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ムスラバ政策

 オルフェンがアルバートの軍門に降ってから、一か月の時間が経過した。


 それが長いのか短いのかは個人の価値観によるだろう。だが、ことアルバートに関して言えば、その多忙さがひどく短く感じさせていた。


 なにせ、人間の都市であるムスラバがアルバートの手中となったのである。人間の都市が呪族に支配されるのだから、生まれる軋轢は想像を絶する。


 文化、思想、種族が異なる。

 ましてや、一ヶ月前まで戦場で相対していた怨敵なのだ。


 そう簡単に心の壁が取り払われてなるものかと、根強い抵抗があるのが当然だろう。


 だが、予想に反してある程度の落ち着きを取り繕うのに一か月という短い期間しかかからず、住民たちの抵抗も驚くほど少なかった。


「やはり、これはルナの手柄だろうな」


「は、仰る通りかと」


 アルバートの言葉に、コルネリアが同意を示した。


 呪族への心理的抵抗の減少にルナが与えた影響は大きい。


 オルフェンとその配下を捕らえた際の丁重な取り扱い、戦いで死んだ戦士達への弔いの姿勢、そして何より、その溌剌とした態度と愛らしい容姿は嫌悪を抱くほうが難しかろう。


 元々、ムスラバの民は王国から海を隔てた北大陸にあり、独立独歩の精神が培われている。負の感情に固執するということを忌避し、前進を好む傾向にある。


 呪族という存在への恐怖こそあれ、戦争で負け、平和な治世を約束するというのだ。自然、相手を憎み反抗するよりも、先を見据える方向へと思考が移っていた。


 そこへルナという存在が影響を与え、呪族への心理的障壁を低くする役目を果たしたというわけである。


「手柄は大きい、か」


 アルバートの密命ゆえに戦場には直接立っていないが、逃走したオルフェンを網にかけただけでも十分な手柄である。その後の人心掌握への手柄を加味すれば、値千金と言うべき第一功だった。


 だからこそ、アルバートはルナに対して呪種を施した。かつての君主達と同様、ルナはいま長い眠りについている。


 呪種の下賜を伝えた時のルナの喜びようと、苦虫を噛み潰したリーゼロッテの顔を思い出す。


「期待に応えた。言ってしまえばそれだけだが、年端もいかぬ身で一族の命運を背負う苦労は並大抵ではなかろうな。その上で結果を出したのだから、賞賛に値するだろう。裏切者を嫌うリーゼロッテも、さすがに本人に落ち度がないとなれば文句は言えなかったであろうからな」


「ええ、確かに。直情の傾向は強くありますが、それでもリーゼロッテは武人ですから。戦場で立てた功績を無視することはありません。個人的な好悪とはまた別の問題ですから」


 朗らかに頷くコルネリアは、執務中に突然呼び出されたせいか銀縁の眼鏡をかけていた。


 いまさらながらそれに気づいたアルバートは、なるほど、朴念仁と言うべきか。


 白磁のように透明感のある肌に、光を照り返す銀の骨組みはよく映えた。


「なかなか似合うではないか」


「は? な、何がですか……?」


 コルネリアは一瞬意味がわからなかったようだが、アルバートが自身の目元を軽く叩いたことで眼鏡をかけたままだったことに気づいた。慌てて眼鏡を外して乱暴に服の内側にしまうと、赤面したことを悟られまいと顔をそむけた。


「お、お戯れはおやめください」


「む、そうか。これはセクハラだな」


「せ、せくはら……?」


 日本の言葉はこの世界では意図が伝わらない。気にするなと手を振り、しかしそこまで嫌がらずとも良いものをと、少しばかり傷つくアルバートである。


 女子社員の髪型を誉めてセクハラと切って捨てられる中年管理職の悲嘆とはこういうものかと、しみじみ感じ入るばかりである。なんともはや、世知辛い。


 上司というのは異性の部下を褒めるにも気を使わねばならない。


「‥‥‥お二人はずいぶんと仲が良いのですな?」


「ふむ、興味深いな。お前にはそう見えるのか」


 二人の前に控えていたオルフェンの言葉に、アルバートは怪訝に眉を寄せた。今しがたセクハラと拒絶されたのを見ての発言に、男女の機微に疎いのかと思ったのである。


 天は二物を与えずと言う。

 オルフェンはこの一か月、ムスラバをアルバートの治世に組み込むために、コルネリアとともに有能な働きぶりを見せていた。


 とはいえ、際立った才能とは時に偏りを生むということたわろう。才能がある分だけ女心が分からぬのだろうなと、オルフェンが知れば名誉にかけて否定するようなことを考え憐憫を覚えた。


「なんでしょうな、どうも猛烈に違うと否定したい気がするのですな」


「気のせいだろう。それよりも、お互いに時間がない身だ。手際よく用件を終わらせるとしよう」


「釈然としませんが、仰せの通りに」


 今日はムスラバの視察をする予定だ。

 現地へはムスラバの統治のために多くの呪族が送り込まれ、オルフェンとともに働いている。各種報告もしっかりと上がっているが、自身の眼で現状を確認することは非常に大切だ。


 もちろん見るだけならば遠隔視の魔法を使えば可能ではあるが、その場にいなければ分からない空気というものがある。


 しかし、オルフェンは視察よりも、ルナのことを案じているのが丸わかりだった。


 メギナ・ディートリンデの荘厳な装飾の施された石廊下を歩きながら、オルフェンは明らかに落ち着きを欠いていた。感情の起伏の乏しいアルバートをして、あまりの露骨さに苦笑するほどだ。


「ルナのことがそんなに心配か?」


 ぎくり、とオルフェンは首をすくませる。


「そんなに分かりやすく顔に書いてあったかと聞きたそうな顔だな」


「……書いてあったのですな?」


 そんなはずがないのだが、それほどに心中を言い当てられて驚いたらしい。アルバートはくつくつと笑い、否定した。


 恩人を心配するあまりとはいえ、普段は感情を読ませない鋭い刃物のような男と同一人物とは思えない。むしろ人間味を感じられるがゆえに、好感が持てるかもしれない。


「さて、書いてあったかどうかは知らぬが……お前の不安の種は解消しておかねばなるまいよ。そら、ここがルナの部屋だ」


 君主達の個室はメギナ・ディートリンデの下層部、アルバートの居室の傍にあり、中央の君主専用の歓談室を取り囲むように、五つの居室が並んでいた。


 それぞれの居住地にも住居を持つ君主達ではあるが、かつては嫌悪すら抱いていた者同士。連帯を育むために、よほどのことがない限り、与えられた居室で寝起きすることを厳命していた。


 それだけに、居室は君主達の生活の拠点とひて、各人の個性が色濃く反映されている。


 ルナの部屋は、かつての世界で言うところの中央ユーラシアの遊牧民族の居住空間に近い。部屋には家具の類はほとんどなく、座卓が一つ、申し訳程度に部屋の端に置かれているわあとは毛足の短い絨毯が地面に敷き詰められ、部屋の中央に、恐らくは羽毛を満載した巨大な布袋が幾つか積まれていた。


 それが椅子であり、寝具でもあるのだろう。ルナはその布袋に沈み込むように横になり、瞳を閉じて眠りについていた。


「ルナ殿!」


 オルフェンが喜色を浮かべて駆け寄ろうとし、すぐに足を止めた。


 彼女の足元に寝そべっていた巨大な灰色狼が目を開き、頭を持ち上げて牙を剥いたのだ。


「それ以上近づくのはやめたほうがよかろうな。あれはルナの兄弟のように育った者らしい。近づく者は何人たりとも許しはせぬよ。例え吾輩でもな。あれの名前は……なんだったか?」


 目線で問いかけると、コルネリアは先ほどまでの赤面はどこへやら、澄ました顔で答えた。


「名前はジルでございます。呪術王(カース・ロード)様にすら牙を剥く愚かな獣……お許しを頂ければ消し炭にしてやりたいくらい」


 後半はアルバートの耳にも届かぬ程度の小声だが、傍にいたオルフェンには聞こえていてぎょっとする。しかし、改めて見ても執務で同席するいつものコルネリアがいるだけで、とても不穏な発言をした者とは思えなかった。


 何やら見てはならぬものを見たような気分になりながら、オルフェンはごほんと咳払いを一つ。ジルを刺激しないように距離を保ちながら、ルナの表情が見えるように位置を変えた。


「顔色は……いいですな。本当に一か月も眠っているのですか?」


「ああ、説明した通りだ」


 すでに古の呪族に近づける呪法によって眠りに着いていて、およそ一年の間は目を覚まさないことは説明してある。


 それでもオルフェンはなかなか納得できなかったようだったが、さすがに自分の目で見れば考えも変わったようだ。


 ルナの平らな胸が規則正しく上下していることを確認し、ほっと息を吐いた。


「セクハラだぞ、オルフェン」


「は……せくはら、というのは……?」


「女児の胸をそんなに真剣に見つめるものではない、ということだ」


「そ、それは心外ですな!」


 慌てて否定するオルフェンに、コルネリアがげんなりとした表情を見せる。


 そんな下卑た眼でルナを見ていたのかと、心の底から軽蔑しているのがありありと分かる。オルフェンは必至に否定するが、必死になればなるほど真実味が増すのが苦しいところである。


 これには多少の罪悪感を感じざるを得ない。

 アルバートもさすがに助け舟を出した。


「ただの冗談だ。コルネリアも本気にするな」


「……呪術王(カース・ロード)様がそう仰るなら」


 まるでアルバートが言うから仕方なくとでも言うように引き下がるが、事実その通りなのだろう。コルネリアのオルフェンを見る目の冷たさは先ほどとあまり変わっていない。


 無下なるかな。

 がっくりと肩を落とすオルフェンには哀愁が漂っていた。


 だが、ふとオルフェンが何かに気付き顔を上げた。


「あの、呪術王(カース・ロード)様。ルナ殿をいま、女児と仰いましたか? コルネリア殿から、呪族の皆様方は容姿と年齢が合わぬものとお伺いしていたのですが……」


「ああ、それは確かにそうだ。呪族のほとんどは長命であるからな。ルナを除けば、君主達の中で最も年若いコルネリアでも250歳だったはずだ」


「失礼ながら、248です」


 割って入ったコルネリアは、妙に迫力があった。

 わずか2歳の差だが、女性に年齢の話で抵抗することほど無意味なことはないと知っている。アルバートは素直に頷き、オルフェンに向かって厳かに訂正した。


「248だ」


「さ、左様ですな。時に、ルナ殿を除くとのことでしたが……ルナ殿のご年齢はお幾つなのですかな」


「さて。確か16だったか?」


「16ですな!? 女児とは言いませんが、少女と呼ぶべき年齢ですな。とはいえ、人間で言えば結婚適齢期でもありますが――」


 途端に、コルネリアの眼の温度が危険な領域まで下がる。


「屍狼族の女の婚姻は50を越えてからです。人間の範疇で考えればまだ女児と言うべき年齢でしょう」


「は、それは確かに……人間と同等に考えるべきではないですな。失礼しました」


「まあ、そう目くじらを立てるな。種族が違えば文化風習が違うのは道理。知らぬものを測るに、己が常識に照らすは常道であろう。ああ、知らぬといえば、紅眼族の適齢期はどれくらいなのだ?」


 なんとなしに気になっただけではあるが、コルネリアの表情が強張ったのが分かった。


 しまった、地雷を踏んだかと思ったが時すでに遅し。

 コルネリアは羞恥に震えながら、俯いたまま絞り出すように返答した。


「紅眼族は100歳を越えれば、行き遅れでございます……」


 明らかに失態である。

 女性に対して年齢の話はタブーであるというのは日本にいた頃からの常識、ましてや婚期に関する話題となればその危険度はいや増す。ちらりと横目で見れば、オルフェンは我関せずとばかりに顔を背けているではないか。


 美女のいじけ顔というのもなかなかに鑑賞し甲斐のあるものだが、その被害にあうのが自分自身となればいささか以上に心がくたびれるものだ。


 アルバートは天を見上げたい心持ちで、深々とため息をついた。




◆◇




 転移後の酔いにも似た余韻が消失すると、アルバート達の前にはここ一か月で見慣れたムスラバの領主館の一室が広がっていた。


 転移用に特別に設えられたその部屋は、四方を鋼鉄で補強して物理的な侵入を防ぎ、結界で魔導的な侵入を防ぐ領主館の中で最も堅固に守られた場所だ。


 さらに、扉も転移魔法陣の起動時と、アルバートの魔法による魔導的開錠措置を施さなければ開かない。転移魔法を使える者はアルバートしかいないわけで、この部屋の扉を開けることができる者は必然的にアルバートのみに限定されていた。


 遠距離転移にはいかにアルバートといえど魔法陣の補助が必要である以上、敵性国家に囲まれたムスラバに設置された魔法陣は何物にも代えられぬ最重要防衛対象となる。偏執狂じみて幾重にも張り巡らされた防御魔法の数々も、その重要性を証明していた。


「お待ちしておりました。すでに準備は整っておりますわ」


 アルバート達の転移と同時に開いた扉の向こうで、リーゼロッテの一族である白金の鎧に身を包んだ剣乙女(ソディア・メイデン)が二名、地面に膝をついていた。


「ご苦労。こちらでの生活に問題はないか?」


「はい。住民の方々にも良くして頂いています。お気使い有難う存じますわ」


 リーゼロッテの口調を無理して真似しているのか、あるいは主君たるアルバートを前に緊張しているのか、剣乙女(ソディア・メイデン)の言葉はややたどたどしい。


 この状態で本当にムスラバの住民に受け入れられているのか少しばかり不安になる。それでも、呪族の中で人間に近い形態なのは、妖剣族と紅眼族だけだ。


 紅眼族は政務能力は高いが、総じて戦闘力は低い。ムスラバの警護人員として派遣するには妖剣族が最も適任で、多少の不安は目を瞑る他ない。


 完璧を求めることは難しく、部下の成長は長い目で見守らねばならないものだ。


 アルバートの考えを察し、オルフェンが補足した。


「大丈夫ですな、呪術王(カース・ロード)様。彼女達は常に礼儀正しく、ルナ殿と同様に住民達の呪族への恐怖を和らげてくれています。戦場での姿を見ていなければ、問題ないのですな」


「ふむ。戦場での姿、か……」


 欺き動く鏡(ログナ)で観察していたが、確かに戦場での剣乙女(ソディア・メイデン)の姿は狂気を孕みすぎている。いまの凛々しい乙女騎士のような風情はなく、ただただ殺戮に興じる鬼子だった。


 あれを目にすれば、百年の恋も冷め、脱兎のごとく逃げ出すだろう。


「ムスラバの兵達は目撃しているはずだが、それは問題ないか?」


「それは‥‥‥まあ、恐怖を感じているようではありますな。ですが、味方としてみればこれほど心強い物もない。多少夜うなされる者もおりまくが、いずれは慣れますな」


「そうか。少しばかり酷な気もするが、無い袖は触れぬからな。兵達には手厚く慰労しておくがよい」


「必ず」


 それからはオルフェンの誘導で街を見て回った。


 視察する場所は多岐に渡る。

 まずは兵士の調練。ムスラバでは魔導兵が多くの割合を占め、彼らの多くは紅蓮の紅一点であるメイリンが、それ以外の兵は剣乙女(ソディア・メイデン)が指導をしていた。


 彼女達は剣の扱いに関しては超一級である。

 呪族による指導がどんなものかとしばらく観察していたが、英雄級であるクイールとガロラントが間に立って仲を取り持っているようだった。


 その様子が面白く、アルバートは興味深く声をかけた。


「頑張っているようだな」


「あ、これはアル……いえ、呪術王(カース・ロード)様。はい、剣乙女(ソディア・メイデン)というのは凄いものですね。剣の型や戦法は違えど、全員が超一流の剣士です。日替わりで指導に来て頂いていますが、私達も教えられることばかりですよ」


「そうそう! 凄いのなんの……ひぇっ」


 雑な言葉遣いを咎めて睨むコルネリアに、ガロラントは悲鳴を上げてクイールの背中に隠れた。


 しかし、その顔は笑っていた。

 ガロラントの口調については気にするなと指示をしてあるから、コルネリアも睨むだけに留めている。だが、その反応が面白いのか、ガロラントはコルネリアの堪忍袋の丈夫さを試すようにおちょくっている節があった。


「ほどほどにしておけ」


 一応釘を刺すと、クイールが困ったように頭を下げた。


「すいません。後で言い聞かせておきます」


 調練場を離れた後は、港湾部の視察だ。

 ヒルデリク王国が南大陸北端の貿易路に介入するために築いた都市、それがムスラバだ。北大陸と南大陸の間に横たわるアラバール海は、龍息海流とローマン海流がぶつかり合い、ちょうどムスラバ近海を経由しなければ行き来することができない。


 補給港として重宝されるのは至極当然のことで、あらゆる品や文化が集まる貿易の中継港として栄えている。


 そのはずだが、数十隻が係留可能な港にはたったの二隻しか船がなく、行き交う人々の数も少なかった。


「やはり、商人の数は減ったか?」


「はい。いくら呪族が危害を加えぬと喧伝しても、商人とは無用な危険を冒さぬもの。多少の海流に逆らって日数が伸びても、別の港に立ち寄るようですな」


 北大陸にはムスラバの他に、タラム公国とベヨネド王国の港がある。


 どちらも海流の流れから考えて中継港とするには不向きではあるが、それでも呪族が支配する港に寄港するよりは幾分かマシということなのだろう。


「問題はあるか?」


 アルバートの問いに、オルフェンは少し考える素振りを見せた。


「食糧、日用品の類は先の戦争に合わせて備蓄した物がありますので、半年程度は問題ありませんな。懸念点はムスラバを拠点とする商人達の体力ですが……これも問題ないかと。恐らくは、現在の状況は長く続かず、商人達が戻ってくるはずですな」


「根拠が?」


「タラム公国、ベヨネド王国のどちらを中継点とするにしても、輸送にはムスラバを経由するより十日は多く必要ですからな。さらに、海流に乗るだけで到着するムスラバと異なり、海流を無理に横切る必要がある。それだけ海難が発生する確率も高まるとなれば、安全のためにかかる経費は跳ね上がる。音をあげた命知らずの商人が、ムスラバを拠点とするようになるでしょう」


 あとは口づてにムスラバの安全性が宣伝されれば、自然と訪れる商人の数は増えるというわけだ。一定の数を越えてしまえば、より利益を多く得る同業者達を横目に、自分だけ拒否し続けることができる商人がいるはずもなし。


 堤防に小さな穴を穿ったがごとく、破滅的な速度で流れ出る水の奔流は勢いを増していくのだ。


「ならば、その動きを加速させるのも一興だろう。そうだな、三か月以内にムスラバを拠点とすることを決めた商人には、向こう一年の関税を免除すると伝えろ。減収した税は吾輩が補填してやる」


「それは……こぞってやってくるでしょうな」


 関税は積み荷の一割が基本だ。

 それが免除されるとなれば、単純計算で粗利が一割増えるということである。


 それを見逃す商人などいるはずもなし。

 知っていて選ばぬとすれば、その者に商人を名乗る資格など存在しない。


 アルバートの提案を検討していたオルフェンはしばし思案したあと、何度も頷いて自分の中で納得が行く答えが見つかったようだ。にまりと笑った。


「商人を数人抱き込んで、市場の攪乱を行っても?」


「悪巧みか。詳しく聞こう」


 それから語られたオルフェンの案は、時間はかかるもののなかなかにえげつない策略だった。よほどのことが無ければ確かな効果を生むと思え、アルバートもオルフェンの才覚を改めて讃えて承認した。


 そして最後に向かったのは、魔導図書館の跡地に建てられた石造りの建物だった。


 審議の庭と呼ばれるそこは、日本でいうところの裁判所であり、留置所である。


 罪を犯した者を人間、呪族問わずに拘留し、罪を裁く。

 

 他の都市にもこれらの裁判所の役割を果たす役所は存在するが、多くは形骸的なもので、衛兵の捜査段階で罪が確定してしまう。


 それでもこれらの組織が設けられる理由は、貴族や大商人などの権力者の確定した罪に難癖をつけ、減刑、あるいは無罪とするためである。


 そんな後ろ暗い暗所であるからこそ、役所の内部は人目に触れぬ禁地であることがほとんどだ。


 だが、ここムスラバでは違う。

 虜囚を閉じ込める牢こそ地下に作られているものの、実際の審議を行うのは、建物の中ですらない。崩壊した魔導図書館の瓦礫を撤去してできた、広大な広場で行われるのだ。


 審議場の周囲に設けられた柵までは住民達も自由に入ることができ、審議の様子は一から十まですべて衆目に晒される。


 これは呪族に対するムスラバの民の疑念を払拭するために、アルバートが公平性の担保として提案したものだが、その効果は想像以上に大きいようだった。


 いまも審議が行われているが、柵の周囲には少なくないムスラバの民が集まり、固唾を呑んで見守っている。


「思ったよりも見物人が多いな」


「公正な審議がなされていることを確認したいということもあるでしょうが、一種の見世物になっていることも事実ですな。お恥ずかしい話ですが」


「……処刑か?」


「左様で」


 アルバートの定めた法律は単純明快である。

 殺すな、盗むな、騙すな。

 その法を守る範疇において、あらゆる自由を保障する。


 逆らえば、死である。


 日本人としてぬるま湯に浸かっていた過去の記憶からすれば信じられぬことながら、この世界において処刑は一つの催し物である。


 悪人の死というのは、手軽に血と命の喪失という刺激が味わえる祭りというわけだ。歴史を振り返れば、欧州での処刑も断頭台により衆目にさらされていたし、日本でも江戸の時代には磔刑などな存在した。ローマのコロッセウムなどの例もあり、どこの世界も血に沸くは人の性と言うべきか。


「業の深きことよ」


「まったく、お恥ずかしい話ですな。しかし、民の息抜きになるのも事実ですからな」


 苦虫を噛み潰すオルフェンだが、死に狂乱するのは呪族も同様だ。単純な死というよりも、戦闘の中での死に喜びを見出すことが違うくらいか。


「どちらにしても業が深い、か」


「は、なにか?」


 コルネリアには聞こえていたようだが、アルバートと眼が合うとそっと目をそらされた。


「どうした?」


「いえ、なんでもありません……」


「なんでもないということはないだろう?」


 覗き込むアルバートだったが、コルネリアは首を限界まで捻って顔を背けた。


「いえ、その、あの……さきほどの眼鏡の件を思い出して、目が見れず……ち、近いです!」


 叫ぶなり、コルネリアは背を向けて逃げ出した。

 残されたアルバートは首を捻り、オルフェンは処置無しと首を振っていた。


 オルフェンの見たところ、コルネリアはアルバートに恋心を抱いているというよりも、単純に初心なのだ。婚期を逃しているとの話だが、それにしても大丈夫かと心配になるほどの潔癖な少女然とした態度だ。


 あれが恋心に発展するには相応に時間がかかりそうだと嘆息していると、アルバートは気にするのをやめたらしく、審議場に視線を戻していた。


 審議場ではちょうど新しい罪人が引き出され、審議が始まるところだった。


「それでは、辻馬車の御者、オクレールの審議を始める!」


 審議場の中心に、両手を拘束された男が膝立ちにされていた。

 彼がオクレールという男なのだろう。


「オクレールの罪は、狭路で速度を緩めることなく馬車を走らせ、通りがかった宿屋の次男、リードルを轢き、死に至らしめたことである! オクレール、異論はあるか!」


 オクレールは人が出てくるとは思わなかったと証言し、四人の審議官は虚言看破(ルーン・ファクト)の魔法でオクレールの証言に虚偽がないことを確定すると、判決を下した。


 明らかな悪意のもとに行われた盗みや殺人と異なり、今回のような事故の場合、状況や事情による配慮が必要な場合もある。


 法の策定者はアルバートではあるが、理由に関係なく処刑としていては生きることすら難しくなるだろう。とはいえ、毎回微妙な判断が必要と呼び出されても困る。全世界を手中に納めた時、アルバート一人で手が回るはずがないのだ。


 そこでアルバートが策定した仕組みが、人間と呪族四人による合議制であり、情状酌量の余地ありと全員の判断が一致した場合のみ無罪放免とし、それ以外は極刑という方式だ。


 人間と呪族は文化も考え方も違う。

 それぞれの代表者二名全員がやむなしと判断すれば、それは確かな判断と言っても差し支えないだろう。


 今回の判決では三人の審議官が情状酌量の余地ありと判断したが、人間の審議官の一人が狭路での暴走に情状酌量の余地なしと判断した。


 結論は、死刑である。


「ふむ……民衆の異論はなさそうだな」


 アルバートが視察したかったのは、判決に対する民の反応だった。

 だが、予想に反してムスラバの住民のほとんどが納得の表情を浮かべていた。


「馬車による轢死は、街中での死因の中でも上位ですからな。この審議が前例となって、御者達の運転も丁寧になるでしょう。正直に申し上げて、ムスラバに限らず、どの都市の民でも歓迎する審議ではないでしょうかな」


「そういうものか?」


「ええ。極刑というのが気にはなりますが……心情面では納得する者が多いでしょうな」


 泣き叫ぶオクレールが処刑台へと連れ出される姿を見つめながら、アルバートはふむ、と一人ごちた。


 民衆の心の動きまでははっきりと理解できぬが、それでもアルバートなりに配慮した制度である。それが受け入れられ、正常に運用されている姿を視察できたことは、非常に有意義な収穫であったと言えるだろう。


 アルバートは男の首が地面に落ちるのを尻目に、深い満足を覚えて審議の館を後にした。


 まだまだ、やるべきことは数多い。

 ムスラバの安定が成し遂げられ、失われた軍の再編が終われば、再び世界平和のための南大陸侵攻となる。


 アルバートは未来の道筋を思案しながら、まずはオルフェンの処遇を確定させるべく行動に移すのだった。

 

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