53 城塞
かつてない激痛が眼底の奥から湧き上がる。
顔を潰される覚悟はしていた。その痛みに耐える覚悟もしていた。
だが、こんな痛みの覚悟なんて、咄嗟に誰ができるだろうか。
かつて両目を切られた時でも、ここまでは苦しくなかった。
目を貫く。
確かにそれは戦いに置いて合理的であるが、あまりの容赦のなさ。勢い余ったのではなく、最初から狙った眼球破壊。つい先日まで親しげに呼んでいた相手の身体に、なぜここまでの仕打ちができるのか。
かつて死に際に放った絶命の声よりも、更なる高い声。
光を失っている右目からその指が抜かれる。そして光を失っていない左目は、確かにそれを見たのだ。
それは冷笑でもなく、あざ笑うのでもなく、小馬鹿にしているのでもなく、せせら笑っているのでもなく。
ただただ、無邪気に口角を上げていた。
まるで今までできなかったことを出来て喜んでいる子供のようだ。
左手をクリスに向ける。だがそれは魔法を生み出す前に、あっさりと払われた。爆発は見当違いな所で起きる。
魔法を使うのに、手を使う必要はない。ただ起点を決めるのに、とても重要な儀式でもある。他にも手は魔力を集めるのにも適しているし、魔導師に取っての手は、杖であり剣のようなものだ。
この肉体に宿る才能や性能は、他の魔導師に追随を許さない。
主席へと至った際には、誰にも真似できぬような快挙を成し遂げた。
天才が一秒かけて扱う魔法を、瞬時に行える。
そこに剣が加われば、聖賢者相手だけではなく聖騎士達ですら敵わない。
なのに、魔王はまるでクリスに敵わずにいる。魔導師としての本来の力をまるで活かしきれていない。
五秒もあればクリスの身体を大きく引き離す、そんな攻撃術式が使える。だがその時間をまるで与えてもらえない。
クリスの粘着質とも言える、距離のキープ。一度気を抜けば、意識が持っていかれそうになるほどの殴打。最初の一撃なんてそれこそかすっただけで、足元が崩れ落ちた。
常にクリスの一撃一撃に集中しなければならない。魔法の発動に、時間をかけられない。与えられる苦痛がその集中力を苛む。
瞬発的な魔法でも十分な威力があるにも関わらず、クリスはそれを平然と凌ぐ。むしろ凌げるのがわかっているからこそ、一見なりふり構っていないような無茶が利く。
時間を生み出すための剣術も、クリスの前ではまるで役に立たない。
魔獣のなり損ない相手に手こずる相手と甘く見ていた魔王だが、それも当然である。クリスは魔物を倒すために技を磨いてきた訳ではない。
一対一の人間相手の戦いだけを想定して、今日まで力を付けてきたのだ。
そこに騎士道はない。いかに相手の弱点を嬲るか。彼女の頭には常にそれしかない。
だからこんなにも戦いにくいのだ。魔導師に魔法を使わせないという、徹底的な戦術を持ってクリスは臨んできている。
例え相手が魔王であろうと、瞬発的な魔法さえ凌げば恐るに足らない。
クリスがなぜ一人で自分を追ってきたのか、魔王はようやくわかった。破れかぶれでも何でもなく、例え相手が魔王であろうと、魔導師相手なら勝てるという確信を持っていたのだ。
戦術や戦略を考える時間は与えてくれない。次の一手を考えるので一杯一杯。
右手の役に立たぬ剣を、見下ろしてくるクリスに振るうも無駄だ。剣など意に介さず、左手で首を締めてくると、右手をまた天高く振り上げた。
見つめ合う。
最後の無事な目を、クリスはただ見つめてくる。まるでそれは、もう一つここにあったのね、と言っているようだった。
最後の光を盗られてたまるかとばかりに、魔王は左腕を目の前に掲げた。
「っ……! がぁああっ!」
しかし衝撃は頭上ではなく、左耳の中から襲ってきた。
「残念。鼓膜までしか届かなかったわ」
振り上げられた手は、今度は指一本だけ立てることで左耳を貫いたのだ。
何かが起きる度に、新たな苦痛の形を知る。
たまらず魔王は右手の剣を捨て、両手をクリスに向けた。それを払わんとするも、クリスは間に合わず。爆発がそこで起き、ようやく馬乗りから開放された。
「ぁ……はぁ、はぁ。く……っ!」
だがやはりクリスはしつこくその距離を詰めてくる。
次は手か、足か。何が飛んでくるか。
剣だった。
引き離した際、ついでとばかしに持っていかれたそれを、すぐ手放したのだ。
雑に投げられる剣を、まるで曲芸のように難なく掴み取ると、両手に掴んだそれを振り下ろした。
頭に直接それを受けるのは嫌なのか、クリスは片手で受け止めた。
空いた手は、ギルベルトの片手へ。万力のような力を持ってその手首を握りしめ、足元に引き寄せた。
頭頂部と顎。肘と膝が挟み込むように同時に入る。
「ぐがッ!」
保護がかかっているはずの食いしばる歯が砕けそうになる。
倒れそうになるが、握られた手首がそれを許さない。立たされるように引っ張り上げられると、右拳が頬を襲う。
今までのと比べて軽くは感じるが、何度も何度も至る所を痛めつけてくる。
こちらの手を差し向けた所で無駄だ。差し向けようと振るった瞬間には、既にその手を払う動作に入っている。
「いいのか……これは、ギルベルトも感じている痛みだぞ……」
とっさに出た、苦し紛れの嘘である。
少しでも手が緩まないかと出た、惨めなまでの騙り事。
「じゃあ早めに終わらせてあげないとね」
なのにクリスの手は一向に止まらない。それどころか、
「がぁあああ!」
その片膝が睾丸を破壊した。
「貴様には……ギルベルトへの情がないのか……っ!」
痛みに打ち震えながら、絞り出すように言う。
「キャンキャンキャンキャンうるさいわね。情に訴えかけて手を緩めさせようとするなんて、それが魔王のやることかしら?」
それをクリスはあっさりと、そして呆れたように切り捨てた。
「かつて世界を恐怖に陥れた存在が、小娘相手に手加減してもらおうなんてプライドがないの? 一度の負けで、負け犬根性でも染み付いたのかしら」
あざ笑うその姿に魔王は口を開かんとしたが、下からやってきた拳によって、無理やり閉ざされた。
奥歯を強く噛みしめる。
なぜ自分はこんな目にあっているのか。
魔王は滅びた。ただその意思はここに残っている。この呪いは魔王としての魂だとさえ思っている。
ギルベルトの中に潜み、十六年も待ったのだ。全てをやり直す機会を。魔神の遺産を取り戻し、また魔王として世界に君臨するために。
全部上手く行ったのだ。テレーシアを籠絡し、王に封印を解かせて、ようやく十六年は報われたのだ。
障害はもうない。後はもう皆、路傍の石のようなものだ。
なのにこれは何なのか? 路傍の石だと思っていたそれは道を塞ぐ岩でもなく、壁でもなく、まるであの試験の城塞のように佇んでいた。これの破壊なくして、栄光はないとばかりに。
(報いとでも言うのか……?)
世界を混乱に陥れ、沢山の命を奪ってきた。ならば絶望こそがおまえに相応しいと。
(高さを付けて絶望へ落とすための仕掛けか? ……最後になって全てを取り上げてやろうという、天からの罰か?)
ならばクリスは、そんな天より差し向けられた使者か。
天の意思を代行する、神が世界におろした執行者か。
(いや違う、天の上にはなにもいない。いたところで地上になど興味はない。あれだけ魔王として好きに振る舞った私に、罰など与えられなかったではないか)
沢山の人間を殺してきた。
沢山の幸せを摘んできた。
たまたま聞こえた魔神の声。それは力を与えてくれた。知識という力を。
途端に世界が小さく見えた。まるで手の平に収まるような小ささに。
ならば掴んでみようかと始まった世界征服。子供が一度は描く絵空事。どうせなら自分こそが魔神となり、世界を手にしようとした。
そんな軽さで世界を踏みにじってきた自分に、天は一度も罰を与えなかった。
(オスヴァルト・アーレンスには負けただけだ。天よりの罰などでは断じてない。あれはただの敗北。私は天ではなく、人に破れたのだ)
負けただけ。たった一度の敗北だ。
次は勝てばいい。やり直す機会は得た。
今度は負けない。最後まで人に負けず、今度こそは魔神へと至ってみせよう。
栄光への道は険しい。ただ険しいだけで絶対に辿り着けない訳ではない。
そういう意味であれば、試されているのかもしれない。自分が栄光へ至るに相応しいかどうかを、天がかの試験のように城塞を置いたのかもしれない。
(クリスティーナ・フォン・ラインフェルト。……貴様がかの城塞と同じだと言うのなら)
足りないのは覚悟である。
目の前にある障害を乗り越えるのではなく、その身を捨て去ってでも崩さんとする覚悟。自分の形が残るかどうかは、終わった後に確認すればいい。
(今度こそここで、崩しさってみせよう!)
もし面白い、早く続きを、と喜んでと頂けたならブックマークと下の☆で評価を頂けると幸いです。
それが何よりも応援となり、励みになります。




