裏切りの公爵
ムスラバに呪族からの宣戦布告が行われて二日、オルフェンの必死の情報統制も空しく、どこからともなく呪族侵攻の噂は住民達の間に広まり始めていた。
最初のうちこそ呪族侵攻の噂を信じる者は少なかったが、街を警備する兵士達が日に日に殺気立っていくに従い、真実味を増していく。
住民の半数が商人や冒険者などの根無し草である以上、噂が事実であると信じる者が増えるに従い、街を脱出する者も加速度的に増えていくのは当然の帰結だ。
街の雰囲気は一変していた。
善意も悪意もごちゃ混ぜにしたような混沌とした熱気とは異なる、殺伐とした空気。街に着いたばかりの頃とは違うそれに、アルバートはわずかに目を細めた。
「ふむ……去る者と残る者、その比率は想定の範囲を越えぬか。非日常を信じられぬ者が多いと考えるべきか、それとも何も考えていないだけと捉えるべきか」
考えても答えが出ぬことではある。
そう納得し、廃屋の窓からわずかに見える街路が視線を外すと、やりかけの作業を完了させるために意識を切り替えた。
地面に刻んだ魔法陣に時間をかけて呪力を流し込む。
廃屋の床全てを埋め尽くすほどの巨大さで、びっしりと文様が刻まれた魔法陣は、およそ理解できる者がいるとは思えないほどの精緻さだ。
しかし、それでも急速に流し込まれる呪力に耐えられるだけの強固さを確保するには大きさが足りず、充分な呪力を充填するためにかなりの時間を必要としていた。
一つにつき半日余り。
目的のために必要であるとはいえ、予想以上に時間を取られる。
ようやく魔法陣への呪力の充填を完了し、魔法陣を隠すように絨毯を敷く。
計画の為にはまだまだ魔法陣の数が足りない。廃屋を後にしたアルバートは、イグナーツ達が到着するまでの予定を調整する必要を感じながら、帰宅の途についた。
好ましくはないが、魔導書を読む時間を多少削らなければなるまい。仕事のために趣味の時間を削る、必要悪ではあれど、悲しみは深い。
「とはいえ、それほど見るべき物があるでもなし……なんとでもなるか」
魔導図書館の蔵書の多くは賢者の隠れ家にあった物と被る。むしろ、稀覯本や初版本ばかりが納められていた賢者の隠れ家のほうが、蔵書としての価値は高い。
魔導図書館の蔵書でアルバートが読む価値を見い出せるのは、賢者の隠れ家にもなかった新しく作られた魔法だけで、それは全体の一割にも満たなかった。
「お帰りなさいませ、呪術王様」
「ああ。変わりないか」
図書館の私室に戻ると、すぐにウベルトが紅茶の用意を始めた。今日はジャムではなく、柑橘系の果物で水出しにしているらしい。
上着を脱ぎながら横目に眺めていると、ウベルトの手にある硝子製のティーポットには、果物の皮だけが浮かんでいた。
「果肉は使わないのか?」
気づいたウベルトが顔を上げ、頷く。
「果肉部分は酸味が強すぎるのです。皮にも充分香りがありますから、それで充分爽やかな風味を楽しめます。普段は捨てられるような部分こそが重要、そういう紅茶もあるのです。モーロック様の受け売りですが」
「ふむ、そういうものか」
氷水の入ったボウルから取り出されたばかりで、ティーポットの中身はよく冷えている。味を薄めないために直接氷を入れない工夫なのだろうが、手間のかかる贅沢な作り方だ。
しかし、その価値はあった。
渡されたティーカップに口をつけると、何とも言えない爽やかな味が舌の上に広がる。
「旨いな。よく冷えていて、喉越しが心地いい」
「ありがとうございます。味をぼやけさせないよう、冷やす際は直接氷を浮かべないようにとモーロック様からきつく指示されておりましたが……我ながらよく再現できたと思います」
「ああ。これならばまた飲みたいな。だが、欲を言えばもう少し甘くても良い」
「かしこまりました。では、次回はそのように」
ウベルトは頭を下げ、ふと顔を上げた。
「申し遅れましたが、呪術王様。お客様がいらしております」
「例のか。会うのは今日の夜だったはずだが?」
「少しばかり、わがままな方のようでして……一度お帰り願いますか?」
アルバートは少しだけ、紅茶とともに魔導書を楽しむ自由な時間を惜しんだ。しかし、客人を待たせるというのは、アルバートの価値観からすればいささか礼儀に欠けている。
相手が約束の時間よりも早く来訪するという礼儀知らずであったとしても、それはこちらが礼儀を無視する言い訳にはならない。
「よい、通せ」
「かしこまりました」
◇◆
招き入れられた女はフードを目深まで被り、顔を伺うことはできなかったが、つんと鼻をつく強い香水の匂いがした。
アルバートは深々とソファに腰かけたまま、傲然と声をかけた。
「座れ、ノワール・ハーミット公爵」
ここムスラバの領主である女公爵は、フードを下ろすと目の前に座る鬼面の男……呪術王を前に、恐る恐る椅子に座った。
どこからどう見ても何の変哲もない人間が鬼面を被っているだけにしか見えない。
才気走った大商人のような迫力はなく、どちらかと言えば街の片隅で常連客相手に細々と商っているような、毒にも薬にもならぬ輩である。
だというのに、彼女は滴る汗を拭うことすらできない。
それもこれも、彼が呪術王という世界の敵の名前を名乗るからだ。それが本当か否かは分からないが、彼のいかにも平凡な有様は逆に不気味な圧力を感じてしまう。
「ウベルトと話は進めていたようだが、お前と直接会うのは初めてだな……さて、本題に入ろうか」
「は、はいっ」
「怯えることはない。少なくともいま、吾輩はお前を傷つける意図はない」
「あ、ありがとうごいます」
言って聞くなら良いのだが。
まったくこちらを見ようとせずに、ボタボタと滴る汗で地面を濡らすノワールには意味がないようだった。
「公爵、首尾はどうか?」
「はい、万事抜かりなく……ですが、そ、その……」
「なんだ?」
早く魔導書を読みたいアルバートにしてみれば、口ごもるなど時間の浪費だ。多少の苛立ちとともに睨み付ける。
「ひっ、そ、その、本当によかったのでしょうか。部下が独断専行するように仕向けるなど……」
「最大戦力を用意するにはそれが一番だと助言したのはお前だろう?」
「それはまさしく……私には中央に味方がおりません。いえ、正直に言えば敵ばかりで……私がいくら援軍をと声をあげたところで、一万が関の山でしょう。その点、私の部下達は人望と能力に溢れた者達……彼らが嘆願すれば中央の仲間どもがこぞって協力するでしょうから」
「それこそ、最大戦力が送られてくると?」
「必ずや」
つまるところ人望の差というわけだ。
自分で言っていて恥ずかしくないのかと思うが、それも冷静な自己分析の結果と考えれば、優秀さの現れと言えなくもない。
人に好かれるに越したことはないが、好かれることが優秀さと同義であるわけでもないのだ。
果たして目の前の女を信じていいものかどうか……極論すれば、使えるか、使えないか。判断するにはもう少しピースが必要だと感じていたが、それよりも委縮しきったノワールの様子のほうが気になった。
どうしたものかと考えていると、ノワールが恐る恐るといった様子で顔を上げた。
「なんだ?」
「はっ、そ、その……」
口ごもったノワールの脳裏には一つの疑念と、果たしてそれを口にすることでどうなるのかという不安が渦巻いていた。
だが、それでもこれだけは確認をせざるを得ない。
なにしろ、己の人生を決める大切な局面なのだ。
ごくりと唾を飲み、やけにひりつく喉を少しばかり潤して、ノワールはかすれる声を絞り出した。
「ほ、本当に呪術王様だという確証を頂きたいのです」
「……ふむ?」
平凡極まりない雰囲気の男は、やけに落ち着いた、粘りつくような視線を向けながら、不思議そうに首を傾けた。
お読み頂きありがとうございます。
6月中、毎日更新チャレンジ中です(*'▽')
「面白い」「続きが気になる」と思って頂けたら、
↓の「☆」を「★」に変えて応援して頂けると励みになります!
(小説家になろうにログインしないと表示されません)
ブクマ、感想もぜひ。我に力を……っ!




