第一話 娼館にて
ジュラールの前に現れた少女は、十歳くらいだろうか。
「はじめまして。今日は私がお相手します。よろしくお願いします」
ジュラールが十五歳なので、数年ほど若い。
少女はスカートの裾を持ち頭を下げ、貴族風の挨拶をした。真似と言うよりは、しっかりと身についた所作にジュラールは違和感を抱く。彼は王族で、挨拶を見ればおおよその身分を判別できる。
少女の身なりを見れば、貴族でも王族でもないのは明らかだ。年齢に似合わぬ化粧をし、ドレスは幼い体の線を隠すことなく、肌の露出も多い。
数年ほどすれば、立派な娼婦として見られるだろう。しかし、少女はまさに今、現役だった。
ジュラールにあてがわれたのは、特殊な嗜好をもつ客向けの、あどけない少女だったのだ。
「ああ……よろしく」
「いかがしましょうか? 特にご希望がなければ——」
そう言いながら、ジュラールの手を取り奥の浴室に向けて手を引こうとする。少女の手は、とても温かく、柔らかく……そして小さかった。
「座って、話をしたいのだが」
「……はい」
そう告げて、ジュラールはベッドに座った。少女は、その隣にちょこんと座る。次に背筋を伸ばし足を揃え、彼の方を見た。
ジュラールは感情が感じられない少女の声が気になった。当然、望んで働いている訳ではないのだろうから、感情を押し殺しているのかもしれない。
ジュラールはこの施設に来るのは初めてだ。しかし十五歳にもなれば、この施設の意味や少女が何の仕事をしているか分かる。
——叔父さんが通っていたのは、こういう所なのか。
ジュラールは苦々しく思う。外遊と言って周辺国に良く出かけていた。その本当の理由はこれなのか、と。
王族は利用できる施設が限られる。ここは高給娼館で、貴族、それも公爵などかなりの上流階級が利用する店だ。
「具合でも悪いのですか? それとも私をお気に召しませんでしたか?」
素直に、ジュラールは少女を可愛いと思った。好みの顔立ちだった。
安全で、衛生管理がしっかりしていて、いい店だと叔父さんは言っていた。
まさか、叔父さんはこんな小さな子が目当てなのでは? そう思い至りジュラールは顔をしかめる。
「いや……問題ない。ここには君くらいの年の子がいるのか?」
「いいえ、私だけです。他の人はもっと大人です」
「そうか。さっき私と一緒にいた叔父さんは知っているのか?」
「いいえ。一ヶ月前からここに来たのですが、私が相手をしたことはありません」
「そうか」
もし知っていたとしても、話さないのだろうな、とジュラールは思った。しかし、少女の言葉に嘘は無いと感じ、ほっとする。
——ん? 一ヶ月前?
ジュラールは、記憶を探った。そういえば、その少し前に戦争があり、あっという間に小国が攻め込まれ滅んだことがあった。何か関係あるのか?
考えにふけっていると少女から、せっけんの香りが仄かに漂ってきた。ジュラールはとても心地よく感じ、うっとりとした。
もっと、少女の近くに行きたい、顔を近づけたいと思う。しかし、彼自身上手にアプローチができるわけでもなかった。ならば、せめて会話を続けようと、話題を探した。
「君の名前を教えてくれないか?」
「私は、リズと申します」
「リズか、良い名だ」
こともなげに、ジュラールは言った。すると、リズの顔が、ぱあっと花が咲くような笑顔になる。
「ありがとうございます。嬉しい…………」
少女の声に、感情がこもる。その姿に、ジュラールは見とれていた。彼は、はっとして我に戻ると、照れ隠しに頭をかいた。
「あの……どうかしましたか?」
ジュラールには、さっきまでの冷たい表情から、少し頬を染め、明るく話し始めた少女がまぶしく見えた。
彼は王位継承権を保持しており、それを目当てにして群ってくる女性の姿に辟易していた。だからこそ少女の、お淑やかで裏表のない仕草を、新鮮に感じていたのだ。
あのどす黒い匂いに比べたら、リズの香りは、どんなに、清らかなことか。
「君は、どうしてここに?」
ジュラールは、リズに興味を持ち、知りたいと思った。そこで、最初に抱いた疑問を口にしたとき、ガチャリと鍵の開く音が聞こえた。
「!?」
ドタドタという足音と共に、男が二人短剣を構えて部屋に入ってきたのだ。
すかさず、リズは立ち上がり、ジュラールの前に盾になるように立ち塞がった。
「ちいっ」
暗殺者はその対象が、娼婦と一緒にベッドの上にいるだろう想像していた。しかし、それと異なる状況を残念に思う。溜息をつき、障害となる少女の胸に短剣を突き立てようとした。
「リズ!」
ジュラールはリズを突き飛ばすと前に出て、護身用の短剣で男の攻撃を受け止めた。剣術の延長で習っていた短剣の扱いが役に立った。
すぐに、もう一人の男が、前に出てきてジュラールに攻撃を加えた。
ジュラールは体を引き、距離を取る。
「はあっはあっ」
接敵して一瞬だったのに、息が上がった。
敵は二人、しかも手練れだ。このままだとやられるとジュラールが思った時、バタバタと廊下から数人の足音と、侵入者だ! という怒号が聞こえた。
「ふん」
二人の暗殺者は、ジュラールとリズを一瞥した後、窓を割り飛び出して去って行った。
ジュラールは、へなへなとベッドに座る。
「はぁー。助かった」
そこには、さっき突き飛ばしたリズがいた。少女は、両腕で自らを抱えて動けないでいる。
すぐに、館の管理者や警備担当者が現れる。
ジュラールが簡単に状況説明をし、リズには全く落ち度がないことも伝えた。一通り話をすると、館の管理者は返金と迷惑料を支払うと言ったのだが、ジュラールは断った。その代わり、リズと、しばらく一緒にいたいと伝えたのだった。
二人きりになって静かになると、ジュラールの肩に柔らかく、温かいものが触れる感触があった。
「うっ……つ……ひっく……」
リズが泣きながら、彼に抱きついていたのだ。彼の前に立ち上がったときの凜とした表情と比べて、今は幼子——年相応の表情をしていた。
ずっと我慢していたのだろう。
表情を見て、ジュラールは気付いたことがあった。さっきまで機械的に感じていた表情や言動の理由……。
全てを諦めていた。
どれくらいの絶望が少女を襲ったのか分からない。でも、その中でも懸命に努力し、自分を維持するために感情を殺していたのだとジュラールは思った。
動けない少女に、何か言うべきだと感じたが、彼は言葉を持ち合わせていなかった。
ジュラールは恐る恐る、リズの背中に手を回した。
そうすると、リズの美しい髪が気になり、少女の頭をゆっくり撫でた。綺麗に揃えられた短い髪はさらさらで、触れているだけで心地よかった。
彼の視線に気付き、リズは驚いた声を上げた。
「あっ…………申し訳ありません」
少女はそう言って体を離そうとした。しかし、力がはいらず、余計にジュラールに密着することになる。
リズの体は震えていた。密着すると、少女の香りがより強く感じられた。
「いや。そのままで良い」
「……申し訳ありません」
密着することで、ジュラールは気付く。少女の肌に這うような、赤黒い痕ができていることを。
痕は手首にも見えた。他の箇所にもあるのかもしれない。
それが何によってできたのか、ジュラールには分からなかった。しかし、痛みが伴うことは分かる。彼は、頭と体が熱くなり、沸騰していく感覚にくらくらした。
「仕事は……大変?」
「……慣れました」
ジュラールは、その言葉をとても悲しく感じた。痛みに慣れることなどあるのだろうか?
「貴方は、あまり歳も離れていないし、とても……優しいです。」
「そうか?」
「はい。私を……あの怖い人たちから……助けて、くれました……」
いつのまにか、声には、感情がこもっていた。泣いたのがきっかけだろうか。
感情を取り戻すと、明日からの仕事がまた大変なのではと、ジュラールは心配になった。
「君が先に私の盾になってくれた。おかげで彼らの足が一瞬止まったのだ。気にしなくて良い」
「……。ありがとうございます。それに、貴方は痛いことをしないですし……」
「ッ……」
痛いこと。ジュラールには想像できないことだったのだ。しかしその少女の言葉は、棘のように胸の奥に突き刺さり、痛みを与えた。
少女をここから連れ出さなければ、という思いが彼の中に生まれる。じわじわと大きくなっていく。
「助けて頂いた事は、とても嬉しく思いました……感謝致します……ずっと……ずっと、忘れません」
「ああ——」
ジュラールは、私もだ、と言いかけて言葉を止めた。少女の瞳から、また涙が流れ出ていた。
彼は意識しないまま、手が伸び伝う涙を拭った。リズは、彼の手に自分の手を重ねる。そして自らの頬に当て、目を閉じた。
しばらくして目を開けた少女が、真剣な眼差しでジュラールを見つめて言う。
「お名前を聞いても……よろしいですか?」
このような場所で正直に名を伝えることの意味をジュラールは知っていた。しかし、何の躊躇も無かった。
「ああ。私の名は——」
ジュラールは思う。
この出会いを大切にしたい、そして、この少女のことをもっと知りたい。多分私は、ここには、もう来られない。
なんとか我が国で引き取れないだろうか?
先ほどの警備の不備のことを突けば、後は金次第だろうか?
同時に、叔父さんをしっかり問い詰めようとも思っていた。ジュラールは、少し後ろめたいことを考える。
ジュラールはリズに対する感情を前に、手段を選ぶつもりは毛頭無かった。