2.しばらくお休みします
我に返ったヘイスは、なぜか上機嫌で俺の肩を叩きながら酒をがぶがぶ飲み干していく。
「しかしお前がそんなことしてたなんてな。確かにクエストが終わってから姿が見えない事が良くあったが、その時に色々な店を回ってたってわけか」
「まあそうだ。と言っても趣味みたいなもんだったがな」
「趣味ねぇ。まあ本まで出せる用になるたぁ大したもんだ。今度女房に自慢してやるぜ」
なに! ヘイスの聞き捨てならない一言に、俺はどうしても質問せずにはいられなかった。
「お前……結婚してたのか?」
ヘイスはなにを言い出すのかと言った不思議な顔で、俺に問いかけてきた。
「あれ? 言ってなかったか? 冒険者ギルドの受付嬢、ユリアンヌが俺の女房だ」
ユリアンヌが、ヘイスの妻……?
その言葉を聞いて俺は意識がどこか遠のいていくのを感じた。
ユリアンヌとは冒険者ギルドの受付嬢で、小動物のような可愛さを持った女の子だ。茶色のボブカットでくりんとした瞳、耳のない獣人かというほどの愛くるしさを醸している。
様々な冒険者が狙っていると聞き、密かに俺もユリアンヌ可愛いなぁと、その笑顔に癒されていた口である。つまり、俺は始まる前からユリアンヌとの恋に決着がついていたわけである。
「あれ? もしかしてお前、ユリアンヌに気があったのか?」
茫然となる俺に、ヘイスが申し訳なさそうに口をついた。
そして更なる悲劇が俺を襲うことになる。
「そうか。実はユリアンヌもお前に気があったみたいで、俺が恋愛相談を受けてたんだ。でもお前ってちょっと近寄りがたい雰囲気だろ? それにクエストでいないこと多いし。で、どうやったらお近づきになれるかってことで、相談受けてるうちに俺がユリアンヌのことを好きになって、ユリアンヌも俺と話してる中で真摯な俺の態度に惚れたって。ふへへ。それでそのまま付き合いだして、結婚したってわけだ」
「そ、そそそそ、そそうかかかかかああぁぁぁぁ。それれれは、おおおおめでたいいいいなぁぁぁぁ」
「いや、めちゃくちゃ動揺してんじゃねぇか……」
くそぅ。俺がSランク冒険者になんてならなかったら、もっとユリアンヌと愛を育む事ができたと言うのに。誰だ俺をSランクにしたやつは! クラマスのクソ野郎!
そしてはたと気づく。そういえば最近ユリアンヌの姿を冒険者ギルドで見ていないと言うことに。
「な、なぁ。最近ユリアンヌを見かけないんだけど、もしかして……」
「ん? ああ。実は子供ができたんだよ。それで今ギルドの方は休職中だ。だから俺も一層稼がないといけないんだよな」
そう話すヘイスはものすごくデレデレした表情をしていた。
心の何処かで異世界ハーレムなんてものがあるんじゃないかと幻想を抱いたこともあったが、現実はそんなものだ。
世界が変わっても俺は俺、非リア充は非リア充、非モテは非モテ。何だか世界の真理に到達したような気がして、俺の心はトランスしそうな気分だった。
隣で惚気ているヘイスの話を反射だけで答えつつ、その夜、俺の心は深い沼に沈んでゆくのだった。
「大体お前はどうしたいんだよ。本なんか作って、冒険者とどっちがやりたいんだ」
隣でベロベロになったヘイスに文句を言われながら、俺はひたすら酒を飲んでいた。
気づけば他の客は誰もいなくなっており、今客として残っているのは俺たち2人だけだ。
一応店自体は朝までやっているので追い出されることはないのだが、酔っ払ったおっさん2人、心配そうにこちらを見ているウェイトレスの視線にちょっと居心地が悪い。
「俺だって冒険者家業は好きだし、クラメンのことだって本当の家族みたいに思ってるさ。別に本を出すのが好きなわけじゃないんだ。ただ俺の書いた本が誰かの手にとってもらえるってのは、自分の好きなものが認められてるようで嬉しいんだ。何より俺は旨いものを食うのが好きだ。それは心を満たすためというか、こっちに来た頃のことを払拭したいんだと思う」
「結局うまい物食いてーだけじゃねーかよ! お前も仕事ばっかしてねーで女の1人でも見つけろってんだ。そしたら世界も変わるぜー?」
ずいぶん会話が怪しくなって来ていたが、俺は回る頭を何とか落ち着かせようと意識と理性を総動員した。ヘイスは完全にぶっ壊れていたが、俺はギリギリのところで何とか持ち堪えている。……と思いたかった。
「女、か。ユリアンヌも結婚しちまったし、第二弾のグルメガイド執筆がてら彼女探しの旅にでも出発するかな」
「おう。それがいい! 俺はお前のこと応援してるぜ!」
「そうか。ヘイス、ありがとな。やっぱお前は俺の最高の友人だ」
「ははは、あったり前じゃねーかぁーーー……。ぐー」
その言葉を最後に、ヘイスは机に突っ伏すといびきをかきはじめた。どうやら彼の意識は最後まで耐えられなかったらしい。
ヘイスの言葉を改めて考えてみる。
彼女を探す旅、というのも悪くはない。どの道グルメガイドの第二弾を制作するために近々休暇をもらって各地を回ろうと考えていたのだ。
そのついでとしてはずいぶん魅力的な話だ。
俺は隣で寝こけている友人に感謝しつつ、早速旅に出るためクラマスへの手紙を認めた。それを封筒に入れてそっとヘイスの前に置いておく。
窓から外を見ると、街路はもう白みはじめており、往来の人は少ないが、商品の仕込みをし始める露店がちらほら見えた。
どこからか聞こえる鳥の囀りが、今日の始まりを告げている。
俺はグラスの底にわずかに残った酒を胃の中へ流し込むと、店員に2人分の食事代を渡す。もちろんこの時間までいてくれたお礼に、色をつけるのも忘れない。
まだ日が昇るまでは時間がありそうだ。俺は必要最低限の食料や物資を買い込むと、当てもないまま馬車に乗り込むのだった。
日が昇り正午まで少しという頃に、ヘイスはクランホームへとやって来ていた。
あの後目を覚ますとトールは何処にもおらず、店員に聞くと朝方1人で出て行ったとのことだった。水臭い友人に少し怒りを覚えつつ、しかしトールらしいなと思い直す。
ふと目の前においてある手紙に気づいた彼は、メモに記載された通り、封を切ることなくクラマスに手紙を届けに来たのだった。
一応朝方、家によってユリアンヌには挨拶だけして来た。朝帰りということで大層ご立腹だったが、トールに会ったことを話すと何とか許してもらえた。
なんだかんだ言って、ユリアンヌもヘイスが浮気などするはずがないと分かっているのだ。
そんな訳で一頻りイチャイチャした後、クランホームにやって来た訳であるが。
今はクラマスの前で直立不動だ。何故かと言うと……。
クラン『トレジャーハンター』。
それはこの交易都市で1、2を争うほど有名なクランだ。規模はそれほど大きくないが、メンバーが兎に角豪華だった。
普通はクランを維持するため相応の人数が必要になる。多くが30人〜100人程の規模で構成されている。それは高ランクのメンバーがそうそう集まるわけではないからだ。
だがトレジャーハンターは構成人員6人の小規模クランにもかかわらず、メンバー全員がAランク以上でSランクが2人在籍するという化け物クランだった。
クランはAランク以上の冒険者にしか結成が許されていない。それはクランが乱立してしまうとギルドが管理し切れなくなるからだ。
すなわちAランク以上の冒険者がクランを結成しても管理し切れる程度の数と言うこと。
それだけの力を持つメンバーだけで構成されていると考えると、クラン『トレジャーハンター』がどれだけ異質かわかるだろう。
そしてそれを取り仕切るクランマスターは、さすがの迫力を持っていた。
炎のように煌く赤髪に鮮血を落としたような瞳。整った容貌に切れ長のつり目は、妖艶な美女という雰囲気だ。しかし今その目は色気では無く恐怖を感じさせる釣り上がり方をしていた。
その迫力に、歴戦の冒険者であるはずのヘイスでさえ竦んでしまう。
圧倒的な強者の貫禄。このクラン内でもこれに臆さず向き合えるのは、同じSランク冒険者であるトールだけであろう。
世界に14人しかいないSランク冒険者。ランク1つ違うだけで、ここまで力の差を感じるのかと、毎度のことながらヘイスは恐々とするのだった。
『紅蓮姫』ことレイラ・スカーレットはその手紙の内容に頭を抱えていた。
実力者のみが在籍しているとはいえ、ただでさえ人数が少ないこのクラン。維持するだけでも中々に大変なのが実情だ。
何故なら高ランクの依頼の中には国からの要請なども含まれており、断れない上に報酬が安いことが多かった。おまけに総じて高難度なのだ。
それが冒険者の義務と言わんばかりに高圧的な態度を取ることから、ギルドも何とか国に対しての対応を検討しているのだが、まだまだ国に対して頭が上がらないのが実情だ。
さらに交易都市には他にSランク冒険者が存在しないため、Sランクの依頼が来ると『トレジャーハンター』が対応するしかない。
なので高ランク冒険者が多く在籍しているものの、彼女はいつも頭を抱えている訳だった。
「ちなみに手紙にはなんて?」
ヘイスはクラマスの態度を見て、手紙にどんなことが書かれていたのか恐る恐る尋ねた。
ギロリと射殺すような視線が飛んできて軽く悲鳴が漏れそうになるが、何とか醜態を晒すこと無く飲み込むことに成功した。
しばらくの沈黙後、レイラが重々しく口を開く。
「グルメガイドの第二弾を作るため暫く冒険者稼業を休むそうよ。ご丁寧に、新しいグルメガイドが完成したら送るとまで書いてあったわ。冒険者と物書き、あいつどっちが本業なのよ」
「あ、それ俺も言いました」
朧げに残っていた記憶を頼りに相槌を打つが、再びレイラに睨まれると一瞬で首が縮こまる。大の大人が、それもAランク冒険者が情けない姿であるが、相手がレイラ・スカーレットでは仕方ない。
きっとこの光景を見ている者がいれば、全員が全員そう口をそろえるだろう。
「全く、こっちはクランの運営で手一杯だってのに」
そう言ってレイラは大きくため息をついた。
まさか昨日の話でそんな展開になるとは夢にも思っていなかったヘイスは、しかし事の重大さに焦りを隠せない。
何故ならトールが旅に出た責任の一端は自分にあるのだから。細かくは覚えていないが、何となくそんな話になって自分が発破をかけたような気がする。
「けどどうするんですか。実際、Sランククエストとかきたらクラマスしか受けれませんよ」
ヘイスの言う通り、トールを除くとこの都市のSランク冒険者はレイラだけとなってしまう。つまりSランククエストが来てしまうと、レイラが対応するしかない。
しかしレイラにはクランの運営がある。
もちろんヘイスがクラン運営を代われるわけも無い。つまり、今Sランククエストが来るとトレジャーハンターは瓦解してしまうのだ。
しかしそのことに関して、レイラはさほど焦っていないようで、続く言葉にヘイスは疑問を浮かべた。
「所でヘイス。あなた結婚したそうね」
「え、えぇ。それは……手紙に?」
実はヘイス、レイラには自分が結婚したことを伝えていなかった。もちろん後から知られたら悲惨なことになるのも承知していたが、しかし適齢期を過ぎてひたすらクラマスとしての仕事に腐心している目の前の女性に、そんな残酷な報告ができようはずもない。
しかし今、その事実が白日の元に晒されたわけである。最高の友人の手紙によって。
「しかし全くおめでたいことよね。同じクランの仲間として心から祝福するわ」
「あ、ありがとうございます……」
「しかも奥方は身重だそうじゃないの。これから子供も生まれて、ますますお金も入りようになってくるわね」
「そ、そうですね……」
既にヘイスも、この話の流れが嫌な方向に向かっていると察していた。しかし彼にできることと言えば相槌を打つことだけ。クラマスへの反論など、天地がひっくり返っても言えようはずもない。
そしてとうとうレイラによる死刑宣告がなされる。
「じゃあ一杯お仕事しないと。Sランククエストは優先的にあなたに回すわね」
「……は?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
Sランク冒険者はギルド上層部の審査会を経て決定される。SランクになるにはAランクにて十分な実績を重ねた上、厳選なる審査の上決定される。年数人推薦されるが、未だにSランク冒険者が14人しかいないのが、審査の厳しさを物語っていた。
それに確か今年の審査受付はとっくに終わっていたはずだ。時間もかかる上、そもそもエントリーすらされていない自分が、Sランクになれるわけがない。
しかし続く言葉はあり得ないものだった。
「トールが認めていたわよ。あなたならSランクに類する魔物だったら時間をかければ倒せるって。前々から私もあなたの能力は評価していたし、Sランクの依頼はあなたが受けるのが適切だと思うの」
「いやいや、死んじゃいますって! それにAランク冒険者がSランククエ受けるなんて、ギルドになんて説明するんですか!」
「大丈夫。Sランク冒険者がその実力を認めればAランクでもクエストの受注はできるから。それにこのためか知らないけど、トールが厄介なSランククエストをあらかた消化してくれてるしね。並行してこちらでも人員の補充は進めるから、Aランククエストは他の人に回しちゃいましょう」
朗らかな笑顔でレイラはそう告げた。ものすごくニコニコしているのに発せられる圧力が脅迫に近い暴力的なものだ。
しかし身重の妻がいるヘイスとしても、あまり危険なクエストに挑むのはできれば避けたかった。
ヘイスは渾身の膂力を持って、口開いた。
「いや、そんな訳にはーーーー」
「いいからやれ」
「…………はい」
決定とばかりにレイラは両手をパンと打ち鳴らし、ヘイスに下がるように命じた。その際トールの手紙はくしゃくしゃと丸めて屑籠へ思い切り投げ捨てられた。
狙いを外した紙の塊は、そのまま屑籠を外し壁に激突すると僅かに壁に埋まる。
その光景にヘイスは冷や汗を垂らしながら、しかし何の抵抗もせず静かに部屋を後にするのだった。
「あ、そうだ。ヘイス」
部屋を出ようとした時に声をかけられたので、幽鬼のような表情で振り返ると、しかしそんな彼を気にも止めずにレイラは、
「もしトールに会ったらぶっ飛ばして連れ帰って来てね」
満面の笑みでそう告げるのであった。しかし瞳は冷酷な殺人鬼が如し。
ヘイスはカクカクと頷き素早く部屋の外に出た。
部屋を出ると、ヘイスは力なく扉の前に座り込んだ。あのプレッシャーの中でよく立ち続けられたと自分を褒めてやりたい気持ちでいっぱいだった。それとともに、大変な置き土産をしてくれた友人に怒りが湧いてくる。
恨み言の一つでもしようかと言うその時、部屋の中から竜も真っ青な怒声が響き渡った。
その声はクランホーム中に響き渡り、周囲の民家にまで聞こえたと言われる。
そんなことを知る良しもないヘイスは、部屋の中から感じた再びのプレッシャーに、這々の体でその場を後にするのだった。