呪われし王の覚醒4
恐らく、それはブリジットにとって青天の霹靂とも言うべき事態だった。
ユーフォリア王国がまだ王族ではなく、各地を流浪する一介の騎士であった頃から、血に根付く聖剣の存在は一族の誇りだったのだ。
消すも呼び寄せるも自在で、あらゆる物を切断してのける。
一族の内の一人にしか発現せず、その者が死なぬ限り他の誰の手にも渡ることはない。
それゆえに、一族は選民であるとの認識を持ち、聖騎士王の一の部下の子孫としての矜持を保ち続けたのだ。
聖剣の発現者が一族の指導者であった流浪の時代とは異なり、国を持ついまは国王以外が剣を持つことも珍しいことではない。
されど、だからといって聖剣に特別な感情が消え失せたわけではないのだ。
それがどういうことか、ブリジットの手から煙のように逃げ、目の前にいる化け物の手に在るではないか。
「ふむ。不思議そうな顔をしているが……むしろなぜ奪われないと思ったのか、そちらのほうが不思議だよ」
「そ、そんな、ありえない――」
アルバートは嗤い、重さを感じさせぬ金色の長剣を軽く振って見せた。
「うむ。良い剣だな。ああ、ところでありえないという言葉は口にしないほうがいい。よいかね、この世界にありえないという事などないのだ。まだ起こっていない、ただそれだけの話なのだからね」
だから現実をよく見るといい、そう続けたアルバートだったが、愕然と剣を見つめ続けるブリジットにはさすがに呆れてしまった。
土くれも同然の存在とはいえ、さきほどまでの力も無いくせに健気に縋り付こうとしていた必死さはどこへやら、まるで寄る辺をなくして泣く子供のようではないか。よほど現実を受け入れきれないと見える。
「その様子では事実が理解できぬようだ。それほどこの剣が万能だと思っていたのだとしたら愚かしいことだな。魂根は親の特徴を引き継ぎ、この剣はその引き継がれた因子を判別することができる。なるほど、素晴らしい仕組みだ。因子を持たぬ者の手には決して渡らぬように術式が組まれているわけだな。だが、その因子を偽装して見せる者がいれば意味があるまい?」
「……それが、あなたにはできる、と?」
信じられないと震える声が漏れた。
だが、アルバートは当たり前だと鼻を鳴らす。
「できぬ道理がない」
アルバートはその理由までは口にしなかったが、特徴的な術式には見覚えがあった。
これは魔法ではない、呪術だ。
彼が知る限り呪術を構築できる存在はこれまでにたった一人しかいないはずだ。その時点では確度の高い予想であるが、組み上げられた術式の中に見える癖を見れば予想は確信へと変わる。
これはカルロの術式なのだ。
なぜかつての呪術王の術式が敵であるはずの聖騎士王の部下に付与されているのか。
その理由までは分からない。
研究室で見つけた書物おによればかつての王達は幼馴染のような関係であったらしい。あるいはある一定の時期までは敵対していなかったということも考えられるが、どこまでいっても推測でしかない。
確定的な事実なのは、カルロともあろうものが因子の偽装に対して何の対抗術式も組み込まず、無防備な状態で術式を放置していたということだ。
「つまるところ、いつでも奪えるようにしていたということなのだろうな」
「な、なにを……?」
「独り言だ。お前には関係ない……ああ、何度か無駄な努力をしているようだが、お前の手には二度と戻らぬよ」
ブリジットが聖剣を取り戻そうと何度か術式を発動させていたのに気づかぬはずもなく指摘したが、彼女はそれを脅迫とでも受け取ったのか、びくりと体を跳ねさせた。
その顔は、なぜ、という疑問で塗りつぶされている。
「そんな顔をされても困るのだがな。単純な話だ。この剣の所有者は、因子を持つ者の中でもっとも魔力が高い者に渡るようになっている。君と吾輩、どちらが魔力が多いかなど考えるまでもなかろう?」
「じゃ、じゃあ本当に……もうその剣は戻ってこないと……?」
「然り。証拠が見たいかね?」
我知らず頷いたブリジットに、アルバートは満足気に剣を振った。
それだけで剣に仕込まれた術式が発動、概念としての武器であるそれは、使用者の意志に従って形を変える。アルバートが望んだ姿、それは牛鬼を倒した時に握っていた短剣だった。
姿形こそ似ているものの、たかだか<不奪>と<不壊>の能力しかなかったあの短剣とは内包する力が端から異なる。しかし、同じ形というだけで手にしっくりと馴染むもの。
アルバートはゆったりとブリジットに歩み寄り、鎧に覆われた華奢な肩を掴んだ。
「この剣は、使用者を決して傷つけることはできぬ。つまり、お前はもう使用者ではない」
ブリジットは小さな痛みを感じ、視線を下した。
胸から生えた金色の短剣と、それを握るアルバートの筋張った手が視界に入れば、嫌でも理解せざるを得ない。
「私の、誇りが――」
「くだらぬよ、ブリジット君」
アルバートは嘆息し、剣を引き抜いて力の抜けた彼女の体を押した。
それだけブリジットはよろめき、ユウヤに覆いかぶさるように倒れた。
痛みに苦悶の声を漏らし、何の抵抗もできぬかつての友。
そして、心のへし折れた愚かな俗物の女。
「お似合いだな。せめてもの手向けだ、ともに死に給え。灼熱の牢獄で朽ちよ」
紡がれた凶悪な呪術はユウヤの拒絶を持ってしても防ぎようがなく、彼らをこの世から消滅させる。それだけの威力を持たせた炎の槍が数十本、まるで炎の牢獄に閉じ込めんとするように二人の周囲に突き立った。
近くにあるだけで肌がじりじりと焼けるほどの熱量を放つそれは、ゆっくりと二人を包み込むように形を変形させる。
檻が形成されるまでに時間がかかり、獲物を内側に捕らえることが困難であるがゆえに使い辛い呪術だ。
しかし、一度牢獄が完成してしまえば獲物が消失するまで消え失せることなく、無限の炎で敵を炙り続ける。灼熱の結界とも言うべきその呪術は、威力だけであればアルバートが持つ呪術の中でも上から数えたほうが早い代物だった。
二人に抵抗する力はもうない。
もうほんのわずかで完成する牢獄に閉じ込められ、永遠にその顔を見ることもない。
だが、運命とはそううまくはいかぬものだ。
魔力の波動にアルバートが気づいて咄嗟に防御術式を展開したのと同時、炎の牢獄に霞んでいた二人が竜胆色の光に包まれて消え失せたのである。
「なんだと!?」
舌打ちとともに気配を探るが、すでに二人の魔力は感知できる範囲内にはなかった。
ぬかった、そう思ってもすでに時は遅く、殺すべき相手を逃がしたという苛立ちだけが残る。
ぎり、と奥歯を鳴らしても現実は変わらない。
ならば切り替える他なし。
「あの程度の力ならば、いつでも殺せるか」
いまはそれよりも、ほかにやるべきことがある。
ついと視線を巡らせた方向には壁しかないが、アルバートの目にはそこで戦っている数百の人間の魔力が映っていた。
礼には礼で返す。
敵対者にとっておよそ信じがたいことながら、アルバートにとってそれはひどく当たりまえの行動原理だった。
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