八話 魔を以て
昼食を食べると言ってエリシャが向かったのは、荷物が置かれている最初に俺が来た部屋――祈祷所とでも呼ぶか、そこの正しい出入口、ステンドグラスの向かいにある扉だった。両開きのそれの片方を引いて入ると、かつての荘厳だった面影を残すエントランスがあった。
正面に見えるのは大きな扉。同じ両開きだが、今くぐった扉とはスケールが違う。緻密な装飾が施されたこれは、この教会の門なのだろう。そして三面に取り付けられた窓は、北、東、西を向いている為、真昼の今は光がほぼ入ってこない。しかしその中でもはっきり見える、床に染み着いたどす黒い跡。
「此処に送られてくる。まあ、行くよ。」
エリシャは当然のように歩いていく。外に出るのかと思ったが、違うらしい。すぐ左にひっそりとあった階段、それに足をかけて上がっていく。
上に着いて目を細めた。エントランスとは比べ物になれないほど明るい。慣れた目で周囲を見る。椅子と机、空っぽの棚、粗末なベッド、鞄が広い一室に点在している。光は南向きの窓からだ。慣れると此処もかなり暗いが、きっとさっきまでが暗すぎたのだろう。
傍で同じように目を細めていたエリシャが昼食を作り始めた。作ると言っても朝と同じようなメニューだが。それでも満足な量がある。これが故人の物だと分かった途端感謝して食べないといけない気がして、その現金な発想が哀しくなる。
「万物に感謝を。」
「乾杯。」
――今度はちゃんと出来たみたいだ。少し嬉しい。軽くいただきますと言ってから食べる。うん。美味しいな。
しばらく無言で食べ続ける。何か会話したいが……。
「これからどうするつもりなんだ?」
自分で言って抽象的な質問だと気付く。それで俺は言葉を重ねた。
「何だ、その、魔法とか教えてもらって傷も治してくれて感謝しているんだが、この世界にエリシャを殺そうと思う奴がいる訳だろ?俺とあの女を抜いても十一人、それに対してどうするん――」
「あなたもそうでしょ。」
その言葉が耳に入って、脳に拒まれた。なぁ、狹夜にそれを言われたら、俺は何の為に生きてきた事になるんだ?なぁ。何で。やめてくれ。頼むから言わないでくれ。多分、顔にそれが出たのだろう。
「………………ごめん。私が悪かったです。信用するって言ったのに、ごめんなさい。」
すぐに狹夜――違う、エリシャは気付いたようで、罪悪感を顔に浮かべていた。戸惑いと拒否感は失せ、罪悪感を抱く。
「大丈夫だ。その、俺も悪かった。ごめん。」
「私が悪いだけだよ。」
聞き取れないような微かな声で言って、また食べ始めた。食べているエリシャを見て、信頼されたいと思う。その為には会話だ。会話の技術など無いが、それを持つ友人はいた。そいつが言っていた気がする。
「えっと……ほら、午後も魔法の練習だったっけ?」
兎に角話さないと進まない、と。
「……えっと、あなたの飲み込みが良かったから、午後に魔法はやらない。武器を使ってもらう。」
「武器っていうと、剣とかそういうものか?」
即座に話を合わせれば、エリシャの表情が少し柔らかくなる。
「うん。何か得意な武器はある?」
「特には無いな。というか、武器を持ったことが無いから分からない。」
暗い雰囲気を飛ばしたくて、武道なんてやった事無いからな、くらいの感覚で言う。効果はあったようで、金色の両目は驚きを交えて俺を見た。
「無いの?本当に?……どうやって生きてきたの?」
ああそうか、エリシャはあの世界を知ってるって訳じゃないんだな。全能かなにかと勘違いしていたが……これも言ったらネガティブスイッチを押しそうだ。
「俺が居た世界は、武器を持つ必要は……あったな。あったが、ただ、戦争も争いもあったけど、俺が居た国は平和だったんだ。」
「そうなの?」
「ああ。魔物はいなかった。」
「そうなんだ。」
好奇心からかエリシャが楽しそうで、つられて言葉が湧いてくる。
「あなたのいた国が平和だったのは何で?」
「警察っていう、えっと、警備組織?みたいなのがあったんだ。」
「騎士団みたいなもの?あ、でもあれは全然……」
「ああいや、多分そうだ。騎士団の技術が上がったような人達。それが国内の人を守ってくれたんだ。」
「戦争から?」
「それは自衛隊が……えっと、まあ、強い騎士団が守ってたのは治安だな。で、戦争は……長くなるから今度言うよ。」
「うん。武器が要らないって、犯罪が全く無かったの?」
「完全じゃ無いけど、ほぼ無かったな。殺人とか盗みとか……。」
気付いた時には遅く、
「……うん。」
エリシャはそう言ったきり黙ってしまった。おい馬鹿今の俺、思いっきり当て付けみたいな事言ってるんじゃねえよ。殺人も盗みも、昨日やったばかりだろうが。笑い事じゃねぇ、現に今エリシャは俯いている。
「そうだ、人を乗せて空を飛ぶ機械とか、」
「その、ごめん。こんな所に呼んで。無理矢理戦わせて、殺させて。」
完全にエリシャの中の罪悪感を思いっきり刺激してしまった。
「悪い、当て付けみたいな事言うつもりじゃ無かったんだ。ごめんな。」
「でも、全部事実で、」
「違う。俺はエリシャを守りたくて殺したんだ。エリシャに言われたからじゃ無い。」
エリシャが口を閉ざし、数秒がたった。
「分かった。ごめん。」
取り敢えずは平気そうだ。ほっと心の中で息を吐く。失言は関係悪化を招く。発言の前にしっかり反芻しないと駄目だな。
「それで、俺はどの武器を使えば良いんだ?」
「……兎に角、色々試してみて。其処に武器が幾つかある。まあ、殆どが鈍らだけど。」
そう言ってエリシャが指し示した部屋の片隅に、鞄が置かれている。よく見ると、幾つかの大きな鞄からは鈍い輝きが見える。
「ああ、分かった。」
そんな訳でまた朝の場所に。剣、ナイフ、棒、短槍、鉈、三節棍などを振り、エリシャと相談をした結果、あっさりとナイフに決まった。
戦闘で自傷の必要があった時に切りやすく、嫌な話だが体に馴染んでいる。リーチの短さに不安が残るが、エリシャ曰く
「互いの身体能力が魔法で上がると、リーチはそれ程影響しない。」
らしい。ああ、在庫の関係であのナイフを使う事になりそうだ。
で、残念だが暫くの間ナイフを練習する機会は無い。エリシャから教わるのだと思っていたが、
「さっきナイフを持ってるみたいな事を言ってたが、教えられないのか?」
「私のは魔法が使える事が前提だから。」
ということだ。午後は魔法は無しは撤回され、また魔法を使っている。桶に水を入れて持ち上げようとしているが、なかなか難しい。
「なあ、何でずっとこっち見てるんだ?」
「此処で、他に見るものが無い。」
手入れが済んだらしいナイフを握り、じっとエリシャがこっちを見ている。悪意が無いのは分かるが恐い。他に見るものが無いって、今まではどうしてたんだろうか。訊いてみるのは……やめておこう。
「そしたら、何か手本を見せてくれないか?」
この話題は平気だろう。
「分かった。これ持ってて。」
そう言ってエリシャはナイフを俺に渡し、そのまま指先で水に触れた。水が残らず持ち上がっていき、終に桶の上で完全な球形になった。エリシャが手を離してもそのまま維持されている。
「おお!エリシャ凄いな。」
「まあね。水は苦手だけど。」
満更でもない表情をしたエリシャが指を振ると、球が大きくなった。よく見ると、澄んだ球の中が空洞になっている。そのまま分割したり四角くしたり、様々に形を変えた。
「最低でもこのくらいは出来て欲しい。」
「分かった。ありがとう。」
「平気。」
そうして午後は過ぎた。目立った成果は無かったが、何となく上達した気はする。夕飯を食べて、エリシャはベッド、俺は離れた床で毛布にくるまって、それぞれ眠りに就いた。