だったのは、住職の方になっちまったじゃねえかよ。ホント、馬鹿」

 蓮の長い溜息が流れた。


 住職は、ゆっくりと神祇伯を振り向くと言った。


 その言葉を聞く僕と蓮は、同時に長い溜息をついた。

「俺……もう知らねえ」

 蓮は、お手上げだと、その場から離れた。



「瑜伽……私が開扉しても構わないか、な?」


 いつも穏やかな住職だが、その穏やかさが一番怖いと思った瞬間だった……。

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