恐怖の王
居並ぶ四人の異形を睥睨し、アルバートはできるだけ尊大な口調を心がけた。
「さて、眷属達よ。吾輩はそなたらの事を知らぬ。簡潔に教えてくれるかな」
部下を知るのは上司の務めだ。
アルバートにとってはそれだけの意図でしかない質問だったが、彼らにとってはまったく違う意味に捉えられた。
すなわち、忠誠を誓う気があるか、である。
彼らは混乱の真っただ中にあった。
コルネリアが女王と成ってから百数十年、生意気な小娘ながらもその政治手腕に問題はなく、治世は安定していた。
しかしそれでも心からの敬服を抱くことはなく、失策があればすぐさま取って変わらんと虎視眈々と目を光らせる、そういった危うい関係が長く続いていたのだ。
そこに来てのヒルデリク王国の大攻勢だ。
絶対防衛線たる大樹海は容易に突破されている。
それはコルネリアの失策というにはあまりにも不憫な事態ではある。
とはいえ、事態は急を要し、血の気の多いイグナーツとリーゼロッテなどは呼び出されたのを好機と王座を奪い取る心づもりだった。
種族の存亡が間近に迫るいま、争うのは愚かと思うかもしれない。
だが、戦いにおいて呪族の中で二人を上回る存在はいない。いまこの時にあっては、むしろ二人が王となることが最も相応しい、そう信じていたのである。
それがどうだ、蓋を開けてみればコルネリアは怖気が走るほどの鬼気を振りまく男に従者のごとく付き従っている。
あまつさえ、その名を呼ぶ事すら恐れ多い呪術王様と呼ぶのだ!
ついに気が狂ったか、あるいは幻惑の魔法でもかけられたか、薬、脅し、拷問、様々な可能性が浮かび、それら全てがただ一瞬で否定された。
目の前に座る男の放つ呪力の強大さ、比類なし。
己が存在の矮小さを悟るにこれ以上の証明はないだろうと言わんばかりの、見せつけるがごとき莫大な呪力が放たれているのだ。
いいや、事実見せつけているのだと二人が悟るのに時間はかからなかった。
目の前の呪術王と名乗る男は、その圧倒的な呪力でもって異論を殺しているのである。
顔を上げることすら恐ろしく、それでも恐れているのは自分だけではないかと淡い期待を抱いて左右を見回しても、同じ眷属の君主である実力者たちは例外なく恐怖に顔を歪めている。
是非もなし。
我らが前に座するは真なる神と断じ、膝をついて頭を垂れるしかなかった。
ただしそれは、ただ一人、青白い肌の筋肉の巨城と呼ぶべき男を除いてだ。
仁王立ちのままアルバートを睨みつける男――イグナーツだが、余裕があるわけではない。むしろその逆だった。横で膝をつくウベルトなどは、彼の足が良く観察せねば分からぬ程度ではあれど、小刻みに震えていることに気付いていた。
それでもイグナーツは膝を屈することなくアルバートの視線を正面から受け止めてのける。されど、コルネリアの口から放たれたのは感嘆ではなく怒りだ。
「控えなさい、イグナーツ。王の御前です」
「……強い力を持っていることは理解できる。だが、本当に我らが王なのか?」
「何を無礼な!!」
疑うことすら万死に値すると言わんばかりのコルネリアだが、アルバートはそれこそ愚かと笑った。
疑う頭というものは非常に重要だ。狂信者のごときコルネリアの信頼は都合がいい反面、疑う意思を消失させる。それは健全な組織運営にとっては害にもなりうる。
むしろ、イグナーツの疑心と、反発を恐れぬ態度こそ良しとすべきだろう。
彼に詰め寄りかねないコルネリアを腕で制し、アルバートはわずかに首を傾げて見せる。
「確かに、証明は難しいな。証拠とは、お互いが確かな事実であると断じる根拠が必要だ。だが、例えばここで吾輩がこれぞ呪術王の愛用していた品であると差し出したところで、君にそれが本物と判別することなどできはしないだろう?」
悪魔の証明と呼ばれるものだ。例えばそこに人がいる、という誰が見ても確かと判断できる事実があれば問題はない。
だが、そこに人がいた、というような場合はどうか。誰かは残り香を感じ取るかもしれないが、誰かはそんなものは感じないと言うかもしれない。
誰もが確かと思える根拠が提示できなければ、それは真なりと証明するには足りぬということになってしまう。
言葉遊びのようでもあるが、それは厳然たる事実。
それをイグナーツも了解しているからこそ、アルバートは自信満々に言い切った。
「然るに、王とは民を守るものだろう。呪族を滅亡の危機に陥れている蛮族達を吾輩の手で殺しつくそう。どうか?」
「そんなことができると?」
「さて、やってみねばなんともな。しかし、吾輩を信用できぬとあらば致し方なし。貴様らの軍勢を持って敵を駆逐すればよかろう。吾輩は貴様らが骸となった後、残った呪族を守るために立ち上がろうではないか」
それはイグナーツにとって到底飲める選択ではなかった。
イグナーツとて呪族有数の戦争巧者で知られる強者である。己が軍勢だけでは万に一つの勝ち目もないと考えたからこそ、コルネリアの玉座を奪い、呪族一丸となって立ち向かう腹積もりだったのだ。
それはリーゼロッテとて同じはずで、己が一族だけを率いて攻め上がれと言われて頷けるはずがなかった。
「我らだけでは全滅するだけだ。だが、あなたとて呪族の力を結集せねば立ち向かえぬだろう」
条件は五分のはずだ、そうイグナーツは言った。
だが、対するアルバートはため息をついて否定した。
「吾輩の手で、と言ったが。伝わらなかったかね?」
「……一人で戦うとでも?」
「その通りだが。それすらも分からぬ低能でもあるまい」
明らかな挑発だったが、イグナーツはぎりりと歯を嚙み絞めて耐え、最も重要な質問をした。
「あなたは、呪族を守ると約束されるのか?」
「然り」
気負いも偽りもなくただ頷かれ、ついにイグナーツも納得せざるを得ず、膝をついて頭を垂れた。
「死鬼族が君主、イグナーツ。俺、いや、私は至尊の御方に忠誠を捧げます」
「そうか。よろしく頼むぞ」
鷹揚に頷くアルバートに、イグナーツは苦渋に満ちた視線を向けた。
次に口を開いたのは、褐色の肌に白い髪の身の丈に合わぬ大剣を背負った女だ。
膝をついた姿勢ながら、不自由を思わせぬ流麗な動きで大剣を抜き、アルバートに掲げて見せた。
「妖剣族が君主、リーゼロッテと申しますわ。私はイグナーツと違い、約束などは不要ですわ。偉大なる死の化身に我が剣を捧げましょう」
「そうか。その剣、戦場で使い潰させてもらうぞ」
妖剣族にとって剣を捧げるのは最上級の忠誠の証、それを受け取るだけではなく、戦場で使い潰すまで使うと言われ、リーゼロッテは恋に焦がれる少女のように頬を染め、陰惨な笑みを浮かべた。
次に口を開いたのは目元だけしか見えない貫頭衣の男。
「黒蟲族の君主、ウベルトとですす。闇より深き御方、闇に沈み生きるる一族、全からく従いましょううぁ」
「そうか。お前の闇に期待しよう」
前の二人とは異なり、ウベルトは静かに頷いただけだ。
しかし、その服の下が激しく蠢き、彼の心の激情が並ならぬものであることは容易に読み取れた。
最後は病的な青白い肌をした痩躯の男だ。
「屍狼族が君主、ダナで、ございます……我らが呪族の、父神に、忠誠を誓、います」
「そうか。一度目だな」
「い、一度目、ですか……?」
先の三人とは違う返答に、ダナは困惑した。
「狼屍族のダナ。吾輩に忠誠を誓うな?」
「も、もちろんで、ございます!」
勢い込むダナを冷ややかに見つめ、二度目と呟くアルバート。
異様な雰囲気に気づいた他の君主達の視線が集中し、ダナはより一層慌てた。
「お、お待ち、ください。呪術王様、何か誤解がある、ようです。私は真実忠誠を……」
「もうよい」
言葉を手で制し、アルバートは息を吐いた。
これ以上の問答は無用、罪は裁かれねばならない。
「お前達と会うにあたり、吾輩は一つの魔法を行使した。虚言看破……意味は分かるな?」
ざわり、とダナを除く三人から殺気が立ち上った。
アルバートへではない。
ダナに向けて、だ。
虚言看破の魔法自体は全員が知っていた。
相手の嘘を見抜くことができるそれは、権力を手にする者にとって良くも悪くも重要な意味を持つ代物だ。相手の嘘を見抜くこともできるが、逆に自身の嘘を暴かれることにもなるのだ。
当然、対処法はある。
魔法自体を拒絶するものではなく、魔法の発動を感知するという対処と呼ぶには弱いものだが、それでも魔法の発動を理解していれば最悪を回避することは可能なのだ。
だが、この場にいた君主達の誰一人として虚言看破の発動を察知することができていなかった。
それはつまり、アルバートが虚言を弄しているか、あるいは魔法の発動を察知させぬほどの高次元の何かを行っているかである。君主達は目の前の王の威容に、それが後者ゆえであると断じていた。
「な、何かの、間違いでございます……!」
「そうか。では皆に問おう。お前と、吾輩の魔法と、どちらが信ずるに値するか?」
三人の反応はそれぞれ違ったが、それでもそこに込められた意味は同じだ。
すなわち、ダナは信ずるに値せず。
膨れ上がる殺意と裏腹に行動に移さないのは、一重に忠誠を誓った呪術王、アルバートが命令を下していないからだ。
一度命令されれば、弓から放たれた矢のように一瞬にして素っ首を叩き落とし、アルバートの前に供するだろう。
それが分かるからこそ、ダナは青い顔をさらに青く変じ、何とか命を保つ術を探そうとした。そんなものはないと分かっていながらも、すがるように、祈るように、視線をあちらこちらに彷徨わせ、ついにアルバートの視線と交わった。
「二度ならば許す。だが、お前は三度嘘をついたな。罰を与えるが……眷属としてのこれまでの働きに感謝を示さなければ適当とは言えんな」
「か、感謝、ですか……?」
もしかしたら。
万が一にも。
そんな意識が見て取れる媚びた顔に、コルネリアが目じりを吊り上げた。
アルバートは片手で落ち着くように示した後で、ダナに向かって右の掌を差し出した。
「お前に最後の奉公の機会を与える。喜び、勤めを果たすがよい」
死屍蟲の舞踊。
アルバートが口にした言葉はたったそれだけ。
その瞬間、ダナの足元から紐のように細い茶褐色の蟲達が飛び出し、絡みつくように体を拘束したかと思うと、皮膚を食い破って体内へと侵入を始めた。
「あぎゃ、いだぎゃぁぁぁぁぁっ、いだっ、がぎゃ、だずげ、だずげで、あががががぎ……っ!?」
言葉にならない命乞いがダナの口から洩れる。
しかし蟲達にそんな言葉が通じるはずもなく、アルバートの指の動きに合わせて踊るように体外へと飛び出し、再び体内へと潜り込んでいく。
おぞましきは体中に穴が空き、体内に蟲が通る道が穿たれているというのに、血の一滴すらも出ないことだろう。
「呪術王様……これは……?」
顔を強張らせて問うたコルネリアに、アルバートはよくぞ聞いてくれたと顔を綻ばせた。
鬼面で目元は見えないが、楽しそうな口調でそれは察せられるだろう。
「彼には吾輩に忠誠を誓えない理由を喋ってもらわないといかんからな。拷問用の呪術だ。これはすごいぞ、痛みはあるが、死なないらしい。体中に穴が空くが、空いた端から蟲の体液が血止めをして殺さないようにする。食い破れば死ぬ場所は避け、痛みだけを与え続ける……こればかりは相手がいないと試せなくてな。一度使ってみたかったんだ。どうだ、蟲とはいえ賢いだろう?」
これほど状況に適した呪術はないだろう、面白い呪術だろう、そう口にする子供のようなアルバートの異常な一面に、三人にはそれ以上言葉を発することはできない。
ただ蟲を操る指先を凝視し続け、それが自分でなくてよかったと心の中で安堵の息を吐くことしかできなかった。
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