8.アミミ、初めてのクエスト
湖からそそくさと退散したあと、俺たちは街を見回っていた。
冒険者ギルドから一直線に湖まで行ったので、周囲の店はあまり見ていない。先程の蒲焼の事もあったため、まだまだ隠れた名店があるかもしれないと思ってのことだ。
金策に関してはちょうどピンクレーダーが手に入ったので、アングリーボアの代金を受け取る際換金の依頼をする予定だ。2つの金額を合わせれば、アミミの財布も暫くは保つはずだ。
まあ無茶な使い方をしなければであるが。
という訳で取材という名の観光を行っている。
湖から少し歩いたところで俺たちは10人くらいの人の列を見つけた。
今は大通りから一つ通りを横に入ったところだが、比較的若い年代の男女が列をなしている。その先にあるのはどうやら飲食店のようだ。
表にはテラス席なのか、幾つかのテーブルと椅子が設置されており、甘い香りがここまで漂ってきた。
「トール殿。あの列は何でござろうか?」
アミミが口の端から漏れた涎を拭いながら訊いてくる。
……こいつ絶対あれが飲食店だと気付いている。俺に答えを言わせてあわよくば行こうとしているに違いない。
「……匂いから察するに喫茶店の類だろうな」
「喫茶店。東方で言うところの茶屋にござるな」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
無言を通しているとアミミが期待のこもった顔で俺を見上げてくる。俺は無表情のままアミミを見つめた。
そんな無表情合戦を暫く続けると、アミミが悲しそうな表情になって目を伏せる。
俺はハァとため息をつきながら、アミミを連れて列に並ぶ事にした。
「やはりトール殿は優しい御仁でござるな」
「そんなこと言ってるとお前今日の夕飯なしにするぞ」
「そんな殺生な!」
ガーンという効果音が背後に見えるような分かりやすい表情になるアミミ。こんなに食い意地が張っていて今までよく旅ができたなと思わず感心してしまう。
暫くすると順番が回ってきたのか、俺たちは店内へと案内された。そこは元の世界の喫茶店とほとんど変わらない店だった。
紅茶と甘い菓子をいただくことができる、最近王都で流行っている形態の店だそうだ。俺とアミミは案内された席に着くと、店員がメニューを渡し、お辞儀をしてさっていった。元の世界以上にクオリティが高い。
俺が心の中で要チェックをつけているとアミミが話しかけてくる。
「トール殿。このケーキというのはどんなものでござろうか?」
アミミはどうやらケーキを知らないようだった。
まあこの世界でも比較的最近出てきたような印象を受けるので、ケーキが何か知らない人間の方が多いかもしれない。
こちらの世界で元々あって、似たようなものでいうとタランと呼ばれる甘味のあるパンだろう。アプーなどの果実を細かく切ってパン生地に混ぜて焼いたものだ。砂糖を使わず作られているため、庶民でも比較的手が届く食べ物だ。
砂糖はまだまだ貴重で高級品なので、ケーキ屋のような店を出すのは難しい。最近やっと他の甘味料を安価に精製することが出来るようになったそうで、恐らくこの店もそうやって甘味料を仕入れているのだろう。
メニューを見るとショートケーキの文字が見えたので、恐らく元の世界の人間が作ったのだろう。
ケーキはショートケーキのみで、他の飲み物の種類が選べるようだ。
「ショートケーキってのはまあ甘くてふわふわした食べ物だ。説明が難しいから、取り敢えず頼んで自分の目で見てみろ」
「分かったでござる」
クリームなんて言っても伝わらないだろうから適当な説明をしておく。ケーキがどんなものか、説明する自信がなかったわけではない。断じてない。
テーブルに置かれた鈴を鳴らし店員を呼ぶ。ショートケーキセットを2つ頼むと、店員はまた丁寧にお辞儀をして去っていった。
店内を見渡すと20席ほどの椅子が設置されている。それらは満席で、カップルか、女性同士の若い客が目立った。
こういう新しい文化に敏感なのは、どこの世界も若者が相場のようだ。
入り口とは対極の方に目をやると、そちらにもテラス席があるようだ。木の大扉が開かれ心地よい風が吹き抜けていく。
内観の雰囲気も心の中にメモしておく。こう言う所も情報としては大切だ。
暫くすると目当ての品がテーブルに届いた。
ショートケーキというだけあって、生クリームで覆われたスポンジの上に、真っ赤なイチゴが乗っている。ちなみにこちらの世界でもイチゴはイチゴだ。
見た目は見事にショートケーキと呼べる代物だった。やはりこの世界由来のものではなさそうだ。
一緒に運ばれてきた紅茶もいい香りを放っている。
アミミはその煌びやかなケーキを目にし、すっかり釘付けになっていた。
そんなアミミの姿に苦笑しつつ、俺は手本を見せるようにフォークを手に取りケーキを切った。スポンジと生クリームが交互になった断面から、生クリームがこぼれ落ちそうになる。生クリームの層の中には時折イチゴの赤が見え隠れしていた。
切り分けたケーキをフォークで掬い、口へと運んだ。
まず甘さが口の中に広がるが甘すぎることはない。生クリームの油分が控えめなのか意外とあっさりとしており、生クリームが苦手な俺でもすっきりと食べられた。
続いてケーキの上に鎮座したイチゴを突き刺し、生クリームとともに口へ放り込む。
イチゴは酸味がやや強く、しかし甘味も十分にあった。酸味は生クリームと一緒に食べることでフレッシュさを強く感じられるようにしているのかもしれない。
「こんな感じで食べるんだ。お前も食ってみろ」
アミミもケーキを小さく切り分けると、恐る恐るそれを口へと運ぶ。
「んん〜〜〜〜〜〜〜〜!! 何でござるかトール殿。この甘いお菓子は!」
「ケーキだよ」
俺のツッコミももはや聞こえていないらしい。せっせとアミミは残りのケーキを食べ進める。
もう少し落ち着いて食えと声をかけるが、初めてケーキを食べたのだ。そんな余裕はないのだろう。
当然の如く、たちまちの内にアミミの皿からはショートケーキが姿を消す。アミミは名残惜しそうに皿を見つめると、溜め息を吐きながら紅茶を飲んでいた。
俺も紅茶の香りを楽しみながら口に含む。
「急いで食べるからそうなる。美味いものはそうそう食べれないと思って、出来るだけ味わって食べろ。ワシなんて可哀想に、外でお留守番だぞ」
「お爺様にも昔言われたでござる……。そうでござるな。心を鎮めるのも修行。拙者も武士として、もう少し自制の心を強く持つでござる」
そう言って口を一文字に引き結んだ。どうやら覚悟を表しているようだ。
ちなみにワシがいないのは、店員に「ペットはちょっと……」と断られたからだ。その時のワシは鳥なのにものすごく表情豊かに驚いていた。
店を出た俺たちは冒険者ギルドへ向かった。換金を頼んでいたアングリーボアの査定結果を聞くためだ。
時刻も夕方近くなってきた。ギルドを出たら今日の宿を探さなければならないので、俺たちは少し急ぎ足で進む。幸い店から大して距離もなかったので、ギルドには5分程度で到着した。
扉を開けて中に入る。
すると屋内にあった視線が一斉に俺たちの方へ向いた。一瞬で無視する者もいれば、ちらちらと視線を向けてくる者もいる。何人かはこそこそと噂話でもしているようだった。
今日の一件で色々と噂になったようだ。まあそこまでこの町に長居するわけでもないし問題ないのだが。
俺はアミミを引き連れて一直線に受付カウンターへ向かった。
何やら作業中のサヴェータを見つけると話しかける。
「すまない。頼んでいたアングリーボアの査定結果を聞きにきたんだが」
いきなり声をかけたからか、サヴェータはビクッと肩を震わせる。恐る恐る顔を上げ俺だとわかると、何故か頬を赤く染めつつ笑顔で答えた。
「トールさん。アングリーボアの査定なら終わってます。金貨10枚が買取金額となります」
金貨10枚。悪くない金額だ。アングリーボアはCランク魔獣で、肉も毛皮も需要があるため結構高価なのだ。
俺はサヴェータから代金を受け取るとアミミに渡した。
「ほら。これはお前が持っとけ。くれぐれも無駄遣いするなよ」
「トール殿。こんな大金いただけないでござる」
慌てて突き返そうとしてくるので俺はその手を止める。
「一応このアングリーボアはお前の獲物だったんだ。それにおれはそこそこかねもちだからな。大人しく貰っておけ」
尚も粘ろうとするアミミだったが、俺があまりにも固辞するので最後は折れてくれた。いそいそと財布に金貨をしまうと微笑を浮かべる。
俺はそれに満足すると、受付の方へと向き直る。
「それはそうともう1匹換金してもらいたい魔獣があるんだが」
「はい。構いません。また裏手の方まできていただいて構いませんか?」
「ああ」
流石にこの場で魔獣を出すほどのスペースはないので、ギルド裏手の解体場へと持っていく。と言っても俺の場合は亜空間に収納しているので実際に持っているわけではない。
解体場へ進むとそこにはギルドマスターもいた。
アミミの姿を見るとやや警戒したようにベルトを押さえる。
「では魔獣を出していただけますか?」
その言葉に俺は湖で捕まえたピンクレーダーを空間から取り出し地面に置いた。
その様子にギルドマスターが驚きの声を漏らした。きっと空間収納が珍しいのだろう。
一方のサヴェータはと言うと、アングリーボアの時に一度空間収納を使ったこともあり、あまり驚いてはいないようだった。
「これは……ピンクレーダーですか。やはり湖での騒ぎを収拾したのはトールさん達だったんですね」
どうやら湖であった騒ぎは既に耳にしているようだった。さすがギルド、情報が早い。
「まあ俺はほとんど何もしてないがな。それより換金を頼む」
「アミミさんがですか」
俺の言葉に驚くサヴェータ。
ピンクレーダーは魔獣単体の危険度ではランクBだ。能力的なことで言うとアングリーボアの方が危険なのだが、水棲という事もあり、水辺での危険度はアングリーボア以上である。
それを12歳の少女が討伐したと言うのだから、驚くのも無理はない。
「ピンクレーダーの件は承りました。今からですとお支払いは明日になってしまいますが、よろしいですか?」
「ああ。今日は宿を取るつもりだったからな。構わない」
「分かりました。ではまた明日に代金を受け取りに来てください。それと……」
サヴェータがギルドマスターに伺うような視線を向ける。その視線の意図に気づいたのか、ギルドマスターはこくりと頷いた。
「実は折り入って頼みたいクエストがありまして」
「それは指名依頼ってことか?」
「はい。ここではなんなので、場所を移してからでよろしいでしょうか?」
「構わないが、俺への指名依頼となるとかなり高額だぞ」
「あ、違います。指名依頼したいのはアミミさんの方です」
「アミミに?」
「拙者でござるか?」
自分の名前が出たからか、俺たちの話にアミミが興味を示した。
「はい。アミミさんに是非依頼したいクエストがありまして」
「クエストでござるか。困ってる人を助けるのであればやぶさかではござらんが」
その話の意図に何となく嫌な予感がした俺は、しかし黙ってその話を聞くことにした。アミミの経験になると判断したためだ。
「それは良かったです。ピンクレーダーを打ち取ったアミミさんであれば、その冴え渡る剣技で華麗に解決されるでしょうから」
「そ、そうでござるか? まあ拙者の華麗な剣技があれば、造作もないでござる」
アミミはおだてられると図に乗るらしい。
「流石一流の剣士様。言うことが違います。弱きを助け、強きを挫く。アミミさんの為にあるような言葉ですね」
「うむ。サヴェータ殿はなかなか良いことを言うでござるな。そんな依頼、この一流の剣士である拙者がささっと解決してやるでござる」
「何て凄いんでしょう! よろしければ未来の英雄様のサインをいただいてもよろしいですか?」
「サインでござるか? 仕方が無いでござるなぁ」
「ちょっと待てい!」
サインと言われて上機嫌になっているアミミに、サヴェータが差し出したのはクエストの受付用紙だった。
雲行きが怪しくなってきたので割って入る。と言うかまるで詐欺にしか見えない頼み方だ。
「サインってそれどう見てもクエストの受付だろうが」
「サ、サインをもらうだけですよ。それに、アミミさんはクエストを受けるとおっしゃられました」
「アミミ。受けるのは別に構わないが、もう少しどんな依頼か話を聞いてからにしろ。そもそもアミミは今日冒険者になったばかりだ。名前が売れてるわけでもないのに指名依頼が来るなんておかしいことに気づけ。十中八九、こりゃギルドが面倒な依頼を押し付けようとしているだけだ」
アミミがほうほうと頷く。ここまでの話を聞いても全く危機感を抱いていない事にさらに頭が痛くなってくる。
一方、サヴェータやギルドマスターに視線を向けると完全に目が泳いでいる始末だ。
「それに何故アミミへの依頼かだ。お前ら、アミミが依頼受けたら俺も行くと思ってるだろ」
ギクッと効果音がなりそうなほどサヴェータとギルドマスターは身をのけぞらせる。
思った通り、面倒な依頼があるからアミミに、もといアミミのお供みたいな存在である俺に受けさせようと言うわけだ。
指名依頼は冒険者のランクによって金額が変わる。俺への指名依頼であればランクが高いので報酬も高くなり、逆にアミミはランクが低いため安く済ますことができると言うわけだ。
勿論アミミの実力を認めた上での依頼でもあるのだろうが、あからさま過ぎてその裏の魂胆がどうしても見え隠れする。
「どんな依頼か知らないが、ギルドは信頼が重要だ。そんな詐欺紛いなやり方で依頼しようだなんて一体どういう了見だ?」
俺の言葉に言い返せない2人。
何か事情があるようだが、だからと言ってこのようなやり方は卑怯だ。多くのギルドで権力を傘にきた態度を見せられてきたからか、つい溜まっていた鬱憤を吐き出してしまう。
するとアミミが意外なことを口にした。
「その依頼、受けるでござるよ」
「え、良いんですか?」
サヴェータが驚いた表情でアミミを見た。
アミミはこくりと頷く。
「いいのか? どんな依頼か聞いてもないんだぞ」
「武士に二言はないでござる。一度受けると言った以上、受けるでござるよ。それに困ってる人がいて、自分に力があるならば、それを為すべきとお爺様に叩き込まれた故。だから受けるでござる」
「あ、ありがとうございます!」
サヴェータはアミミの手を握り勢いよく頭を下げる。その勢いで左右に結い上げた髪がぴょこんと跳ねた。跳ねた髪がワシに当たって、とても不機嫌そうだ。
遠くでギルドマスターも深々頭を下げている。
「と言うわけで、詳しい話を聞かせてもらってよいでござるか?」