母校での講演
その日G氏は母校に向かって歩いていた。これから懐かしの母校にて在校生に向けた講演を行うのだ。
かつては通学鞄に重い教科書をぎゅうぎゅうにいれて歩いた懐かしい通学路を、今朝はおろしたてピカピカのブランド鞄を得意気にさげて歩いている。
『それにしても、制服…ずいぶん懐かしいな』彼はもちろん、パリっとしたスーツ姿でキメている。
『きっと、会場には…』
若くて美しい女学生がたくさんいるに違いない。
『檀上からよく見える前列の席には、なるべく男子生徒よりも女生徒が座っていて欲しいものだなあ…』
G氏の顔からはニタニタ笑いが漏れていた。
『講演を終えて「何か質問はありますか?」と問いかけたら、きっと俺はこんな質問をされるね。
「はい、どうしたらそんなに素晴らしいお仕事が出来るのですか?」って…。素晴らしいお仕事、だとさ。まいっちまうね…!』
しかも学校は、高級な仕出し弁当まで用意してくれているという。
学生時代にはぱっとしなかったG氏が、ひょんなことから幸運をつかみ、自分でもわからないままに、仕事でちょっとした成功をしてしまった。今日はそれで講演を頼まれたのだ。
『錦を飾るとはこのことだな…』
G氏が張り切らないわけがなかった。
『ではGさん、お願い致します』
プロフィールを紹介され、壇上に上がる合図のアナウンスが読まれると、G氏は女学生からのキラキラした眼差しを感じながら、意気揚々と舞台の袖からマイクの前に向かった。
しかしいざ檀上に立ってみると、G氏の眼の前にいたのは、若くて美しい女学生ではなかった。それどころか、
『あれ…、化学のY先生、まだいたのか…、それに体育のR先生も…』
会場の前席には、G氏が学生時代に苦手に思っていた先生方ばかりが、ズラリと陣取っていたのだ。
よくこうも集めたものだ、と感心する余裕は、G氏にはなかった。それどころか、彼はまるで学生時代に戻ったかのように、冷や汗をかいていた。先生方の厳格な目つきが、早く講演を始めろと促しているようで…、
「え、あ…、ほ、本日は、あー…」
ズラリと並ぶ先生たちの威圧に気圧されて、G氏が話す予定だったことは頭からとび、彼は口を開けては金魚のようにパクパクと動かすだけで、全く言葉が出て来ない。学生時代、答えられない質問を当てられて、しどろもどろにどもってしまった記憶とオーバーラップし始めていた。クラスの女子から「さっさと答えなさいよ」と嘲るような視線がまざまざと蘇り、身体中に突き刺さって痛い…。
「ギャァーーーー!!!」
G氏は変な叫び声をあげると、壇から舞台の袖に走って逃げ出し、足がもたつくのももどかしそうに、そのまま学校の外へ遁走した。
『やっぱり講演なんか受けるべきじゃなかった…!僕なんか、母校での講演に値するものか…!何が「どうしたらそんなに素晴らしいお仕事が出来るのですか?」だ、馬鹿々々しい!』
「ただいま…」
落ち込むG氏が帰ったのは、実家だった。その日G氏は、普段住んでいるマンションではなく、母校から近い実家に泊まることに決めてあったのだ。
すると母が出迎えて、
「おかえり、お弁当箱、早く出しなさいね」
とだけ言って、またすぐに奥に消えた。
『お弁当?おかしいな、今日は学校から仕出し弁当をもらうはずだったから、お弁当なんて持って行っていないけど…』
そう思いつつ、通学鞄の中を見ると、確かにお弁当箱がしまってあるのだった。
『え…?っていうか、なんで通学鞄?』
G氏がさげていたはずの新品のブランド鞄は、見覚えのある通学鞄に変わっていた。
いや変わっていたのは鞄だけではない。パリっときまったスーツも、学校指定の制服に戻っている。
『あれ…?まさか、時間が戻ってるのか…!?』
G氏ははたと鏡を覗き込む。しかし悲しいかな…、昔に戻っているのは服と鞄だけで、顔は全然若返っていないのだった。はかない期待は空しく消えた。
『で結局、今は一体いつなんだ…?』
G氏は混乱した。そして「早くしなさいよ」と母に言われるまま、空のお弁当箱を差し出したのだった。
その晩、母の「さっさと宿題を済ませちゃいなさいよ」という懐かしい響きに背中を押されて、十何年ぶりに勉強机に向かう。
漢字練習に、数学の問題集…。必死にペンを動かすが、
『あれ…?勉強って、こんなに辛いものだったっけ…」
G氏の忍耐と集中は、早くも途切れ始めていた。しかし…、
『もしかしてこれは…、やり直すチャンスなのかもしれない…』
後になってから学生時代をふり返ってみると、勉強とは、人間の可能性を広げる機会を、お金の心配もないまま与えられている、ということなのだ。
そう思うと、当時やっていなかった予習や復習まで、丁寧にやってみるのもいいかもな、という気もしてくるのだった。
『まず、苦手だった科目を克服し、今度こそ第一志望の学校に入る、だろ?あとそう、やりたかったけど、気後れしてやらなかった吹奏楽部に入部してと…。あと何より、恋愛もしておくべきだったんだな、全く何をしていたんだ、当時の俺は…』
反省をいかして次に生かす…。こう考えるとやりたいことが、次々と頭の中に浮かんで来た。
『うん、今度こそ、きちんとやろう…。あの苦手だった先生たちをぎゃふんと言わせるくらいにな…』
その日G氏は、久しく感じていなかったわくわくを胸に抱いて眠った。まるで遠足前の夜の子どもみたいに…。
次の朝、G氏は制服に腕を通し、颯爽と登校する。
教科書、制服、通学路、お弁当…、これらは再びG氏のものになったのだ。全てがキラキラと新鮮な輝きを放っている。まるでG氏の再出発を応援するかのようだ。
「おはようございます!」
通学途中の顔も知らない生徒たちに、自分から挨拶を飛ばす。向こうは俺のこと知らない、なんて知ったことじゃない…!学生時代、朝の挨拶がこんなに心地よいものだと知らなかったとは、なんて俺はおろかだったんだろう…!
『でも過ぎたことはもういい、今から始まるんだ…!新しい俺が…!』
G氏は満面の希望を浮かべて、学校の門をくぐろうとしたその時、
「ちょっと待ちなさい、君…」
警備員に止められたのだった。
「君、制服こそ着ているものの、生徒じゃあないだろう…?」
せっかくの高揚感に水をさされたG氏は、反論する。
「そんなことありません!ぼくはここの生徒です!」
「そんなわけないだろう!鏡を見てみなさい、三十代の顔をした生徒がこの高校にいるなんて、聞いたことがないぞ!」
警備員の手で、G氏は否応なしに鏡を覗き込まされる。中年の顔に、制服姿の自分…。瞳の中に、容赦ない現実が飛び込んで来る。G氏を応援するかのように輝いていた幻影は崩れ去り、彼の顔はみるみるうちにあおざめた。そして、
「ギャァーーーー!!!」
G氏は変な叫び声をあげると、再び学校から逃げ出したのだった。




