異聞録 シャル
ルアシータ領は海と山に面していて、王都には少し距離があるがとても豊かな領地だ。
突然姉さまが山に登りたいと言い出すと屋敷の中は騒然とした。
魔物の少ない土地とはいえ、危険はある。
『山の生き物が見たいの!あと自然の中でご飯が食べたいの!お願いお父様、お願いです〜!』
久しぶりに何かを強請る姿を見たと思ったがそれは父さまも同じだったらしくなんとか了解してもらっていた。
そして今。
姉さま、ナナ、テオ、そして俺。
4人で馬車に乗り山の中にある花畑を目指していた。
ちなみにトーマは体調不良で不在だ。
『うふふ、ピクニック本当に楽しみ…。』
「ミュリー様、あまり身を乗り出しますと危ないですよ。」
『分かっています、ちゃんと危なくないようにするわ。』
いつにも増してテンションが高い姉さまは歳相応の表情をしていた。達観、諦念、自立の欠片もない輝いた目をしている。
姉さまが楽しそうだと俺も嬉しくなる。
「姉さま、楽しみですね!」
『本当に。お兄様にはたくさんお土産を持って帰って差し上げないとね。』
大きく頷くと姉さまは俺の頭を優しく撫でた。
あの最近姿を見せない第3王子には絶対にしないことだ。
第3王子だけではない、基本的に家族以外の男には自分から触れたがらない節がある。むしろ接するのも消極的だ。
撫でてもらえたり、おやすみのキスをしてもらえるのは兄弟としての特権だが、俺としてはあまり嬉しいものでは無い。
まったく男として意識してもらえてない証拠なのだから。
俺は姉さまの肩に頭を預けた。
「兄さまは野いちごか好きですよ、着いたら探したいです。」
『ええ、そうね。野いちごはシャルも好きでしょう?たくさん採らなくちゃね。』
こんなに優しい姉さまも、いつか俺の想いに気づいたら触れなくなってしまうのかな。それも嫌だなぁ。
ぼんやり考えていると、急に馬車が止まった。
まだ到着ではないはずだと不思議に思っていると、テオと知らない話し声が聞こえてきた。ナナの顔が僅かに曇る。
「ミュリー様、この短剣をお持ちください。失礼します。」
小声でそう話し、姉さまのスカートをたくしあげて、太ももにホルダーを付けて短剣を収めた。
俺は目をそらす振りさえできずにその綺麗な脚を見つめてしまった。
「シャアル様はご自身の剣をお持ちですよね。屋敷の者以外の対人戦は初めてでしょう、僭越ながらアドバイスをしますと、大切なひとを守れるのは自分しかいないと思うことです。剣を使わずに済むのならそれが良いのですが…、」
と外へ飛び出して行った。
周りを見渡せば男が大勢、俺たちはどうやら囲まれているようだ。
剣の稽古は充分してきたが、まだこちらは未熟な子供。テクニックで勝てても力では勝てない。戦わないことがいちばんだ。
『姉さまがシャルを守りますからね。大切な家族がいなくなる未来なんて…いらないわ。』
ぎゅっと抱き締められる。が、がたがたと震える腕では人は殺せまい。それにいざとなれば自分が身代わりになる姿も容易に想像出来てしまう。
俺が守るしかない。
「姉さま、絶対に俺の傍から離れないでくださいね。」
『…シャル、たまには私にも姉らしく格好つけさせて頂戴。』
テオとナナが男達を相手に戦っているのを車内から見る。二人ともかなりの実力だが多勢に無勢、押されている。
鍵をかけているが、突入されるのも時間の問題かもしれない。
こっそりと逃げられるのならそれがいいが、この人数だと叶わない。
突然姉上が短剣を取り出し、スカートを大きく縦に裂いた。
再び露わになる傷ひとつない白い脚。脚線美。
「姉さま!?」
思い出せ、思い出せと謎に呟いている姉さまはこちらを見て笑った。引きつっている笑いは完全に強がりだ。
『黒ずくめの男達を相手にしている時に動きにくかったのよ、今のうちに準備しておくのも悪くないわ。』
スカートの裾をきゅっと固結び、膝下がすべて丸見えになる。目に毒すぎて俺は急に頭が痛んだ。
『先手必勝よ…、絶対に負けられないわ…。シャル、逃げて!もし姉さまが死んでも、姉さまのことを憶えていてね!』
と言って鍵を開けて外へと飛び出す姉さま。
えっ?姉さま、剣の稽古とかしたことあった?
ゾッとして後先考えずに自分も外へと飛び出す。
「姉さま!?」
そこは思ったよりも状況は悪く、テオとナナは既に捕えられていた。手足を縛られ身動きが取れなくなっている。
地面に転がっている男はざっと数えて20はいる。立っているのは3。使用人2名で倒したとは思えない。
そしてミュリー付きの使用人を倒したこの山賊もただものでは無い。俺は勝ち目がないかもしれないと不安になった。
『頭領格の者と話をさせてくれるかしら?』
姉さまが声を張り上げると1番奥でにやついていた男が前へ出る。
「おう嬢ちゃん、俺がボスだ。何の話だ?命乞いか?靴舐めて平伏せば考えてやらんこともないが!」
『周りに聞かれなくないわ、馬車の中でお話をしてもいいかしら。』
「おう、いいぜ?おいてめーら、そこの坊ちゃんがなにかしでかしたら殺しとけ!」
ボスは快諾し、姉さまは男と俺の横を通って馬車に乗り込んだ。扉、鍵、カーテンが閉められて中の様子が一切伺えない。
姉さまに逃げてと耳打ちされたがそんなことはできない、姉さまは僕が守るのだ。俺は飛び出した場所で突っ立っていた。
しばらくして少しげんなりしているがやり切った感溢れるボスが出てきた。
「おいおめぇら!こいつは上玉だぞ!お前らも試してみろよ!」
「えっなんすかボス?」
「いーからいーから、嬢ちゃんが待ってるぜ?」
といった感じで残っていた2人が馬車の中へ消える。
そしてまた暫くすれば2人もいい顔をして出てきた。
続いて姉さまも出てきた。口元をハンカチで押さえて顔色を悪くしている。
「こりゃすごい…!」
「プロにだってこんなに良くしてもらったことねぇぞ!」
「がはは!そうだろ!?魔法のお口だ、こりゃ高く売れる!」
『お気に召してくださいまして?私たちを雑に扱うべきではありませんわ、皆卓越しておりますのよ。』
プロにも負けない口…!?姉さまは一体何をしたんだ…!?
ボスが軽快に厭らしく笑いながら姉さまの背中をどんと叩いた。
「おめーチビのくせになかなかやるなぁ!」
『っぷ、っえ、うっ、』
突然姉さまは嘔吐した。なんとも言えぬ独特な音が辺りに響く。
すると突然ボスの首が飛んだ。物理だ。
驚く間もなく腰巾着2人の首がぱっくりと裂けて血が吹き出した。
俺は何が何だかわからないが姉さまの元に駆け寄った。嘔吐したものを唖然と見つめる姉さまは少し様子がおかしい。背中を撫でるがそれは俺自身の気休めだ。
「姉さま…!!」
『う、っぷ…大丈夫よ、心配しないで…』
「「お嬢様っ!!」」
返り血で汚れたナナとテオがいつの間にか近くにいた。
テオが上着を脱いで姉さまを横抱きにして馬車の中へと運ぶ。俺は2人の歩調に合わせて小走りで駆けた。
馬車の扉を開けた瞬間、2人は珍しく酷く顔を顰めた。
だがそれも一瞬のことで馬車に姉さまを寝かせて心拍や瞳孔確認などを始めた。
俺も乗り込むとそこは嗅いだことの無い匂いが充満していた。
姉さまはナナの頬に手を添えて力なく微笑んだ。
『ナナ、テオ、よかった…。前にナナは縄抜けが苦手だから時間がかかるって言っていたから、時間を稼げればと思って…。』
それを聞いたナナは目に涙を浮かべた。
テオは無表情を決め込んでいるが目が赤い。
「お嬢様、私達は貴女のためなら死ねます!シャアル様とお逃げになれば良かったのです!」
『嫌よ、あなたたちが大切なんですもの。…私のしたことに気づいてるのに、何も聞かないのね?』
「……ミュリー様に詮索など必要ありません。」
安心してか、大きく息を吐く姉さま。
俺以外にわかっている暗黙の何かがある。完全に置いていかれているが、とにかく姉さまが無事でよかった…。
姉さまの手を握ろうと手を伸ばすと、テオがそれを避けさせるように急に脈を測り始めた。
姉さまの近くに行こうとするのも2人に憚られる。そして少しずつ遠ざけられている気さえしている。
なんだか分からないがかなり苛立った。なんなんだ、なんの話をしているんだ。
その後ピクニックを続行できる訳もなく屋敷に帰る時に、着替えがないためテオのシャツを借りた姉さまが嬉しそうにしているのを見て更に気分が悪くなった。
だぼだぼのシャツからすらりと伸びる四肢よりも姉さまのその顔が、異性を意識している顔が嫌で、結局俺にとっては苦い思い出しかできなかった。
早く大人になって、強くなって、姉さまを守りたい。
奇行に出る前に止められるほど姉さまを理解したい。
そしてトーマでもダミアンでもなく、俺が姉さまと結婚するんだ。
俺は明日からの鍛錬を見直そうと決意を固めた。