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「なに?」
俺は驚いて声をあげた。
ギリギリのところで受け流した勇者の剣が、俺のレイピアの鍔を擦る。
摩擦で火花が散った。
王女が、聖女にのみ与えられている魔王封印の能力を行使するとき、自らの生命を技のエネルギーとして消費してしまうために自身を犠牲にしてしまうという話は知らないわけではない。
正確には、ナルスとしては知らない事案だが、前世のゲームプレイヤーとしての知識としてはある。
驚いたのは、むしろ勇者の口からその話が出てきたことにだった。
その件については、ゲームでも最後の、もうほんとに最後のほうで出てきた話だ。
この世界では、ストーリーはまだ中盤あたりのはずなのだが。
終盤のドタバタした展開のなかで、いざ魔王を封印する段階になったほとんど終わりに近い場面になって、やっとラスボスから「それやっちゃったら死んじゃうよ? ほんとにやるの?」とか指摘されるのが初出だったはずだ。
止めようとする勇者をよそに、王女は封印を実行し、その場で死んでしまう。
でも大丈夫!
勇者が王女の亡骸を抱き上げての涙ポロリからの、何かの光がピカーンから、奇跡がドーンで、死んだはずの王女はコロッと生き返るのである。
さすがは勇者だ。愛の奇跡だ。
王女は、聖女としては一度死に、普通の女の子として生まれ変わるのだ。
引退したアイドルみたいなものだろうか。違うか。
そのあとは、よかった生き返ったラッキーと思っていたら、ラストダンジョンが崩壊を始めて「く、崩れるぞ! みんな逃げろぉ!」に繋がっていくのだった。
ちょっと懐かしいエンディングのパターンではある。
走ってるうちに足下に裂け目ができてピョーンとか跳ぶやつだ。
最後のひとりが危なく落ちかけるけど、仲間が手を掴んで引き上げるから大丈夫だったりする。
その場面で、引き上げるキャラと、引き上げてもらうキャラが、普段仲が悪かったりすると、なんかちょっといいシーンになる。
普通はこの手の流れでどうにかなってしまうキャラはいない。
みんな無事に生還して、よかったよかっためでたしめでたしになるまでが定番だ。
この世界の勇者だと、まともに逃げ遅れて崩壊に巻き込まれて死んじゃったりしそうなのが怖いが。
そんな感じで確かに王女は死んでしまうけど結果からすれば問題ない感じなのだ。
とはいえ、実際に死ぬ運命なのは本当のことなので、その部分だけをクローズアップしたり、そこしか知らない場合は深刻に思えるのも事実ではある。
勇者は、王女がこのままではただ息絶えてしまうという認識なのだろう。
愛する人の運命をそう思っているだけに、悲壮感がすごい。
「何でもすべてがお見通しのつもりで、人を見下しているくせに、大事なことは何も知らないんだな!」
驚いたリアクションをしたせいで、勇者は俺がこの件については初耳なんだと誤解したようだ。
だがなんとなく、訂正しようという気にもならない。
思いたいように思っておけばいい。
「彼女の哀しみを知らずによくも! 自分が死ぬ運命にあると知って……それでも彼女は明るく振る舞っていたんだぞ!」
王女はいつ頃から、自分の運命を知っていたのだろうか。
ゲームでも、あらかじめ予感していたようだった。
覚悟を決めていたから、瀕死のラスボスに脅されても迷うことなく使命を果たそうとしたのだ。
俺が知っているラストまである知識の上では、結果オーライだったからあまり重要なこととして覚えていなくて、このことは問題視していなかった。
だが考えてみれば王女本人がそれを自覚していたのだとすると、とてつもない重い宿命を背負って生きていたんだということになる。
昔から突き抜けて明るい子だった。
あれは長くはない人生を、せめて生きている間だけは楽しもうという思いのためだというのか。
「婚約破棄を言い出したのも、この世にいなくなる彼女が、ナルスのことをずっと縛り続けるのは彼に悪いからだと……そんな気持ちで言い出したんだぞ!」
勇者は、渾身のちからと怒りを込めた一撃を俺に弾かれると、背後に大きく跳躍して間合いをとった。
息を切らせながら、怪訝な顔をする。
「──驚かないのか?」
勇者は、婚約破棄の裏にあった王女の本音を聞かされれば、俺が驚くと考えていたらしい。
たぶん、ここはビックリしておくシーンだったかもしれない。
しかし、俺自身でも不思議な感情が芽生えていた。
すっ、と心のどこかでわだかまっていた疑問が氷解し、雪解け水が大地に浸透するかのように溶け込んでいったのだ。
ナルスにとって王女は、元婚約者であったこと以上に、兄であり父でもあるかのように接してきた子でもあった。
実父に父親らしい要素が欠片も持ち合わせがなかっただけに、王女にとってナルスはある意味、父親の代わりそのものとも言えた。
思春期を迎えるにつれて、男には理解しかねる女心のようなものを発揮し始めてはいたものの、まだナルスにとって王女のことは手に取るように考えていることがわかるような子供だった。
そう思っていたのだ。
だからあの婚約破棄を告げる手紙は、一方的な手紙を他人の手に託すという手段も含めてナルスにとってはショッキングな出来事だった。
ついつい前世を思い出してしまったりするくらいにだ。
どうしてだか、まるでわからなかった。
しかし王女が自分の運命を、もうすぐ失われる命だと考えていたとするなら、あの手紙を出した行動もナルスの知る王女のイメージに一致させられる。
俺の中のナルスには、あのときの王女の迷いと焦りが手に取るようにわかる気がした。
勇者は、婚約破棄は彼女がナルスのためを思った結果であり、優しすぎるひとりの少女が自己犠牲の精神で持ち出した悲劇的な答えなのだと思っているようだ。
たぶん、あの手紙の文面までは知らないのだろう。
手紙の言葉のすべてが偽りだったはずはない。
王女が勇者を好きになっていく過程にあったのも真実のひとつだ。
勇者には王女のことを、おトイレにも行かないようなアイドルのように神聖視している傾向がある。
まるで女神様の如くに美化し崇拝しているようなところがあるが、あの子は王女様であったり聖女様であったりはするが女神様ではない。
もっと複雑で人間的な、お年頃の女の子なのだ。
彼女が婚約破棄を思い立ったのは、ナルスのためでもあるが、自分のためでもあり、勇者のためでもあったはずだ。
たぶん潜在的な本音では、もっとナルスに真剣に求婚して欲しかったのではないか。
勇者に惹かれる自分の想いを引き戻して二度と離さないほどに。
ナルスが政治に関わり始めた頃、なんとかして気を引こうとして仕事に忙しかったナルスに、あの手この手の悪戯を仕掛けてきた王女の幼き日が甦る。
根っこの部分はまだあの頃と変わらないのだ。
同時に、運命に真剣に向き合うときには、勇者が言うように婚約という鎖でナルスを縛り続けてはいけないという気持ちもあったのだろう。
国王が言ったように、あれは若さゆえの迷いだったのだ。
勇者と俺のあいだで揺れ動く気持ちを、あえて極端な手段をとることで、何かを決めるきっかけにしようとした。
俺にはそう思える。
まさかそれがナルスを俺という転生キャラに覚醒させるトリガーになるなんてことは、さすがの聖女の勘でも予想不可能だったのだろう。
そうして俺は、ラスボスになる破滅の運命に恐れおののいて、王女から離れていった。
俺は、我が身可愛さと、あの手紙の身勝手さを理由に、あの子の気持ちに向き合うことを拒否してしまっていた。
考えてみれば、自分がなさけなく思える。
だが一方で、総合的な判断としてはナルスが身を引くのが、やはりベターな選択だったという確信もある。
それはやはりゲームを知るがゆえのことだ。
だが状況は変わった。
俺は、レイピアを構えなおす。
反撃の姿勢に。
「勇者よ、それで君はあの子をどうするつもりだ? 聖女としての役目を果たさせないつもりか」
「当たり前だ! 誰にも彼女を殺させはしない! 彼女が生きられないなら、聖女も、勇者も、そんな運命などいらない! 例え世界がどうなろうと知ったことか! 俺は彼女だけは守ると決めたんだ!」
「そうしてくれと、あの子は君に言ったのか?」
「言わないさ、俺がそう決めたんだよ!」
「ならばそれはエゴだよ!」
やはり今の勇者に王女を任せるわけにはいかない。
今度はこちらの番だ。
敏捷性なら俺に分がある。
俺は、レイピアを華麗に操り、勇者に攻勢を仕掛ける。
まさに蝶のように舞い、蜂のように刺す。そんな攻撃を、連続して放つ。
勇者の剣は一撃必殺のダメージがある。
だが、一連の攻撃を受けきったことで彼の剣筋が持つクセはもう見抜いている。
目の前の男を、ラスボスにさせてはいけない。
「ここで仕留める!」
「負けるかよ! こいつにだけは、負けられないんだ!」
「勇者ァ!!」
「うおおぉ! ナルス!!」




