3.その童女、危険
俺が乗った馬車は昼前に目的地に到着した。
そこは交易都市から一つ手前の宿場町。交易都市に近いこともあり、人の往来は多く、活気にあふれている。
ただここは第一弾のグルメガイドに情報を掲載しているため、これ以上特に調べるつもりもなかった。
一応門衛に新しい店ができていないか確認するが、特に良い情報が得られなかったのですぐに次の村へ立つことにする。
俺は街の中をぶらぶらと歩きながら、必要なものだけ買い足した。と言っても消耗品などほとんど減っていないので、買ったものといえばサンドイッチ。
小麦粉をこねて焼いたパンに、野菜とピリ辛のタレをつけたビッグヘッドスネークの肉を挟んだ一品。サンドイッチというより元の世界で言うところのブリトーのような食べ物だ。
焼き目のついたモチモチのパン生地と辛みのあるタレがよく合ったこの街の名物だ。その中でも俺が贔屓にしている店でそれを買う。
「はいよ。いつもありがとね」
「こっちこそ。いつもうまいもん食わせてもらってありがとな。しかしお客さんだいぶ増えたよな?」
視線を後ろに向けると十数人の客がサンドイッチ目当てに並んでいる。前までは数人並べば良いところだったのだが、いつのまにかだいぶ繁盛するようになっていた。
「そうなんだよ。少し前からお客さんが増えてきてね。なんか本を見ながら訪ねてくるんだよ」
「あー。なるほどね……」
俺は客の増えた理由に納得しながら、後ろの人の機嫌が悪くなる前におばちゃんに挨拶をして列から離れた。
ちらりと横目で行列を見やると、やはりガイドブックを持っているものが多かった。
実はこの町にいくつかあるサンドイッチ店の、その中で俺が贔屓にしている店をトップに掲載したのだ。そのせいで特にこの店に行列ができるようになったのだろう。
嬉しい反面、少し行きにくくなってしまったことに肩を落とす。まあ自業自得なので仕方がない。
それにおばちゃんも忙しそうにしながらも、やりがいがあるからか目を輝かせながら仕事をしている。その姿を見れただけでもガイドブックに掲載した甲斐があったというものだ。
これを機に、もっとこの町が発展して色々な店ができて欲しいものだ。何と言っても、ここはこの国の交通の要所である交易都市まで目と鼻の先。もっと栄えればさらにうまいものも増えるに違いない。
そんな打算的な思惑がありつつも、賑やかなのは素直に喜べる話だ。
俺は肉汁溢れるサンドイッチを頬張りながら、街の出口を目指して歩いた。
さてここからは道が2本に分かれている。
一方は山を超えての道で、もう一方は魔法都市アレイサへと続く道。魔法都市はラフラフと呼ばれる、魔法のキノコを使った炒め物が名物である。勿論危ないものではない。ピリリと痺れるような刺激が食欲をそそる料理だ。それを麺に絡めたものがまたうまいのだ。
もう一方の山道は湖畔の町ピルケスに続いており、俺は一度しか訪れた事がない。確かどじょうのような魚の料理があったはずだが、ちゃんとした処理をしていないのか泥臭かった覚えがある。
その料理がまずかったから敬遠していたのだが、今回は新しい食の取材が目的だ。新鮮な川魚を使ったうまい料理もあるかもしれない。俺は山道を抜けるルートを進むことにした。
魔法都市までは平坦に整備された道を進むため馬車が出ているのだが、山道は整備がされていないため歩くしかない。せめてもの救いが1日程度で辿り着けることだろうか。
元の世界だったら悲鳴を上げていたかもしれないが、この世界の常識にすっかり慣れた俺は、今更そんなことは気にならなくなっていた。気掛かりとすれば山賊に出会す可能性があるくらいだが、それも対応は問題ないだろう。
というわけで俺はピルケスに向け舵を切るのだった。
山道を進むこと数時間。そろそろ陽が落ちてきた。周囲の木々の隙間から覗く遠くの空が僅かに赤く染まってきている。俺は頭の中で地図を思い浮かべた。
確かもう少し進んだところに野営地があったはずだ。
野営地はこう言った旅の街道に何か所か設けられている。
ここに来るまでも一箇所通り過ぎてきたところだ。特に夜営の準備をしているものはいなかったが、馬車などで移動する場合は護衛含めて野営地で夜を越すことも多い。
この道は馬車が通れないものの、先人の代から多くの旅人が野営地を整備、利用してきた。ただこう言った馬車が通れない場所は、少人数で移動することが多いため、賊に狙われやすいのが難点だったが。
とはいえ定期的に山狩りや衛兵の巡回もあるため、山賊などの襲撃がそう多いわけでもなかった。
そんな事を思いつつ、俺は暗くなり始めた林道を急ぎ足で進む。何とか陽が落ち切る前には野営地につきたいところだ。
すると遠くで何か音がした。
俺は警戒を強めると、腰に佩いた剣を抜く。
ドドドドドと、何かが木々をなぎ倒すかのように突き進む感じの音だ。ひとまず山賊ではないようだ。となると魔物がこちらに突っ込んできているのかもしれない。
徐々に音が大きくなり、やがてその影が視界に入ると、一気呵成に巨大な猪が飛び出してきた。
それはアングリーボア。巨体からは想像がつかない速さと、それに見合った力を持っている凶暴な猪だ。そして何より肉が美味。
ここ最近ギルドの依頼には上がってこなかったが、こんなところで出会えるとは僥倖。
俺はすれ違いざま、素早く剣でアングリーボアの急所を突いた。
恐らくアングリーボアは何をされたかわからなかっただろう。そのまま背後にあった一際巨大な樹木にぶつかると、巨木を大きく凹ませ、しかしその反動でアングリーボアは横倒しになった。既に息の根は止まっている。
思わぬところで手に入った臨時収入に、俺はウキウキしながら解体を始めようと近寄った。
瞬間、強烈な殺気を感じて真横に飛んだ。
寸前まで俺がいた場所を何かが通り抜けた気がした。遅れて先ほどアングリーボアがぶつかった巨木がゆっくり音を立てて山道とは反対側に倒れる。
俺はアングリーボアが突き進んできた道を、強烈な殺気を感じるその先を見据えた。
汗がこめかみを伝い、あたりに緊張が立ち込める。
徐々に先ほど感じた圧力が増してきた。やがて木々の間からぬらりと、小さなシルエットが浮かび上がった。
「私の獲物〜、でござる!!」
そこには目を血走らせた10歳くらいの女の子が立っていた。黒髪黒目のおかっぱ頭。日本人のような見目で、服装は着物に袴を着込み、動きやすいように足首のところでまとめている。女の子と年齢という点を除けば、侍と呼べる格好だ。
そして何よりその手荷持っている得物はまさに刀だ。
この世界の東方の国には侍と呼ばれるものたちがいる。実際仕事で侍に会ったことはあるが、未だに東方の国に行ったことはない。ただ米や味噌といった食べ物は少しだけご馳走してくれたので、いつか食べに行こうと考えていたのだ。
しかし東方の国は鎖国を行なっていると聞いたため、まだまだ侍の姿を見かけることは少ない。見かけるとしたら鎖国が嫌で国を離れ、冒険者になった者たちだけだ。
そんな侍が何故今、こんなところにいるのか。それも年端もいかないこんな童女が。
俺は混乱する頭を必死に働かせながら、この場をどう切り抜けるか考えていた。
どうやらこのアングリーボアはこの童女が狙っていた獲物らしい。仕方がなかったとはいえ、奇しくも獲物を奪ってしまった形になる。
冒険者にとって獲物を奪うのはその場の状況次第で、結局両者の話し合いで解決するしかないのだが、今の状況ではとても話を聞いてもらえそうな状態ではない。
一応俺は剣を鞘に納めると、両手を上げて敵ではない事を童女に告げてみる。
「俺は旅のものだ。アングリーボアは君の獲物だったんだな。すまなかった。別に俺は獲物を取るつもりはない。だからこいつは君が好きにしていい」
少女はじっと動かなかったが、やがて口を開くと、
「私の獲物ぉぉぉぉぉぉぉ、でござるぅ!」
「いや、ござる必要か⁉︎」
とか突っ込んでる場合ではなかった。
童女との距離は数メートル。それを一瞬で詰めると一閃。
一瞬前まで俺の頭があった場所を刃が光の尾を引いて通過する。続け様に斬り上げ、斬り下ろし、横薙ぎと、とてつもない速さで刀を振るってきた。
俺はその攻撃を紙一重で避け続ける。
これが童女の攻撃かと思うほどの鋭さだった。達人の一撃と言われても疑わないほどの攻撃。それを息を切らす事なく連続で振るってくるのだから、脅威以外の何物でもない。
童女は一向に血走った瞳でこちらに切りかかってくる。まるで正気を失っているかのようだ。
俺はその症状を見て1つ思い当たる節があった。それは幻覚を見せるキノコ。
確かこの山にも群生していたと思うが、ひょっとするとこの童女はそのキノコを食べたのかもしれない。それで賞気を失っているだけなのかも。
だがこの動き、冒険者でいえばBランク、いやAランクにも匹敵するほどだ。手加減するには些か厳しい相手だ。それに俺は剣を扱うものの、魔法の方が得意なこともあり、どちらかと言えば後衛タイプだ。
しかし易々と離れてはくれないほど、童女の技巧は極まっているように見えた。
俺はしばらくその攻撃を避け続けるも、どうにもできない状況に焦りを感じる。何とか童女を傷つけずに抑えることはできないか。
早くしなければ、早く血抜きをしなければ、アングリーボアが不味くなってしまう!
俺は大いに焦りながら、それでも自分に追い縋っていくる童女の攻撃をかわし続ける。やがて童女を傷つけてでも止める覚悟を決めると、何かが童女の後ろで光った。
次の瞬間、童女の頭に何かが飛来し後頭部を強打する。
「ったぁぁぁ〜〜〜〜〜!!」
よほど痛かったのか、童女は頭を抱えて蹲った。
どうやら今の衝撃で正気を取り戻したようだ。すぐに俺は先ほどぶつかった何かを確認する。その正体はすぐに分かった。
1羽のカラスが少女の頭の上にひらりと着地する。
そしてカァと一鳴きすると、ペシペシと童女の頭を足蹴にした。
そのたび童女は「イタッ、イタッ」と声を上げていたが、やがて目の前にいる俺に気づいたのか、顔を上げた。
そして、
ぐぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜。
「お腹すいたでござるぅ!!」
「…………」
そしてカラスがカァと鳴くのだった。