熾天使
遊の叫びに呼応して、手に持つ槍から炎が放たれた。それは意思を持つかのように、また、遊の意思に答えるように、グラウンドの外周へ散らばり地面に落ちる。ここは第二グラウンド。全面を芝で覆われた、サッカー部のコートである。そして、クシエルのいる位置はその中央。落ちた炎は芝に引火し、みるみるグラウンドを火の海にしていく。
果たして、炎を操るクシエルに対してこれは有効なのか。当然悪魔の頭にはそんな疑問が浮かんだ。しかし、その疑問を問うまでもなく、クシエルは外から迫る炎に過剰なまで反応を示していた。
迫る炎にたじろぎ、然れど周り全てが火の海と化した四方に逃げ場など無い。怯えた表情で辺りを見回し、一歩踏み出しては後退して振り返るを繰り返している。
四方、及び八方を塞がれ、周りに逃げ場は無い。ならば上方へ向かうしか道はないだろう。クシエルは空に目を向けると、一度屈み、翼をはためかせると同時に大きく跳躍した。
そして、上方にしか逃げ場がない事は、遊も勿論理解しており、それこそが狙い。
クシエルが飛び上がった瞬間、突如としてグラウンドを覆っていた炎が消えた。それは一見して消え去ったようにも見えたが、クシエルは確かに見た…………炎が遊の持つ槍に吸い込まれていったところを。
「充電満タン!いや、充炎か?まぁどっちでもいいや!いくぞマクア!出力は控えめ数は多め!」
『うるさい!声に出さずとも分かっておるわ!全く…………まさか本当に炎が弱点だとはな…。』
遊の思考を読める悪魔は、煩く繰り返された注文に悪態をつく。炎が弱点と言う思考は読み取っていたが、マトモな説明もなく、また、マトモな思考を許さぬ状況下で確証を得るには至らなかった。しかし、こうまで白地な反応をされてしまえば納得せざるを得ない。
少々混乱しながらも、遊の注文通りのスローサーを刃の周りへ大量生産する。
「狙うは上空!経路は最短!いけ、スローサー!」
遊が叫ぶと、七本のスローサーがクシエルへ向かって放たれる。クシエルのいる場所は上空。逃げ場はいくらでもあるが、スローサーの軌道も同じ。そして、何よりも着目すべきはその速度。クシエルが羽を広げ、移動しようと目論んだ時にはもう遅い。
恐怖に引きつったクシエルの表情を最後に、その姿は炎と爆塵に包まれた。
耳障りな轟音を立て、炎の蛇が空で踊る。一本一本の威力は下がっていようとも、倍以上の数を放てばそれはほぼ同じ。しかし、それはエネルギーの話であり、与えたダメージとしては少ないだろう。何故なら、衝撃によって爆発するのならば、初弾のスローサーの爆発によって、他のスローサーも連鎖的に爆発を起こしたからだ。
ゼロ距離で与える筈の衝撃が距離をもつだけで、それは大幅な威力減となる。そもそもの爆発が小さければ尚更だ。
空気中の酸素を食い尽くした炎は、役目を終えたとばかりに消沈する。残るは空に浮かぶ黒煙と砂塵。空に浮かぶと言うことは、クシエルがそこにいる事を示し、遊の予定通り致死には至ってない事になる。
「さて、どれだけ与えられたんだかな。これでノーダメージだったら流石に泣くぞ…。」
『あの慌てようから見てそれは無いだろう。』
「だったら良いんだけど、なぁ…。」
一つ、遊には一つ懸念があった。クシエルの本性を見たからこそ、ここまで闘ったからこそ生まれ出る疑問。
クシエルは話せない。恐らくではあるが、十中八九だ。だったら、"遊を呼んだ電話は誰がした"のか。
天召された者は、天召者から五十メートル以上離れられない。ならば、自由に動き回るクシエルは、"誰に天召された"のか。
この二点の疑問が、遊の一つの懸念へ繋がる。
風が吹いた。それは黒煙と砂塵を引き剥がし、彼方へと旅立たせる。全てが晴れたそこには、気絶したクシエルと、それを脇に抱えるもう一使の天使が姿を現す。
「素晴らしい炎だ。悪魔でもこんな良いものが生み出せるのだな……正直驚いたぞ。」
その声は電話で聞いた声と同じ、厳格さを備えた女性であった。
髪は短く、几帳面な程綺麗に切り揃えられており、瞳は猫の様に鋭く、威圧感を抑えようともしない。それは、クシエルのように衝動的な、野性的な威圧感ではなく、静寂を持った、侮蔑的な威圧感。自身の立場が絶対不変であると、遊や悪魔は蔑むべき対象であると、そんな意図が伝わってくる様だ。
その天使には、今まで見てきた天使と明らかに違った点がある。それは、六枚の羽を持っている事。通常天使には羽が二枚しかない。しかし、天使全集などの文献によると、ごく僅かではあるが、二枚より多く羽を持つ天使がいたとされる。それだけでも、相対している天使が普通ではない事が分かった。
遊は動かない。相手の力が未知数である上に、今の状況だけで、勝てないことは理解したからである。
脇に抱えられているクシエルには、よく見ると負傷箇所が存在しない。これは、新しく現れた天使が何らかの方法で守ったのだろう。そして、当の天使も無傷。スローサーとは言わば必殺技。これが効かぬとなれば、ダメージを与える方法はもう無い。
加えて、ここに遊の懸念が入る。誰が電話したのか、誰がクシエルを天召したのか、その疑問は目の前の天使が当てはまるだろう。そもそも天召のルールは、国によって人間が勝手に作ったものであり、それは天使に適用されない。ならば、更にその天使を天召したのは誰か、と言う問題になる。今はクシエルが戦闘不能で一対一。しかしその実、一対一では納まらない可能性は十二分にあるのだ。故に遊は動かない。全体に眼を凝らし、他の姿を探していた。
「ほぅ……今の状況をもって、私ではなく全体に眼を凝らすとは、なかなか頭がキレるな人間。」
「……そりゃどうも。で、そのご褒美に教えてもらったりとか出来ます?」
「無理だな。」
「ですよね…。」
ダメージを与える手立てが無い今ですら絶望的なのに、そこに加えて伏兵が潜んでいる可能性が残っている。天使の反応から、まだ一使以上いるのは確定だろう。
こうなってはどうしようもない。万事休す……と、諦めかけていた遊に、天使は思いがけない言葉を発した。
「この勝負は預けておこう。」
「………………は?」
「これ以上グラウンドや道具を破壊されては、流石の私たちも言い訳が苦しい。運が良かったな。では、去らばだ。」
「ま、待てよ!栞は……人質は無事なんだろうな!?」
「あぁ、誘拐した人間は教室にいる。勝手に連れていけ。」
そう言い残し、その天使はクシエルを抱えたまま飛び去った。すると、二使の天使とその内の一使に抱えられる形で人間が、何処からともなく飛び上がり、追従して去っていった。
やはり伏兵はいたのだ。九死に一生を得た遊は、天使の姿が見えなくなった途端、その場に尻餅をついた。緊張の糸が解れ、力が抜けてしまったのだ。
「た、助かった……何だったんだよあの天使は…。マクアは見たことあるか?」
『…………………………。』
「マクア?」
『………………ウリエル。奴の名はウリエル……熾天使の一使だ。』
「ふ~ん、ウリエルって言ったら、天使全集のかなり有名どこだな。で、その熾天使だっけ?それってスゴいのか?」
『天使の九階級の内、最上位を指す名称だ。奴等の手にかかれば、貴様など一瞬で灰にすることが出来る。…………くそっ!何故熾天使が人間界に来ているのだ…!』
悪魔の声は、僅かだが震えている。クシエル相手でも警戒はすれど、恐怖を抱いていなかった悪魔が、ここまでの反応を見せるとは、それだけでウリエルの危険性は遊に伝わった。
遊は一度喉をならすと、この場で掘り下げるのは止め、栞を迎えに行くべく立ち上がる。場所によるが、教室からはグラウンドを一望する事が可能だ。もし見られていた場合、今回の戦闘をどう説明するか、それが直面する課題となるだろう。
「あ~……とりあえず栞を迎えに行くか。」
『待て人間。その前に、槍に溜め込まれてる熱を放出したいのだが、良い場所はないか?』
「ん?そのまま解くことは出来ないのか?」
『そうすると溜まった分の熱が暴発して、最悪ここら一帯が火の海になる………まぁ問題ないか。』
「よーし分かった絶対しないでくれ!」
折角見逃してもらえたのにも拘わらず、そんな事をしてしまえば、大義名分を得たとばかりにまた襲われるだろう。そうなってしまえば目も当てられない。
遊は奇跡的に出た最善案の場所へ、急いで移動することにした。
縦二十五メートル、横十メートル程の水張り場。1から7までの数字でコースが分けられており、屋内か屋外か、どの学校にもほぼ常設されている施設──プール。
六月はまだプール開きがされていない為、張られている水は緑に濁り不快感を醸し出しているが、そんなものは大事の前の小事。それに、遊にとっては自分が入るわけでもないので尚更どうでもいい。
『人間……まさかこんな汚れた水に浸けよう等と思って無い──』
「あ、そーれ。」
ボチャン。悪魔の言葉を最後まで聞くことなく、遊は遠慮なしに槍をプールの中へ投げ込んだ。途端、グツグツとプール内の水が煮えたぎり、槍の付近にあった苔等は、一瞬の内に焼失してしまう。まるで、今の悪魔の内心を表しているが如く。
大変な水蒸気が立ち上ぼり、霧の中にいるのではと錯覚する程だ。暫くすると、ビチャ、ビチャと水を叩く音が遊の耳に入った。悪魔が元の姿に戻ったのだろう。しかし、立ち上った水蒸気が音の反射を鈍らせ、音源が何処からきているのか探しきれない。
ビチャ、ビチャ、ビチャ、ビチャ……確かに近づいている音。前からか、後ろからか、右からか、左からか、一定のリズムをもって届く音は、妙に恐怖心を与える。今すぐ逃げ出したいが、方向が分からない為、その場にしゃがみ息を殺して待つしかできなかった。
「人間~……よくも、やってくれたな~…。」
怨嗟の声が静かに響く。それは確かに前方から聞こえた。遊は前方に視線を向けたまま、ゆっくり、ゆっくりと後ずさる。一歩、二歩、三歩……すると壁際に到着したのか、遊の背中に何かがあたった。出口を確認する為、一度ぶつかった壁とおぼしき物へ視線を向ける。そこには──
「見つけ……たぁ!」
「うわあああぁぁぁああ!!!?」
ヘドロの滴る恐怖の悪魔。遊は堪らず年甲斐もなく絶叫した。
その後は悪魔に散々と絞られ、栞の捜索に向かうのは、それから約十分後の事だった。
「栞!無事か!?」
「…………っ!」
真っ先に向かった場所は遊のクラスの教室。その窓際、グラウンドが一望出来る位置にある椅子に、栞は縛られ動けないでいた。眼にいっぱいの涙を溜め、流れた道筋が鮮明に見てとれる程に、赤く腫れぼったい。猿轡はされていなかったが、遊を見た栞は声も出ないと言った様子だ。遊は急いで拘束を解く。
栞は拘束を完全にほどききる前に、椅子を巻き込みながら、足をもつれさせながら、遊に抱きついた。それほどまでに怖かったのだろう。
遊は一瞬驚いたものの、心中を察して優しく頭を撫でる。
「わ~ん!遊く~ん!」
「ごめんな、怖い思いをさせて。でも、無事で良──」
「無事で良かったよ~!遊くんが生きてて良かったよ~!」
「……!」
流石に言葉が出なかった。栞は恐ろしかったから泣いているのだ、怖かったから泣いているのだ、しかし、それは自らを二番として。一番は遊の身を案じることだった。誘拐とは、最悪自身が殺されるかもしれない。そんな恐怖の中、それでも遊を心配し、無事に涙を流す。栞の優しさを改めて知らされた。
栞が泣き止むまでの二十分。遊はされるがままに胸を貸し、栞の頭を優しく撫で続けた。
いくら今回の件が終わったとて、流石に栞を家に返すわけにはいかなかった。また何処かで危険に晒されるかもしれない。その時遊が傍にいられるかと言ったら、やはり無理だろう。天使もわざわざいる間を狙いはしない。苦肉の策として、GWの間は、栞を遊の家に匿うことにした。
栞の両親へは詳しい事情を説明しないまま、「GW中は栞を家に泊めます。」と一言。すると、二つ返事で許可が下りた。こればかりは遊の信頼度の賜物だろう。
志神家に着いたら、汗や涙や鼻水やらでベタベタな体を洗い流すべく、真っ先に栞を風呂場へ入れた。出た後は夕飯を食べていないと言ったので、冷蔵庫にあった残り物を振る舞う。その間他愛ない話で盛り上がった。
栞の拘束されていた場所から察するに、遊とクシエルの闘いは見られていただろう。しかし、栞がそこに触れることは無かった。いつものように、いつかのように、変わらぬ関係を望んで。
どれだけ話していたのだろうか。ふと時計に眼をやると、時刻は午前一時を回っていた。栞の眼がしょぼしょぼしてきたのも確認すると、布団の準備をするべく遊は立ち上がる。
「…………っと、そろそろ良い時間だな。」
「うん……僕もなんだか眠いよ…。」
「布団の準備をするから、もう少し我慢してくれよ。」
「良いよぉ、僕ソファーで寝るから。」
「お前……前もそう言って、途中で俺の布団に潜り込んできただろ…。」
「え~…じゃあ一緒にここで寝よぅ……ふぁ…。」
どうやら睡魔が限界で、マトモな思考力が残っていないようだ。こうも無遠慮に欠伸をされると、遊までそれが移ってしまう。何故だか布団の準備も億劫になり、栞の提案通り、栞とは向かいの応接椅子に深々と座る。
途端、急激な睡魔が遊を襲う。つい数時間前までは、死ぬかもしれない立場にお互いが置かれていたのだ。精神的、遊に至っては肉体的負担も半端ではない。
(栞に……どう説明するかな…。それに、マクアに聞きたいことも山ほどある。あぁくそ、ダメだ……眠い……………。)
睡魔に抗うことは叶わず、二分と経たずに遊も意識を完全に落とした。




