古の王の教え
シルフィナの世界創造によって生み出された荒野は、ほんの数秒の間に激しく地形を変化させていた。
陥没した地面と、シルフィナが地面を抉りながら彼方まで進んだ痕跡、そして空間に満ちる禍々しいほどの呪力の余波でばちばちで音を鳴らしている。
その一つ一つが、そこで振るわれた暴力の水準の高さを証明していた。
呪術を突破して一撃を与えたシルフィナと、相打ちの刹那に第七悌呪術の飽和攻撃を見舞ったアルバート。どちらに軍配があがるのか、それは醜く姿を変えた大地の上を歩く人物を見れば一目瞭然だった。
シルフィナである。
とはいえ、彼女も無傷ではなかった。
左の額がぱっくりと裂けて流れ出した血が顔の左半分を染めているし、だらりとぶら下げた右手の指はてんでばらばらにおかしな方向を向いている。
彼女が唾を吐くと、どす黒い血と一緒に、からからと白い物が地面を転がった。それが自身の砕けた奥歯であることを確認し、舌打ち一つ。
「最盛期には到底及ばんか。世知辛いのぉ」
しかし、地面に転がるアルバートの頭を見つけ、内心の苛立ちなど消し飛び、にんまりと嗤った。
「いい姿じゃの、小僧」
「そちらもな」
シルフィナはかっか、と嗤った。
「なに、これしき日常茶飯事よ。放っておいても回復するからの……ま、しばらくは奥歯で飯が噛めんが」
「奥歯だけか? その手も、相当のものだと思うが?」
指のほとんどが骨折していると思しき右手を指しての言葉だが、シルフィナはそこで初めて気づいたようだ。右手を顔の前にあげてしげしげと見つめ、破顔した。
「なんじゃ、こんなもん。唾つけとけば治るわ」
普通の人間ならば冗談だと笑うだろうが、あいにくとアルバートは不死である。王級であればそんなものかと受け止め、シルフィナは証明するように己の砕けた指を無理やりに捻じ曲げこねくり回し、拳の形にぎゅっと握って見せた。
「ま、一時間で治るわ。で、不死のお前はいつ回復するんじゃ?」
「……さて、いつだろうな」
本来であればすでに再生が終わっていてしかるべきである。だが、どれほど待てども、アルバートの体は再生しない。それほど遠くに肉片が散っているというわけではなく、そもそも再生を何かに阻害されている気配がした。
「そのままじゃと永遠に治らんな。どっこいせ」
その場に胡坐をかき、アルバートの頭を地面に立たせたシルフィナは、左右から角度の確認に余念がない。アルバートはされるがまま特に何も言わず、何度か角度調整で頭を小突かれたあと、ようやく解放された。
が、それでもさすがに一言言わざるをえない。
「シルフィナ」
「なんじゃ小僧」
「胡坐をかくなとは言わん。が、せめて隠せ。丸見えだ」
何がとは言わずもがなだろう。
シルフィナは拘束具のために丈の長い上衣のみを羽織っており、据わってあぐらをかけば色々な部分が外に露出するのである。
「くふ、興奮するかえ?」
「しない。お前に恥じらいがないと理解するだけだ」
「ふん、つまらん男じゃの。そこはもうちっと、見てない、でも見てみたい、ああ、この葛藤が……みたいな反応があったほうが女心をくすぐるんじゃぞ」
「くすぐってどうする」
何を言ってるんだこいつは、とシルフィナは顔を歪めたが、アルバートが本気で言っていると気づいたのだろう。途端に可哀そうな人間を見るような目になり、深々とため息をついた。
「お主、唐変木と言われんか」
「言われたことはあるが、どうでもよかろう。それで、俺をどうするつもりだ。殺すか?」
刃物のような冷たい言葉に、シルフィナは首を振る。
「殺せんじゃろ。ふいをついてお主の再生力を奪う秘術を行使はしたが、妾の武器はおしゃかじゃし。殺そうとしても、お主、どうせさっきみたいに呪術を待機させとるじゃろ」
図星を疲れたアルバートは、一瞬口ごもった。
さきほどは咄嗟に発動できたのが三つだけだったが、実際にはあと五発の第七悌呪術が待機している。
維持するだけでも馬鹿にならない呪術を消費しており、一発一発がムスラバを消し飛ばすだけの威力がある。全て放てば、アルバートの持つすべての呪力と引き換えに、シルフィナを消滅させるだろう。
どれだけの防御力であろうが、そうできるという自信があった。
「ま、痛み分けということじゃな。解呪」
こんな時だというのに聞いたことのない術に目を光らせるアルバートの業の深さはさておき、その呪文の効果はわかりやすいものだ。
それまで頑なに再生を拒んでいた体が、その呪文の詠唱とともに逆再生のようにするすると元通りになったのである。かなり遠くまで体が飛んでいたらしく、完全に再生するには十秒ほどの時間を要したが、それでもやっと本来の肉体を得て人心地ちつく。
「シルフィナ、さっきの呪文だが……」
「教えんぞ」
「駄目か」
「駄目じゃ」
「どうしてもか」
「どーしてもじゃ」
「そうか……」
見るからに落ち込んでいるアルバートに、シルフィナはくひと笑った。
知らぬ魔法と見るや勢い込んで食いつくかつての呪術王の姿を重ね、面白くなったのだ。過去も現代も、呪術王という存在は魔法馬鹿らしいと思うと不思議な懐かしさを覚える。
「ま、これは呪術王をこらしめるために妾が開発した秘術じゃからな。そう易々と手の内をさらけ出しはせんよ。それよりも、理解できたか?」
何がだ、とは聞かなかった。
さすがに魔法に熱中していたアルバートでも言わんとすることはわかる。
不死を打倒する方法など幾らでもある、シルフィナはそう言いたいのだ。
「理解はできたが、わからんな」
「何がじゃ」
「吾輩を殺すことができるのかは分からんが、少なくとも封印なり無効化はできるだろう。だが、術を解いて再生を許す。吾輩に利があれど、お前に利があるとは思えん」
アルバートにとって不死であることは絶対的アドバンテージではない。それはモーロックとの戦いでも理解できていたことだ。自分自身でも対応策をいくつか思いついていたし、それ自体は良い。
だが、敵対をするつもりがないとはいえ、それをシルフィナが教えようとする意味がわからなかったのだ。
人の行動は感情か、論理で動く。
己の利益とならぬ行動を取るとなれば、論理ではなく感情で動いているはずだ。
なるほど、目の前のシルフィナという女はいかにも自由奔放で感情でのみ動く者に見える。
事実、アルバートは彼女と会う直前までそう思っていた。
だが、一目相見えればそれが間違いだとわかる。
彼女の目は、どこまで深く、澄んでいた。
傾国と呼ばれ、魔性に堕ちたかつての聖女であるはずなのに、その瞳には汚れなど微塵もなく、どこまでも深い思考の信奉者の理知的な光が宿っていたのである。
あれは、アルバートと同じ目的を達成するために必要を行う人種だ。それが一般に悪と罵られようとも、己の定めた目的を達成するためであれば躊躇なく断行し、世界を論理で闊歩する化け物の瞳だった。
「お主には期待しておる。そういうことじゃ」
「……情報が足りなさ過ぎて、さっぱり分からんな」
「ま、いずれ分かる。それじゃあ、妾はこのままお暇しようか。ちと、古馴染みに会いに行くでな」
シルフィナはそう言うと、再びどっこいせと掛け声を上げて立ち上がった。
それと同時に世界に亀裂が入り、ゆっくりと砕け始めた。
「案ずるな。妾の作った世界を崩壊させているだけじゃ。完全に壊れたら、元いた場所に戻る。妾は違う場所に出るから、探してもおらんがの」
「もう一度聞くが、協力者になる気は?」
無駄な質問と分かっていたが、アルバートは繰り返した。
ほんのわずかな時間しか一緒にいなかったが、開けっぴろげな少女の姿をした化け物を気に入っていた。
だが、シルフィナはにんまりと笑うと、からかうように言った。
「寂しがりの坊やじゃのう。残念ながら妾は乳は出んぞ」
かっか、という高らかなシルフィナの笑い声が響く中、世界は砕けて消えた。
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