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俺と勇者は、お互いに一歩も引かない戦いを繰り広げた。
兵士たちはレベルの違う戦闘に割り込むことも叶わず、ただ周りを囲んで行方をうかがっている。
全員が剣なり槍なりを構えているわけではあるが、今は使い時がない。
ゲームでの数値的な性能差を鑑みれば、勇者の剣に対して兵士たちの武器でやり合おうとするのは、竹槍で機関銃に立ち向かうようなものだ。
エイブラ◯ス戦車だかメル◯バ戦車に対してT型◯ォードで向かっていくとか、駆逐艦に対してアヒルさんボートでぶつかっていくとかでも表現はアリだろう。
とにかく勝負にならないのだ。
魔族の女も遠巻きに、不敵に笑いながら様子を見ている。
本来は敵であったふたりが潰し合うのだから、さぞかし気分よく高みの見物を楽しんでいるのだろう。
国王は釣竿を抱えて、あたふたしているだけだ。
金の釣竿で加勢に入られても俺のほうが困ってしまうが。
「ナルス! 俺の邪魔はさせない!」
勇者の攻撃を、俺は集中力を維持しながら避け続ける。
見えるぞ。俺には敵の動きが見える!
まともに斬られては無事では済むはずもない。
勇者は強い。
だが、今の彼は『ゆうしゃのつるぎ』の真のポテンシャルを発揮しきれていないようでもある。
剣を装備することでもれなくついてくるはずの聖属性の追加攻撃力の効果を失っているようなのだ。
もしも剣のちからを最大限に引き出せる状態で戦っていたのであれば、ここまで拮抗した勝負にならなかっただろう。
闇堕ちした勇者では、聖なるちからの加護は得られないのだ。
それどころか、剣のほうが彼に振るわれること自体を嫌っているのか、戦いのなかで俺のレイピアと重なりあう度に、まるで鳴いているかのように軋んだ金属音を上げるのだった。
「勇者、もうやめるんだ!」
勇者が暗黒面に籍を入れてから日は浅いはずだ。
まだ今ならギリギリ引き返せる気がする。
なんとかこれ以上、悪の道に深入りさせないようにする手はないものか。
俺の言葉が届くとは到底思えない。
誰か、勇者の故郷の村からお母さんを連れてきてくれないだろうか。
意外と母の言葉なら効くかもしれない。
立てこもり事件の犯人とかに警察が使ってみたりする手段だ。
「ずっと目障りだったんだよ!」
「なんだと?」
「このロリコンくされナルシスト野郎が!」
「なにっ!」
「××××が××で××××なんだよ!」
勇者ともあろう者が、あまりにも不健全で聞くに耐えない罵詈雑言をまくし立てる。
ただの悪口だとは思っても、さすがに少し俺の心は傷ついた。
どうやら彼はもう引き返せない。
俺はそれをようやく理解した。
「勇者!」
「ナルス!」
ふたりの男の、怒りと意地が交錯する。
俺は、迷いを振りきった攻撃を一閃させた。
レイピアが、勇者の右肩を貫く。
「うがあっ!」
勢い余って、刀身の中程までが彼の肉体に刺し込まれた。
武器を敵に刺したままにするわけにもいかず、俺はレイピアを引き抜く。
その動作をしたために、勇者によって力なく振り上げられた剣の一撃を、完全には避けきれなかった。
トレードマークの片眼鏡が弾かれて宙を舞う。
深くはないが顔を斬られた。
「くっ、この!」
傷つけられた左目から強烈な激痛が走り、俺を襲う。
不覚にもレイピアを取り落としてしまった。
勇者も同時に剣を落とすのが、俺が左目の視覚で最後に捉えた物事となった。
視界の半分を赤い鮮血が塗り潰していく。
「うぉ……め、目がっ! 目がぁー!」
赤は次第に黒へと彩りを失う。
俺は、痛みに悶絶した。
残された右目の視界に、勇者を見る。
あっちもダメージを受けてはいるが、戦意を失ってはいない。
憎悪の炎が燃える目で、俺を睨む。
いけない。
俺は、落としたレイピアを拾うために地面に左手を伸ばす。
右目で見える範囲に武器を探すよりも早く、幸いなことに都合よくグリップに触れることができたので俺はレイピアを掴み取り上げた。
片目でも、なんとか戦えるといいが。
立体感覚がない。これでは距離感が得られない。
「馬鹿な!」
勇者の顔が驚愕に歪む。
何にそんなに驚くことがあるのかと俺は怪訝に思う。
だが少しの間のあと、左目の痛みのせいで気づくのが遅れた違和感の正体を知る。
俺が手にしていたのは勇者の剣だった。
レイピアにしては、何だか重いとは思ったが。
「どうしてそれを……」
勇者は肩の負傷よりも、俺が剣を手にしたことに精神的なダメージを受けているようだ。
「おおっ、『ゆうしゃのつるぎ』は撰ばれし者である勇者にしか装備できないはず!」
「資格がないものには重すぎて持ち上げることすらままならないはずではないのか?」
「そんな剣を、どうしてナルス様が!」
誰かが説明的なセリフを口走るのが聞こえた。
俺は、手にした剣を見る。
先程まではなかった蒼白い光が剣のまわりを覆っている。
聖属性の加護が宿っているのがわかる。
暖かな光だ。
俺は、左目の痛みが少し和らぐのを感じた。
不思議な感覚で剣は手に馴染んでくるが、この剣は片手でも両手でも扱えるバスタードソードのサイズをした刀剣だ。
俺が普段から使い馴らしている細身の剣とはあまりに違う。
上手く使いこなせるだろうか。
「ん……?」
そんな俺の不安を、剣は感じ取ったのだろうか。
剣を包む光が増したかと思うと、それは俺の愛剣の姿に近い大きさにへと形状を変化させた。
さすがは伝説の装備だ。便利にできている。
「どうやらここで始末しておくべき男のようね!」
魔族の女が、うなだれている勇者に代わって俺に向かってくる。
黒い羽を広げ地下墓地の天井近くまで舞い上がりながらも襲ってきた。
片目が見えないでいる俺の死角を利用するように、左側から鎌の切っ先が降り下ろされる。
「くっ! 避けきれないか!」
「死んじまいな!」
俺は無念の思いで身構える。
「ナルス様、危ないっ!」
ひとりの兵士が俺の前に躍り出た。
無惨にも、その体を鎌が完全に貫く。
「ぐ……ぐふっ!」
「なんだって! まさか、ナルスのために身を投げ出すなんて!」
魔族の女が、信じられないといった声を上げる。
「ご無事ですか……ナルス様……」
「ああ……助かったよ」
「じゃあ、また……なるべく早く生き返らせてくださいね!」
俺の目の前で、ひとりの兵士が息絶える。
彼は、普段の任務のせいで慣れてしまっているのだ。
仲間を庇って死ぬことに。
「ジョン!」
俺は、兵士の名を叫ぶ。
返事はない。
「ちいっ! 邪魔が入ったけど今度こそ!」
「ナルス様、逃げて!」
再び俺を狙った魔族の女の一撃を、また他の兵士が身代わりとなって受ける。
「ピエール!」
俺はまた兵士の名を叫んだ。
ピエールは鎌に斬られて、えげつなく即死してしまった。
いけない。そんな劇的で格好良いような、イベント的な死にかたをしていては。
俺は、兵士たちの身を危ぶんだ。
彼らはいつもの習慣でコロコロ殺られても、どうせすぐ生き返るさ的なノリでやっているのだ。
うまくしたら来月から給与が上がるかもしれないくらいの気分で。
「やめろ……そんな死にかたをしていては、死んでしまうぞ!」
自分でも意味不明な発言とは理解しつつも叫ばずにはいられない。
それでも兵士たちは次々と敵の前に立っては血祭りに上げられていく。
「オットー!」
「ぐはっ」
「エドガー!」
「げふ」
「ごめん、今の人は顔見えなかった! 誰! 誰?」
「……」
絶えず立ち塞がる兵士たちに、魔族の女の顔に苛立ちと怖れが垣間見えた。
「ナルスに、こんな人望があったなんて……まさか!」
このままではいけない。
俺は、順番待ちで後ろのほうにいた兵士を呼び止める。
「なんすか?」
「私のレイピアを国王にお渡しするんだ」
「はあ。でもなんで?」
「王は、ちゃんとした武器さえ持たせれば、わりかし強いのだ」
兵士は釈然としない様子だったが、言われた通りに床に転がっていた俺のレイピアを回収すると、王のもとにそれを届ける。
王は「えー」とは言いながらも、兵士に嫌々といった感じで釣竿を預けるとレイピアを手にした。
「国王! せめて、あんただけでも!」
そんなタイミングで、魔族の女が標的を変えて国王を襲う。
間一髪だったかもしれない。
武装した瞬間から、王は達人の身のこなしを始める。
見るからに危険な死神風の鎌にも冷静に対処した。
「うわあ。危ない女だなー」
「な、なに?」
国王はレイピアで鎌を受け止めると、その力を巧みに受け流して魔族の女を転倒させる。
兵士たちから、王に失礼なくらいの仰天の声が上がった。
「きゃう!?」
「ふむ。白か、意外だな」
国王の視点からは下着が見えたらしい。
たしかに魔族なのに白は意外だ。ギャップ萌え狙いか。
前から思っていたがあざとい。
恐ろしい敵だ。心を奪われないよう硬く意思を持たなければ。
「このぉ! ふざけないでよ!」
「ほほほほー」
逆上した魔族の女が、鎌による攻撃のラッシュを国王に浴びせるが、かすりもしない。
ほとんど王に遊ばれているといった様子だ。
こうして見ると、ゲーム本編でナルスに殺害されたのは、よほどに油断しきっていたんだろうことが察せられる。
「強い? ナルスといい、こいつといい、何なのよこの国は!」
国王は、釣りにハマるもうずっと前に、武芸にハマっていた時期があったのである。
あの人は一度ハマるとすごいのだ。
釣りにしてもすでにベテラン漁師の域に達しているが、剣の腕も一流で自分で流派を興せるくらいのレベルだ。
今ではともかく、昔はまったく歯が立たなかった記憶がある。
当時は鍛練に嫌ほど付き合わされたものだった。
そして心配したほどには腕前も錆びてはいないようだ。
「くっ!」
魔族の女は、後ろに羽ばたいて王から間合いをあける。
王が、攻撃を始める前に逃げたのは正しい。
そのとき、この聖域に新たにやってきた者たちがいた。
「勇者!」
マリーたち、勇者の仲間だ。
石化を解いてもらったようだ。
「これまでみたいね! 勇者、退くわよ!」
魔族の女は、右肩を抑える勇者のもとに寄ると魔導具とみられる赤い宝珠のついたワンドを掲げた。
ふたりの足元に、禍々しく輝きを放つ魔方陣が出現する。
「転移魔法で逃げる気だ!」
兵士の誰かが叫ぶ。
「逃がしませんわ!」
マリーが、俺の横を通って魔方陣に駆け込もうとするのを、俺はマリーの腕を握り止めさせた。
「何をなさるの?」
サファイアブルーの瞳が俺をキリッと睨む。
「やめておきなさい。発動した魔法は止められない。飛び込めば後を追うことはできるかもしれないが、そこはおそらく魔族の巣窟だ」
「だからといって……」
俺も、このまま勇者を取り逃がしたくはなかった。
魔王にあいつの肉体を与えるのは、あまりに世界にとって危険だ。
魔法のカーテンに包まれたなかで、魔族の女と勇者の姿が消えていく。
俺と勇者は、見えなくなるまでのあいだ睨み合っていた。
その後、兵士たちは全員が蘇生魔法によって復活できた。
暗殺を企てられた国王も含め、結果として命を奪われる者はなかったのである。
しかし安堵こそすれど、状況は満足するには程遠い。
世界は勇者という希望を失ってしまったのだから。




