敬虔なる僕はかく戦えり
「聖上の衣、悪意の剣を拒絶せんと欲す! 邪悪なる者入ること能わず!! 聖護法界!!」
ローズマリーの絶叫にも似た詠唱とともに、黒いナイフが一斉に輝きを放った。
聖化された短剣を触媒として生まれた結界は、短剣を伝播するように重層的に七枚展開された。それは魔法とは異なる何かだ。
神より与えられし邪悪を打ち破る聖なる技。
魔力の消費は少なく、しかしその威力は人知を越える。
されど、修得するには長い年月を要し、真なる天才しか修得することは叶わない。戦闘に関する感覚は図抜けていたローズマリーでさえ、人生の半分以上を修練に費やしてようやっと身に着けた技である。
「いまです、逃げなさい、アルマ!!」
「わ、分かりました!!」
コルネリアの鞭を弾き返したことを確認したローズマリーが叫ぶと、アルマははっと顔を上げ、すぐに走り出した。
結界を背に、魔導図書館の外へと向かう進路。
魔力制御により足を集中的に強化することで人外の速度を得たアルマは、地面を爆発させながら駆け抜ける。本来であれば速度と幻影の魔法を生かして敵を翻弄する戦いを得意とするが、ここは逃げに全てを使う。
外まではもうほんの一秒。
出てしまえば複雑に入り組んだ街路が彼の姿を隠す。
逃げ切れる自信はあった。
だが。
「ごふっ? ……え? なにこれ?」
胸から生えた紅い植物の蔓のような何かに、アルマがきょとんと目を丸くする。足は動かしているのに、まったく視界に映る光景が変わっていない。
おかしい、おかしい、おかしい。
訳が分からず地面を見て、納得した。
コルネリアの鞭に胸を貫かれ、そのまま宙に持ち上げられているのである。いくら足を動かしたとて、地面に足が触れていなければ意味がない。
恐ろしいことに、コルネリアの鞭は七枚の結界を貫いてすらいささかも威力を減じていなかった。
急速にぶれる視界と、腹の中身が掻き回される不快に顔が歪む。
ああ、なあんだ。こんなあっけなく死ぬのか。エレルフィーネ、最後に一眼会いたかった――
それが彼の最後の思考で、それを最後に、頭から地面に落下した彼の意識は何かが破裂する水っぽい音とともに消えた。
「あ、アルマっ!!」
「馬鹿ね、自分の心配をしなさい」
アルマに駆け寄るローズマリーの首に炎が走り、弾けた。
己より強い者への油断など愚かしい限りだ。
それきり、二人は覆い重なるように倒れ、動きを止めた。
「終わりました、呪術王様」
「ご苦労。食っていいぞ」
「はっ。有難く……」
コルネリアが再び鞭を振るうと炎が走り、二人の体が燃え上がった。凶悪な火力は一瞬で二人の体を塵と化す。空に舞い上がり消えるかと思われた炎は、蛇の形を取ってコルネリアの体にすり寄った。
それだけで、彼ら二人の魂根は消滅していた。
「ふむ? お前は口から食わんのか?」
「はい。呪種を開いて初めて理解しました。我が紅眼族は、この第三の瞳で炎を操ります。私の体は炎と同一でございますから、炎に吸収させれば体内に取り入れたのと同じことでございます」
「そうか。それで、効果はどうだ。お前の言うもう一つ上とやらは見えたのか?」
その質問に、コルネリアは恍惚の笑みを浮かべた。
「ええ、それはもう……これならば、必ずや呪術王様のお力になれるものと存じます」
「そうか。お前がそうであれば、あの二人の力もまた上がっただろうな。指揮官としては期待できないが、戦士としてであれば使いでがあるか……」
その言葉に、コルネリアは顔を曇らせた。
「ですが、よろしかったのでしょうか」
「なにがだ?」
「その、私達の力を高めるための贄をわざわざご用意頂いたのは、一種の働きに対する褒美であったとモーロック様より伺っています。イグナーツとリーゼロッテは、満足はいかぬまでも戦争で力を示していますが、私はお役に立てたとはとても……」
褒美だけを貰う己を恥じて羞恥に頬を染めたコルネリアが視線を下げ、艶やかな赤い前髪の一房がはらりと額にかかった。
第三の目を興味深く観察していたアルバートは、その行動によって瞳が見えなくなったことを残念に思い、無造作にコルネリアの顎を指先で持ち上げた。
驚愕するコルネリアの額の髪を耳にかけてやりながら、問題ない、と言う。
「あれらは戦うことが仕事だ。お前の仕事は戦いではなく、政治だ。廃都の治世を遺漏なく行うことにかけて、吾輩は十分にお前の忠誠を感じている。お前が眠っている間はモーロックが代行していたが、お前の半分の力も発揮できんと嘆いていたぞ」
「そ、それはモーロック様のお心遣いです」
「ふむ?」
アルバートは首を傾げた。
「では、あれは吾輩に嘘をついたということか?」
「い、いえ、そんなことは……」
「だろうな。吾輩に虚言を弄するほどあれも愚かではあるまいよ。だからこそ理解せよ、コルネリア」
アルバートは幼子に理解させるように、ゆっくりと言った。
「お前は褒美に相応しい」
その一言に、コルネリアは雷撃に打たれたような衝撃を受けていた。
かつて、これほどに満たされた心を得たことがあっただろうか?
呪族の統率者として寝る間も惜しんで政務に励み、それでも四人の君主達からはそれが当然と軽んじられ、戦いもできぬ愚図と蔑まれていた。
それは一族の者達ですらそうだ。紅眼族自体が戦闘が不得意であり、コルネリアは一族の中では最も強い。しかし、君主達の中に置かれれば一歩も二歩も遅れを取るという事実ゆえに、一族の者達からすら落胆されていた。
何をやっても当然と思われ、むしろ蔑まれる生活は確実に彼女の心を蝕んでいた。正気を保っていたのはひとえに呪族を守らんとする、彼女の信念ゆえであったのだ。
だからこそだろう。アルバートが現れてからのコルネリアは、使われるという事に解放感すら覚えていた。ましてや、それが忠誠にたる絶対者であれば、命令に従うことに快感すら覚える。
アルバートに忠誠を捧げるようになってからこちら、仕えることに対する幸福は日に日に増していくことはあれど、減じたことは一度としてない。
今日この時、また新たな幸福の限界を突破し、コルネリアは恍惚とした表情を浮かべた。
だが、対するアルバートはコルネリアの第三の目の観察に満足するや、興味を失った。
「さて、ひとまずうまくいったか」
アルバートは自身の策が、大筋で成功していることに安堵の息を吐いた。
イグナーツとリーゼロッテの指揮官としての実力を確認すること、そして、三人の君主に贄を食わせ、もう一つ上の段階に実力をアップグレードすること。
ムスラバを制圧するだけであればそれほど苦労することもなかっただろうが、これらの目的を同時に達成するためにずいぶんと骨を折ったのだ。
一年以上も前からミシェルの皮を被り、ムスラバに潜入していたウベルトの働きもあって、及第点と言えるできだ。
あと残る目的は二つ。
オルフェンと紅蓮を軍門に加えること。
そして、シルフィナとの協力関係の構築である。
「待たせたな、シルフィナ」
「ふふん、妾を待たせるとは男前のつもりかの。ま、妾は気が長いゆえな、怒りはせぬが。多少、お主への興味が薄れたことには違いない。女の心は移ろいやすいからのう」
アルバートはくつ、と笑った。
「よく口が回る。<傾国>であれば、吾輩以外にも男はおろう。喰らうのはそれらで我慢せよ」
「かっ。なんじゃ、お主、初物かよ?」
「ノーコメント……いや、秘密だ」
シルフィナは怪訝な顔で首を傾げた。
「なんじゃ、そののおこめんとというのは……まあ、いいわ。それより本題に入ろうじゃないか。わざわざロゼリアから連れ出したのは、妾の魅力に取りつかれたというわけでもあるまい?」
「ああ。シルフィナ、吾輩の協力者となれ」
単刀直入、単純明快。交渉の妙味など無駄でしかない。力と合理を持って意思を伝える。分かりやすい力の論理は、アルバートが世界を平和に導く合理でもある。
それがゆえに、シルフィナはぽかんと口を開けたあと、爆笑した。
「かっ、かかっ! これは愉快よのう……これほどに痛快な誘い文句は初めて聞いたわ。女を誘うなら探りの一つも入れるもんじゃが……いやはや、笑わせてくれたの」
「それで、返答はどうする」
「ふうむ。正直に言えばお主は嫌いじゃないのう」
アルバートの全身を舐めるように下から上へと見つめるシルフィナは、しかし大きく首を振った。
「妾には心に決めた男がおるゆえな。お主の誘いは断るしかなかろうよ」
「では、敵対すると?」
「さて、どうするか」
シルフィナは快活に笑い、悪戯っぽい流し目を送った。
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