1.異世界グルメガイド
この世界にきてはや10年。
突然自分の世界が大きく様変わりして、どうしようもなく戸惑っていたあの頃から、幾分か成長しただろうと思うと感慨深いものがある。
小学生の頃、将来の夢は宇宙飛行士なんて息巻いていた俺が、将来知らぬ世界で冒険者をやっているなんて知ったらどんな顔をするだろうか。
多分意味がわからず、すぐ忘れて遊びに行っただろうな。
そう。中学2年になって間も無く、俺は異世界へ転移した。14、5の漫然と世界の流れに従っているだけの、平和ボケした中学生が、いきなり剣と魔法の渦巻く世界へ落とされたのだ。
幸いにしていい人に巡り合えたことで、今日まで冒険者として食いつないでこれたが、転移後すぐに命を落とすことも十分にあり得たわけだ。この世界に神様がいるのかどうかはわからないが、もし仮に神様がいて、俺をこの世界に放り出したのだとしたら、きっと恨んでも恨みきれないだろう。
まあ生きるためにはそんなことを考えている余裕はなかったし、今となってはどうとも思っていないが。
俺はいつもどおり依頼達成の報告を冒険者ギルドで済ませ、自らが所属するクランホームへの帰路につく。
途中、通りの端から届いた煙に鼻が反応すると、ふらふらとそちらへ誘導されるように歩き出す。
屋台で売られているのはサンドワームの串焼きだ。甘辛いタレが炭火で焼け、肉から溢れる脂が熾り火に触れ弾けて音を立てる。
ここ数日、依頼でまともな食事を取れていなかった俺は、串を二本購入し一本をその場でぺろっと平らげた。もう一本は歩きながら食べる予定だ。
冒険者や町人の往来が激しいここは、街の入り口でメインストリート。町の中心地に位置するバザールに伸びる通りで、様々な屋台や店が軒を連ねていた。
振り返ると、俺のように匂いに誘われた冒険者が数人、先程の屋台で列をなしていた。
店主も客も活気があっていい。俺はこの町のそういうところが好きだった。生きているという実感を得られるというか、自分もその中に入っている感覚とでも言おうか。
まあそんな自分語りはどうでもいい話である。
ふと見ると、この街に観光に来た人間だろうか、多くが手に小冊子を持って歩いているのが目についた。
俺がこの世界にきた頃はまだ紙は高級品だったが、最近安価に製造できるようになったらしい。ひょっとすると、俺の他に同じようにこの世界に転移してきて、そう言った発明をした奴がいるのかもしれないな。
きっとそいつは大金を稼いでウハウハだろうから、ぜひしがない冒険者の俺に、同郷の好みで何かうまいものでも奢ってもらいたいものだ。
「よう、トール。今帰りか?」
そう声をかけてきたのは金髪を短く刈り込んで、体を鼠色のローブで覆った男。色素の薄い少し紫っぽく見える瞳が印象的なおっさんで、俺と同じクランに所属するヘイスだった。
「おっさんは余計だ」
ぱたんと頭を叩かれる。どうやら声に出ていたようだ。
「久しぶりだな。さっきギルドに報告済ませてこれからホームに帰ろうとしてたところだ」
「そうか。何かクエスト受けたってことは知ってたが、まさか1週間以上も見かけないとは思ってなかったからな。流石のお前もどっかでくたばってんじゃねーかって話してたところだ。ま、無事なようで何よりだ」
言い方は悪いが一応俺のことを心配してくれていたらしい。それは素直に仲間としてありがたいことだ。
「で、勿論奢ってくれるんだよな?」
「何でそうなる」
「人様に心配かけたんだから当然だろ。よし、今から酒場行くぞ、酒場」
「ちょっ!」
何故か酒場に行く流れになり、半ば強引に、俺はヘイスに引きずられて酒場へ連れて行かれるのだった。
「で、今回の獲物は何だったんだ?」
酔って絡んでくるおっさんが地味にうざい。俺はこっちにきて初めて酒を覚えたが、ヘイスを見てると子供の頃親戚の集まりでよく絡んできたおじさんを思い出す。
そう言えばあのおじさん、カツラがバレバレだったけどヘイスも実はカツラだったりして。
「何か失礼なこと考えてるだろ」
「いや全然」
訝しげな表情で見てくるヘイスに、俺は毅然とした態度で目を逸らした。
「はぁ。まあいいけどよ。お前ともそこそこ長い付き合いだしな」
「そういえばそうだな。俺が冒険者になって初めてパーティーを組んだおっさんがお前だったよ」
「その言い方なんかおかしくないか? 初めてのおっさんみたいになってる気がするんだが。てか一応俺は29だから、お前と初めてパーティー組んだ時はまだギリギリ20なってないぞ」
ば、バカな! 初めてあった時からおっさんだったヘイスが、まさか俺と5つくらいしか年齢が変わらない.......だと?
俺はあまりの衝撃に口をアングリ開けながら目玉が飛び出しそうな勢いで驚いた顔をした。その表情を見て心底不快げな顔をしたヘイスは、すぐに表情を戻すとグラスの中の酒を一口呷った。
「確かに老け顔なのは否定しないが、お前、今まで俺のことずっとおっさんだと思ってたのか。言動の端々でそんな気はしてたんだが、気のせいじゃなかったのか」
「すまない。俺より20くらい上だと思ってた」
「そりゃ流石に言いすぎだろ! いい加減傷つくぞ!」
「まあ少しくらい老けてたって気にするな。今日は俺が奢ってやるから」
「お前それ何もフォローになってねぇからな。むしろ追い討ちかけてるじゃねーかコラ」
と言いつつも、ヘイスに剣呑な雰囲気は見られない。結構怒っていたように見えるが、ヘイスは基本いいやつなのだ。だから多少からかっても受け入れてくれる度量を持っている。
そうしてまた新しい酒を2人とも注文し、ついでになくなったつまみを補充する。
「で、今回は何のクエストだったんだ? グレートアックスか? アングリーボアか?」
グレートアックスは尻尾が斧状になった大型の蜥蜴で、アングリーボアはいつも怒ったように猛突進してくる巨大な猪である。
どちらも冒険者の中では上位の依頼として貼り出される案件で、その肉は美味。食欲から、掲載されれば俺がすぐに飛びつくタイプの依頼だ。
「いや。今回はそれとは違ってな。Sランクの依頼が3件ほどあったんで、まとめて片付けてきた。どっかの物好きが飛龍を剥製にしたいだとか、村の近くに地龍が住み着いたとかそんな感じだ」
「おいおい......。Sランク冒険者つってもそれはだいぶハードだろ。うちのクラマスは鬼か」
「ああ。鬼だな。けどお前でも頑張ればできるだろ?」
「俺をお前と一緒にするな。俺は1匹やるにも相当時間がかかるわ」
「できないとは言わないんだな」
俺はニヤリとヘイスに笑みを向けた。ヘイスはどこかばつが悪そうに顔を背ける。
すると何かに気づいたのか、隣の席に目線を向けながら、ヘイスは俺に話しかけてくる。
「そういや最近、やたらと同じ表紙の本を持ってるやつを見かけるんだが。あれは何なんだろうな」
俺も同じ方向に視線を向けた。
隣の席のテーブル上に、緑の表紙をした小冊子がおかれている。ここからだと表も背表紙も隠れてしまっているため、タイトルはわからない。
だがタイトルなど見なくても、俺はその冊子が何なのか知っていた。
「ああ。あれはグルメガイドだよ」
「グルメガイド?」
聞き慣れない言葉なのか、ヘイスは俺へと向き直ると首を傾げた。
ヘイスの疑問も無理はない。
紙が最近まで高級品だったこの世界にとって、本は庶民では手が出せないほどの高価なものだった。加えて印刷技術なども未発達だったため、複製するにもかなりの時間をかけて書き写す必要があったのだ。
時間、労力、金の三拍子揃った本が非常に高価になるのは言うまでもない。それが印刷の革命と紙の低価格化によって、庶民でも何とか手が届く存在になったのだ。
まだまだ普及とまではいかないが、それでも貴族や金持ち以外でも本を手にできるというのは、非常に大きな革命である。
するとちょうど俺たちの机に先ほど注文した料理が運ばれてきた。
熱された鉄板にカットされたポテトと極太のソーセージが乗った一品だ。表面に焦げ目がついたポテトがカリカリホクホクで、ソーセージは少しピリ辛な香辛料を中に混ぜ込んでいる。少々塩味が強めだが、酒のつまみにはちょうどよかった。
また別添の木の実を使った特製サワーソースをつけることで脂身をすっきりまろやかにしてくれるため、酒を飲まない者でも美味しくいただけるこの店の看板メニューである。
「この品って、この店に来たら必ず頼むよな」
「ああ。何たってこの店の看板メニューだし、実際めちゃくちゃうまいからな」
「だな。仮にお前が知り合いから、この交易都市でうまい飯屋を教えてくれって言われたらここを教えるだろ? ついでにソーセージもおすすめだと添える」
「まあ言うだろうな。俺はしょっちゅうここに通ってるし、やっぱクエストの後はここで一杯やらなきゃしまった気がしねぇ」
「グルメガイドってのはつまりそう言うことだ。それをお前の口から聞くんじゃなくて、本におすすめの店や料理の情報が載っている。本を見た大勢の人間がうまい飯屋を発見しやすくなるってわけだ」
ヘイスはその話を聞いて納得したのかしきりに頷いていた。が、暫くして疑問に思ったのか、首を傾げながら俺に問うてきた。
「けどよ。一般市民で文字が読めるやつって多くないだろ? どうやって店のメニューとか理解するんだよ」
この世界は識字率が低い。その理由も紙の普及による所が大きいのだが、多くが本を手にしても読むことができないのだ。
そして本とは文字の集合体。文字以外の情報を紙に記載すると言う感覚は、まだこの世界に根付いていない。
「そうなんだよな。だがそれを解決するのが絵だ」
「絵?」
俺が考えたのは絵で伝える方法。文字を認識できないのなら、それがどんな見た目のものか絵で伝えてしまえばいい。象形文字ではないが、形は意味を表すのだ。
しかし絵で料理の美味しさを伝えるのは非常に困難だ。
どれだけ美味そうな絵を描くか、文字以外でどんな情報を伝えれることができるのか。俺は試行錯誤した末に、1.店の外観、2.おすすめの料理を一品、もしくは2品ほど、そして3.地図を書いた。
幸いにも絵を書くのは得意な方だったので、掲載する情報が決まれば後は簡単だった。一応文字が読める人のために説明文も忘れない。
識字率が低いとは言ったが、実は多くの民衆でも地図を見る機会はあった。各都市、各町の出入り口には少し大きめの地図が貼り出されており、そこに名前も併せて記載されていた。なので記号として文字が分からなくても何を指しているか分かる人間もいるわけだ。
だから俺は地図を書くことで店がおおよそどこの都市、どこの町にあるのかが分かるようにした。ただあまり広い範囲の地図を載せると読者が都市、町自体分からなくなってしまうので、掲載できる地域が小さくなってしまったのは残念だったが。
場所がわかれば後は現地で探せばいい。勿論外門からの行き方も記載しているので、町にまで着いてしまえばそうそう迷うことはない。
こうして異世界のグルメガイドが刊行され、徐々に口コミで多くの人の手に行き渡るようになってきたと言うわけだ。
まあ他にも最大の問題があったのだが、どうやらそれ程問題とはならなかったようだ。
俺からの一連の説明に納得し、ヘイスは甚く感心したようだった。
「すごいこと考えつく奴もいるもんだなぁ。まさか本でおすすめの食いもんを紹介するなんて。最近この店の利用者が妙に増えた気がしてたのはそのせいか」
どうやらヘイスも客層の変化に違和感を感じていたらしい。だからこそ本の利用者に気づいたのだろうが、おっさんでもさすが冒険者だ。
そんな事を考えると何かを察したヘイスがジロリと俺を一瞥するが、俺は気にせず目の前の料理に舌鼓を打った。
「しかし何でお前はそんなにそのグル......何とかガイド? のことに詳しいんだ? お前も買ったのか?」
酒をちびちび飲みつつ、ヘイスは俺に質問を投げかけてくる。
俺は口に残ったままのポテトとソーセージを飲み下し、酒を呷ると一息ついた。
「そりゃあのガイドブックは俺が作ったからな」
「......は?」
間抜け顔を晒しているヘイスを無視して、俺は再び食事へと戻る。
俺が料理を食べ終え、酒のおかわりを頼むまで、ヘイスは間抜けな顔を晒したまま固まったままだった。