7
王が危ない。
ここは蘇生魔法が存在している世界なわけだが、ときに殺されかたによっては本当に死んでしまって二度と生き返らない場合もある。
条件が色々とあるみたいなのだが、とにかく死ぬときは死ぬので気を付けないといけない。
特に、イベント系で殺されるのはゲーム的にヤバい。
例えば、本来のストーリーでは俺に予定されていた、ラスボス化なんかは絶対に復活不可能な案件といえる。
同じく勇者が駆けつけた目前でナルスの手で劇的に殺害されてしまうアルデシア国王も、言葉通りの帰らぬ人となる運命にある。
だが実際問題として、王が死んだとして哀しむ者はいたとしても、困る者はほとんどいない。
同じくらいボンクラな息子(30代)が後を継いで即位するだけのことではある。
国家運営は、俺が辞職しない限りは安泰だ。
しかし、王女の誘拐に引き続いて、魔族たちの思い通りに事が運び続けてしまうというのは、やはり何となく嫌だなーと思うわけである。
なるべくなら阻止したい。
俺は、王宮内の警備を厳重にし、国内の身辺を厚く護るよう指示を出した。
近衛兵と一般兵はフル稼働で、予備役の者も可能な限り動員して3交代シフトを敷き四六時中を穴のない体制で護れるようにした。
自分自身も有事には動けるよう備え、いつも以上に王の様子を気づかうようにする。
拐われてしまった王女については、拘束されているだろうし可哀想ではあるものの、すぐに殺されたりはしないはずなので、しばらくは心配ない。
魔王復活のために『鍵』として、聖女である彼女の体が必要なので、それまでは生かしておくとみて間違いないからだ。
魔族たちが長年のあいだ望んで止まない魔王復活の儀式が行えるまでには1年と3ヶ月ほどの期間を要する。
この世界の空で満ち欠けを繰り返す、ふたつの月が、満ちながらも重なる日、それも蒼の月の前に朱の月が被り、神聖な蒼の月のちからが地上に失われる『朱の夜』まで待たなければならない。
双月蝕と呼ばれている現象だ。
これは4年に1度の周期でやってくる。
どこかの世界のスポーツの祭典と同じだな。
このあたりの世界観設定は、たぶん元からあったのかもしれないが、ゲームでは出てこなかったはずだ。
プレイ画面は延々と俯瞰なので、月がふたつあるかを確かめる手段すらなかった。
たぶん盛り込みたくても容量が足りなかったんだろう。
昔の、8メガだか、16メガだかのROMカードリッジ媒体では割愛するしかなかったんだな。
それはともかく、双月蝕の日を迎えるまでは、王女の命に危険はないのである。
だから俺にできることとすると、まずは王の身辺をしっかり護ること。
そして、俺に代わって魔王の手先になった裏切り者は誰なのかを突き止めることだ。
「見てください、ナルス様」
兵士が食器棚をそっと横に押すと、滑らかに棚がスライドしていく。
レールだか滑車だかが仕込んであるのか、重いはずの大きな棚がひとりのちからで動かせている。
それでも多少の震動は抑えきれないために、棚のなかで幾重にも重ねられた陶器の皿が揺れて音を立てる。
落ちてきたら華麗に受け止めてやろうと、待ち構えてみたが、その必要はなかった。
押しきれるところまで兵士が棚をずらした、その裏側の壁には、人が楽に入れる大きさの通路の入り口が開いていた。
「こんなところに隠し通路があったんです」
「ああ、そう──か」
「あんまり驚かないんですね?」
すっかり忘れていたのだが、そういえばゲームでもこんな隠し要素があった。
ナルス的には台所なんて寄り付かない場だったので、思い出すタイミングもなかったのだ。
ゲームを遊んでいる立場のときは、こういった複雑なかたちをした城を隅々まで動き回ってみると、思わないところに宝箱が隠してあったりして探索するのが楽しかった記憶がある。
「最近、誰かがこの棚を動かして通路を通ったらしい跡があったんです。まあ、それで発見できたんですが」
「なるほど。知られていなかった隠し通路を使った何者かがいた。つまり王女誘拐はこの通路を利用された可能性が高いというわけだな」
「そうですね……」
誘拐事件当時、王宮の警備状況からいって一体どんな方法で王女を拉致できたのかが謎として残っていた。
あらゆる出入口には衛兵が詰めていたし、空から飛んでくる敵についても俺の部屋に魔族の女が侵入してきた事件以来、魔法を使った監視装置のようなものが昼夜を問わず作動している。
しかも事件は白昼堂々と実行されたのだ。
誰もがこの謎に首を傾げて考え込んではいたのだが、しかし、こんな抜け穴を見落としていたのだから、わからなかったはずだ。
この王宮の台所は基本ワンオペでまわしているので、出来あがった食べ物を運び出しているときなどで無人になる機会は多いらしい。
つまり誰にも気づかれずにこの通路を使うこともできるということだ。
「ここから外までいけるのか?」
「ええ、まあ。行ってみましょうか」
「そうだな」
兵士が先に隠し通路に入っていくと、俺は後に続く。
薄暗い通路以上に、俺の気分は暗くならざるを得ない。
誘拐犯がこれを知っていたのだとすると、そいつはかなり王宮の構造に詳しいことになる。
やはり裏切り者は、俺も知っている人間。
身近にいる者だということになるのか。
「ここから階段になってますから気を付けてください」
「わかった」
階段は意外にも登り階段だった。
てっきり、隠し通路といえば秘密の地下道につながっているイメージだが。
どうにも、ゲームでも知っていると思っていたはずの、アルデシア城の構造をよくは覚えていないことを痛感させられる。
「ここから外に出ます。下に落ちないようにしてくださいね」
階段を登りきると、城の外壁の外側に出た。
壁に沿うように、人がひとりギリギリ通れる幅の足場が続いている。
一歩でも横に踏み出せば内堀のあたりの地面に落下してしまう。
ゲームでは何とも思わなかったが、実際に歩かされるとなかなかデンジャラスな感じだ。
まともに強めの風も吹いている。
ここは2階の高さだが、いわゆる日本家屋と違い、1階部分の天井が無駄に高い王宮の城での2階なのである。ようするに高い。
とはいってもゲーム的には高所からの飛び降りは無傷だった気がする。
試しに飛んでみようとは思わないが。
「しかし、こんなところを通ったなら城下町から丸見えじゃないか」
「確かにそうですね」
俺は、眼下のすぐ下のところで町娘がこっちを見上げていたので、手を振ってみた。
すると笑顔で手を振りかえしてくれた。
素朴で可愛い子だ。
「ここを王女が通ったなら、町で騒ぎにならなかったのか?」
「うん、どうでしょうか。普通に遊んでいると思ったかもしれないですよ。あの方は昔から高いところが大好きな子でしたから」
おてんば姫かよ。
そう言われてみれば、たしかに王女にはそういう天真爛漫というのか、ある意味では野性的な一面があるのだった。
町の人間が城壁にへばりついている王女を目撃しても「またお城の元気なお姫様が、何かやってらっしゃいますねえ」という程度の印象なのかもしれない。
「王女の誘拐については町民には伏せてあるんだったな」
「そうですよ」
「なら、壁にいた王女を目撃した者が、ことの重要性に気がつかずに報告がなされていない可能性がある。王女と連れ立って壁に登っている『誰か』がいた、とかな」
「なるほど、あとで聞き込みをいたしましょう」
壁沿いに進むと、あらためて城内への入り口があり、そこを奥に進んでいくと、今度は地下に降りていく螺旋階段があり、下りきってさらに進めば、石壁に挟まれた長い通路に続いていた。
かなりの距離を歩き、先に進みきったそこは、城下町を囲む外壁からも外にある、人気のない祠に繋がっていた。
誘拐犯も、ここまで連れてくることに成功したなら、後は何者にも邪魔させずに王女を連れ去ることができただろう。
すぐ近くに残された轍の跡は、この場に馬車を停めて、ここから街道方面へ向けて折り返し戻っていったことを物語っている。
誘拐事件から雨天がなかったことを思うと、この痕跡はまさに誘拐犯が残したものではないかと決めつけてしまいたくなる。
「さびしい場所ですね。アルデシア城のすぐ近くに、こんな誰も知らないような祠があるなんて……」
兵士が言うように、祠は長い間にわたって人の手が入っていなかったのだろう。
石造りの古びた建物は寂れ、全体を蔦が被っている。
まるで時間の流れから外されて、過去に置き去りにされたかのようでもある。
「おや?」
俺は、土に刻まれた轍の跡を観察するうちに、そこから少し離れた草地のなかに何か光る小さな物体を見つけた。
歩み寄り、それを拾う。
「それは────指輪ですか?」
後ろから歩み寄り、兵士が訊く。
蒼い石の指輪。
聖なる月と同じ輝きをたたえた、聖女である彼女が持つに相応しい指輪。
何故これが、こんなところに?
俺は、指輪を持つ指先が震えるのを見て、自分が動揺していることを理解した。
ゆっくりと息を吐くことで、落ち着きを取り戻すよう努めた。
「……これは王女のものだ」
平静を保った冷静な声が、自分の口から出たことに、変な話だが自分で安心してしまった。
これがここに見つかる理由を考える。
彼女はおそらく、これをわざと落としたのではないだろうか。
偶然とは思えないし、ここには何かの争いのあったような痕跡もない。
自分を探す者たちが、ここを通ったことがわかるようにする目印としての目的で。
賊が、馬車を出す準備に気を奪われているあいだに、そっと指輪を放った。
そんな気がする。
「どうして、わかるんですか。それが、王女様のものだと?」
兵士は、俺が確信を持っていることに怪訝そうな顔をする。
たしかに蒼い石を使った指輪は、この世界の人間にとってはありふれたものではある。
「わかるさ──」
指輪の内側に印されたメッセージが、すべてを物語っている。
不思議なことに、なぜだか、王女が俺に助けを求めている気がした。
勇者にではなく、俺にである。
そうでなければ、どうして彼女はこれを選んだのか。
そして他ならぬ俺が、これを拾ったこと自体が聖女のちからによる導きであるかにも思えた。
『ナルスより、聖なる護りと、偽りなきまごころを。この世にただひとり愛するひとへ』
刻み込まれた文言を、かつて疑いもせず純粋な心のままに届けることのできた言葉を、俺は黙読する。
石の蒼い輝きが、今は泣いているように見えた。
「──これはかつて私が彼女に贈った品だからな」