番外編 白亜の城にて
リズが、初めて白亜の城に連れてこられた時のお話です(本編第二話直後)。
リズは、士官から引き継いだ侍女長セフィーヌによって白亜の城内部に案内された。鏡のように磨かれた床や壁に、リズの姿が映る。繊細で美しい城の回廊を歩く自分が、とてもみすぼらしいとリズは恥じた。
「まずは、お着替えを——」
そう言われて、案内された先の部屋には、一人の侍女が待っていた。
彼女は、興味津々の目で、リズを見つめた。
「リズ殿のお着替えをお願いします。私は、ジュラール殿下に報告を行ってきます」
そう言って。セフィーヌは去って行った。
ドアがバタンと閉まると、挨拶をしつつ、侍女が話し始める。
「よろしく。あなたがどうして殿下に気に入られたのか知らないけど……もし、この城に相応しくないのなら、絶対に追い出してやるから」
彼女は、普段こんな威圧めいたことを言う性格ではなかった。しかし、最初が肝心と力む結果、随分な物言いになって、やりすぎたと思った。しかし、素直に謝れない。
リズは、冷静に言葉を受け止める。娼館の仕事を通して上級貴族とは言え、とんでもない男達を見てきた。リズにとって、これくらいの圧力は、どうということはなかった。
どんなときも忘れないことがリズにはあった。誰であろうと、最初の挨拶はとにかく丁寧に行うようにしていた。亡き父と母の教育である。
その教えの通り、ゆっくりとスカートの裾をつまみ、挨拶をした。
「リズと申します」
その所作に、侍女は見とれてしまった。丁寧な、美しい所作は一瞬であっても別格のものだった。単純な動作だけに、誰がやってもそれほど違いが出るものではない。それでも、彼女の挨拶は、圧倒的な力を持っていた。
「……な、なかなかやるじゃない……」
見とれていた侍女が我に戻って言った。
侍女は、どうやったらそんなに気品あるように挨拶ができるのか、後で聞いてみようと思いつつ、衣装部屋へと連れて行く。
様々なサイズの服が並ぶクローゼットを見て、リズは心が躍った。以前、両親と住んでいた館と比べ格段に大きいし、見たことのないような可愛らしい服が並んでいた。
その一角に、リズくらいの歳向けであろう服が並んでいる場所があり、二人で順に見ていく。そこに並んでいるものは、かなり新しく感じた。
そのうち「これがいいわ」と侍女が一着の服を選んだ。短い袖がふわりと膨らんでいて、純白で、涼しげで可愛らしいものだ。
「かわいいと思います」
「そうね。サイズも直さなくて良さそうだし、着てみましょう」
「はい!」
リズは、今着ている服を脱ぎ下着姿になった。
その肌を見て侍女が絶句する。なんだ、この痣は……と。彼女の顔立ちから想像できない、醜い痕。白く透き通った肌に赤黒い蛇が這っていた。
「あなた……」
ぽろぽろと涙を流し、侍女は泣き崩れ、リズを抱き締めた。
リズは、娼館での出来事を思い出す。ぐずる相手に、どうしてあげていたか——思い出したことをそのまま実行する。髪を撫でながら、優しく抱き返した。
そうすると、益々侍女の泣き声が大きくなった。うーん、とリズは困惑する。
「……あの……」
しばらくして泣き止むまで、動けなかった。侍女に何があったのかは分からない。でも、私の姿を見て泣いてくれた彼女は、きっと悪い人ではないのだろうとリズは思った。
ようやく立ち直った侍女は、もう大丈夫、と言って立ち上がり、さて、と悩み始める。
「先ほどのより……これにしましょう」
リズは一人で着られるのにと思ったのだが、侍女がかいがいしく手伝ってくれた。
先ほどの服は、袖も少し短く、真っ白で、一部、肌の色が透けて見えるようなデザインだった。
侍女が次に選んだものは、長袖の、色つきのもの。
「うん、今日の所はこれでいいかな。時間が経てば、さっきの服や、もっと明るい色の服が着られるようになるから、しばらく辛抱してね。……追い出すって言ったり、泣いちゃったりしてごめん」
「いいえ……私は、とても嬉しいです。服のこと真剣に考えてくださって、ありがとうございます」
侍女は思う。自分がしでかしたことを忘れたかのように向き合ってくれ、心から感謝してくれている。何より、花の咲くような笑顔が服によく似合い、とても可愛い。
「えっと……いや……ううん、これは仕事だからね。あの、もしよかったら——」
侍女は、もじもじとして、言い淀んだ。
その時、こんこんと音がして、ドアが開く。
「着替えも終わったようですね」
セフィーヌは、リズの姿を見ると、ふむ、と頷いた。
「よく似合っています。あら、すっかり仲良くなって」
「はい。しばらくは、このような服装が良いと思います」
「そうですね。同意見です。殿下との謁見が終わったら、リズ殿に城の案内をして頂戴」
「はい!」
侍女は、嬉しそうに答えたのだった。
謁見の間。とても広く、部屋は外の光を取り入れるようになっていて、壁が少なく、柱と柱の間から外の風景が見えた。
リズはそこで、ジュラールと再会を果たした。緊張よりも困惑の方が、大きい。
「ああ、リズ。ようこそ」
「ジュラール…………殿下」
リズは戸惑いながら、挨拶をした。美しい所作だと彼は満足する。
「リズ、君はもう、辛い思いをすることはない。してはいけない。いいね?」
「はい……。あの……」
「ん? どうした?」
「あの……どうして私はここに……?」
「私が呼んだ。命を救ってくれたからな。何か礼がしたいと思った」
ジュラールは、本心を言いたい気持ちはあった。君に会いたかった、話をしたかった、と。しかし、周囲の人々を前に気恥ずかしく言えなかった。
人払いをしようにも、突然城に来た人物と二人きりになるようなことを、護衛が許すことは無いだろう。
「あれは……助けられたのは私です」
「君がどう思おうと、私の気持ちだ。嫌で無ければ、ここにいて欲しい」
「嫌だなんてとんでもありません! ですが、今までの事を思うと……急なことで信じられなくて」
このような場所で感情を乱すようなことは、あってはならない。リズは必死に、泣くのをこらえていた。
しかし、どんなに大人びていても、彼女の年齢では出来ないことがある。不安の涙が、こぼれそうになった。
ジュラールは、彼女が心を乱す所を見て安心する。ああ、やっぱり、こんなに表情豊かで可愛らしいじゃないか。と。
そして「信じられない」というリズの言葉に対し、彼女が求めている言葉を探した。やがて、自らの思いと、彼女を満たす言葉にたどり着き、素直に伝える。
「では、過去のことではなく、今の私を信じてくれればいい」
はっと、リズの表情が変わった。何を信じればいいのか。どのような結果になっても、最後まで信じていられる存在は何か。その人が目の前にいる。
謁見の間に、太陽の光が降り注ぐ。まぶしい陽射しを浴びながら、リズは顔を上げ、頬を伝わる感謝の欠片を拭いながら、シンプルに応えた。
「はい! 殿下」
リズの表情は輝き、希望に満ちたものであった。
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リズは、ジュラールに仕えて働くことになった。これは、彼女自身の希望であった。
「所作に関しては、むしろ教えて欲しいくらいですわ……」
セフィーヌは、溜息をつく。
挨拶から、普段の振る舞い、礼についても、彼女は完璧であった。若干、国によって異なる部分を修正しただけで、城に勤める者の中では、一番だと評価されていた。
「挨拶の時は、このような感じがよろしいのでしょうか?」
「歩き方のコツをもう少し教えてください!」
リズは、いつの間にか所作や礼儀を、王族に仕える者たちに教える役目を担っていた。彼女は、いつもにこにこと笑顔で教えるのであった。
「あの、昨日遅くまで教えて頂いたお礼に、クッキーを焼いてきたので一緒に……」
「今度私の服を選んで欲しいので、一緒にお出かけしませんか……」
リズは引っ張りだこになった。侍女の皆と過ごすのが楽しく、彼女はできる限り応えていく。
侍女に限らず、衛兵や使用人、兵士や、執事等……彼女に声をかけるものはとても多くなった。
ジュラールは、素直にリズの両親を賞賛する。
「君の両親は、名前だけではなく、様々な贈り物を授けていたんだな」
「はい。殿下に仕えるようになって、益々実感しています」
リズは、両親から教えてもらったことを、人に伝えるのが嬉しくて、楽しかった。どんなに忙しいときでも、彼女は質問されると、喜んで応えるのだった。
「多分な、この城に住む私を含めた王族よりも、リズの方が好かれているぞ……」
「そんな……」
照れて俯くリズを見て、ジュラールは、彼女の手を引こうとする者の多さに、いつか、自分の元から離れていくのではないか? と、複雑な気持ちになっていた。
そして……少し心配にもなった。彼女は……私のことをどう思っているのだろう?
しばらくして。
侍女達が、国内外の貴族に見初められ、次々と嫁いでいくという出来事があった。元々貴族出身の者もいたのだが、彼女らは、受ける縁談を選べるまでになっていたのだ。
美しい所作は、外見も、内面をも変えていく。リズは、指導した者たちが幸せになるのを見て、彼女自身も大きな幸福感に満たされていった。
しかし、侍女長セフィーヌは頭を抱えていた。
おかしい。先月も、今月も、貴族の元に侍女が嫁いでいってしまった。
「私はいつ、結婚できるのかしら」
そう思いつつも、リズと働くことが楽しくもあり、この職場を離れられないかもしれないと思い始める。
なお、王国では「白亜の城の侍女になれば、国内外の上級貴族に嫁げるようになる。平民出でもチャンス大」という噂が流れ、侍女の求人に対する応募数は跳ね上がっていくのであった。