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緑羅と水都

 水都は羅の国に来てから数日で、以前からいた武将達とすっかり馴染んでいた。

 同門の剣闘士だったからか、剛流とは仲が良いようで、よく二人で稽古している姿を見かける。

 水都は、誰からの申し出でも断らず、剣の相手をしているようだが、剛流以外は一瞬で勝負がついてしまう。それでも、「ここはこうした方が良い」等の助言はしているようだと、緑羅は勝からそんな話を聞いた。


 そんな報告を聞かなくても、緑羅は水都の動向をよく見ていた。特に意味があるわけでは無かったが、何となく水都を目で追ってしまう。武将達が集っていると、その中から水都を探してしまう。

 緑羅の視界の中で、水都は時折ふわりとした微笑みを見せる。剛流との戦いの最中に見せた微笑みとはまた別の、穏やかな微笑みに緑羅は目を奪われる。そして、その輪の中に自分がいないことを残念に思ってしまう。

「そんなに気になるなら、話しかけてみたらどうだ」

 そう、勝に言われるまでもなく、何度か武将達の輪の中に入っていったが、その度に水都は、せっかくの微笑みを元の無表情に戻す。

 嫌われているのか

 何故かそう思うことに、嫌な感情が伴う。

 緑羅は、自分が武将達を死地へ追いやる存在であることを自覚している。それは、当然好かれるはずのない存在。だからこそ、嫌われることを恐れている訳ではないはずだ。

 ただ、水都だけは。

 何故かそう割り切ることができない。

「確かに愛想は悪いが、あれは単に人見知りなだけだと思う。剛流がいない場で表情を変えたのを見たことが無い。それより緑羅、何をそんなに気にしている?」

 何を気にしているのか、自分にもよくわからない。緑羅はその問いに首を振った。

 そうだ。気にするほどのことでもない。

 緑羅は立ち上がると勝を置いて部屋を出、真っ直ぐ武将たちの詰所に向かう。が、そこに水都の姿はない。居場所を問うと

黒駒くろこまのところじゃないか」

 と、答えが返ってきた。

 黒駒とは水都が伊の国から連れて来た馬の名。

 それはそれは立派な体躯をした、ひどく気難しい黒い馬。緑羅が一人で見に行った時にはその存在を完全に無視し、不用意に近づくことすら出来ない雰囲気を漂わせていた。そんな黒駒を唯一扱えるという水都。

 水都がどのように黒駒を扱うのか興味もあった。


 厩へ向かった緑羅は水都の姿を認め立ち止まる。

 黒駒はまるで幼い馬のように水都に頬を摺り寄せている。

 水都は満面の笑みで、そんな黒駒を撫でていた。

 満面の笑み。微笑みを見るだけでも相当珍しいのに。

 その笑顔は美しく、見ている緑羅の鼓動が跳ねる。遠くから見ていても、水都と黒駒は仲睦まじく、緑羅はその場から動くことができなかった。水都は、黒駒の手入れを手早く済ませると、鞍を載せハミを咬ませてひらりと跨がった。黒駒は、嫌がることもなく水都の言うことを聞く。水都は黒駒に何かしら語りかけながら歩かせ、また走らせた。

 それは相当長い時間であったはずだが、緑羅はただ黙って、その様子を見ていた。水都が初めて浮かべた表情に驚き、黒駒が駆けている姿があまりに美しく……。

「緑羅」

 声をかけてくるまで、勝が近づいて来たことにすら気付かなかった。

「そんなに気になるか」

 何度目かの同じ質問。

「ああ。気になるな」

 緑羅は素直に認める。

「一目惚れ…ってのはこんな感じなんだろうな」

 相手は男で、いつか、そう遠くないうちに、戦場を駆けることを命じなくてはならない。そう、わかっていても。

 勝はやや複雑な表情を浮かべる。

「その趣味はないし、力づくでどうこうする気もない。大丈夫だ」

 緑羅は悪戯っぽく笑う。勝はそれにつられたかのように笑い。

「これから、嫁を迎えるってことを忘れなければそれでいい」

「……忘れていたかったな。それは」

 緑羅と勝は笑いながら、その場から去った。


「緑羅、義の国が動く」

 厩から帰る道すがら、勝は厳しい声でそう告げる。

「ああ、またか」

 また戦か。

 伊の国との戦からそれ程時は過ぎていない。だが、農閑期となるこれからの季節はある意味、戦の季節でもある。義の国は羅の南方に位置し、羅よりも早く農閑期を迎える。覚悟はしていたが。

「間諜からの報告か」

 緑羅は勝に確認する。勝は頷く。

 攻めこまれる前に攻めることは可能か。南方の義を落とせば、南に憂いはなくなる。東北に位置する伊の国と戦になることはしばらく無いはずだ。

「南の城に移動しておくか。こういう時、国が狭いと便利だな」

 緑羅は自嘲気味に笑う。これでも広くなった方だし、何より、そもそもは国ですらなかった。とはいえ。

「狭いと言っても、全員を移動させるには十日はかかる。先に剣闘士達を向かわせるか」

 勝はやはり低い声で言う。

 農地を持たない彼等は身軽で、急な戦への対応が早い。金はかかるが、この身軽さが羅を滅亡から救った。

「上手くいけば三日で南の城に着くだろう。それに彼等なら、そう簡単に侵攻を許さないはずだ」

 身軽かつ強い。それに元剣闘士達は意外な程忠実だ。厳しい戦でも文句を言わず、死力を尽くして戦う。緑羅も勝もそのことをよく知っている。

「そうだな。冬雅に後発隊を任せて、俺も先に行こう」

 勝はふっと笑う。

「水都と行きたいのだろう。俺も別にここに残る必要はないし。今晩の出発でいいか」

「そうだな」

 緑羅は頷いた。


 その夜、緑羅は数十人の元剣闘士と共に南の城に向かう。当然、その中には水都の姿もある。

 昼間に黒駒へ向けた笑顔が幻であったかと思うほど表情無く、ひたすらに黒駒を走らせていた。

 時折、馬を休ませつつも予定より早く南の城に到着する。兵糧を現地で調達するにも、この人数ならそれほど手間もかからない。


「冬雅殿の到着を待つんですか」

 城に到着して数日、義が動いた。

 目前に義の兵が迫ったその日、こう勝に問うたのは、意外すぎる人物だった。

「水都」

 表情は変わらず、やっと聞き取れるような低く、小さい声ではあったが……初めて会ったとき以来の声は、緑羅に話し掛けたものではないにしても、鼓動を跳ねさせた。

「ああ。そのつもりだが」

 勝は水都にそう答える。水都はその答えにやや顔をしかめたが。

「わかりました」

 一言、そう言うとその場から去った。

 勝は水都を目で追いながら、ふと何かを思い出したように立ち上がった。

「冬雅を止められるか」

「いや、もう無理だろう」

 その時、まるで図ったかのように冬雅の声が響く。

「緑羅様、只今到着いたしました」

 思いの外、早い到着だ。労いの言葉より早く、勝が言う。

「明日早朝、すぐに仕掛けられるか」

 勝が珍しく焦っているようだった。これだけ早く到着したのだから、それなりの疲れもあるだろう。早朝の仕掛けはどう考えても無謀だ。冬雅も苛立ちを隠さず、首を振った。

「どうした勝」

 勝は一つ嘆息すると首を振る。

「思い過ごしならいいんだが」


 翌日、水都が顔をしかめた理由と勝が焦った理由が目の前にあった。


「囲まれた……な」

 義の動きは驚くほど早かった。

 朝を迎えた時には、城は幾重にも囲まれ身動きがとれる状態になかった。

 冬雅の到着を待たずに攻めていれば、この状況に置かれず済んだかもしれない。冬雅が到着し、城の人数が増えたことがかえって危機的な状況を招いていた。


 水都の不安はこれだったのだろう。

 この手のことには、誰にも負けないであろう勝よりも早く、こうなることに気がついていたのであれば、やはり只者ではない。

「せっかく、良い将を手に入れたところだったんたけどな」

 緑羅は大きく息を吐きながら言った。

「そうだな。義がここまでやれるとは、正直予想外だが」

「ま、攻めて来る気はないらしいが」

 城が攻めづらい造りになっていることもあるだろうが、わざわざ攻めて来なくても、このまま待っていれば程無く兵糧は尽き降伏せざるを得なくなる。

 敵の狙いがそこにあることくらい、緑羅にだってわかっていた。

「俺の首程度で許してくれれば良いんだけどな」

 首に手を当てながら緑羅は言う。

「俺も付き合うよ。ま、そうならないように考えるさ」

 意外なほど呑気な緑羅の様子に、勝は薄く微笑みながら答え、ひらひらと手を振りながら居室を出ていった。


「義とは大きな国なんですか」

 居室を出てすぐ、勝は声をかけられた。

「いや、羅とそれほど変わらないが…」

 声の主は水都。

 相変わらず表情は読めないが、焦っている様子もない。

 勝の答えに、人指し指の爪を唇にあてる。

 羅の国への道すがら何度か見せた姿。多分水都の癖なんだろう。

「急に声をかけてすみませんでした。失礼します」

 穏やかに一礼すると、水都は勝の前から去った。惚れ惚れするほどの美しい所作。

 だが、そこに「何かを企んでいる」ことが見え隠れしていることに勝は気付いた。

「この状況下でどうするつもりだ」


 城の小部屋。

 数人の将が水都の帰りを待っていた。

「ちょっと出掛けてくる」

 その辺に散歩に行くような気軽さで、水都は城の外へ出ていった。

 この状況での外出。剛流はさすがに止めたが

「大丈夫、裏から出るから」

 と気軽に言われてしまうと、本当に大丈夫な気がしてしまい、それを許してしまった。

「剛流の信用できる人を4、5人集めておいて。あと、冬雅殿も」

 言われた通りに人を集めておいたが。

 剣闘士上がりの中に、冬雅を呼ぶのは気が引けたが、意外なほど素直にそれに従ってくれた。

 誰も一言も発しない重たい沈黙の中。

「ただいまー」

 本当に散歩から帰ってきたかのように水都は入ってきた。

「その格好…」

 剛流は見慣れていたが、他の者は初めて見るはずだ。

「ここに来る前に女官に借りた。この状況ではこの方が安全だろう」

 水都の女装は息を呑むほど美しい。

「ある意味危ないと思うんだが…」

 年若い和佐かずさの言葉に水都はふっと笑う。

「敵のど真ん中を通る訳じゃないし、数人に囲まれるくらいならどうってこともない。この格好だと相手は確実に油断するしね」

「囲まれたのか」

 水都の言葉に反応したのは冬雅だ。

「いいえ」

 それに答えて首を振る。

 多分、見つかってもいない。剛流は思う。

 水都に会ってから五年は経つ。出会う前の生活環境が影響してか、こういうことにかけては水都は天才だった。

「で、これを見て」

 水都は地図を広げる。

「義の国王はここにいる。近いだろう。すでに勝った気でいるから、案外手薄だ。ここを叩く」

 簡単に言ってのける。

 剣闘士上がりでさえも表情が曇るのだから、冬雅は尚更だ。

「無謀だ。ここに行くまでに囲まれる」

「だからこそ、少人数で行く。城のここら辺を固めているのは素人だ。ここを抜ける」

 それを聞いてもまだ何かを言いたげな冬雅に、剣闘士上がりでは一番年長である弾馬(はずま)は冷たく言う。

「ここに籠っていても程無くやられるだけだ」

「ま、確かにその通りだが。冬雅だって心配してるんだ。そこまで冷たく言ってやるなよ」

 その場にはいないはずの者の声が聞こえる。

 一斉に戸口を見ると、そこには勝が立っていた。

 水都が溜息を吐く。

「大丈夫だ、止めはしないよ。確かに城の正面は手練れだが、そこら辺は素人だな。この人数をかき集めたんだから仕方ないと言えば仕方ないんだろうが…」

 水都は何かを言いたげに勝を見る。

「どうした」

「なんとなく統一感がないんです。後ろは借り物のような気がします」

 勝が促すと、水都は人指し指の爪を唇にあてながら答える。

「借り物…」

「とりあえず、義の国王さえ討ってしまえばあとは瓦解するとは思うんですが。なんとなく嫌な感じがしたものですから、一応報告しておきます」

 勝は水都の「借り物」という言葉に引っ掛かりを感じていた。借りるとしたらどこから借りる?

「わかった。で、いつ決行するんだ」

「新月を待ちたいんですが、そこまでは保たないから。三日後の雨の日に」

 今度は勝が何かを言いたげだったが、何も言わなかった。

 水都が「三日後に雨が降る」と言うのなら降るんだろう。何故かそう思えたから。

 それにしても。女物の服を身に纏っている水都の美しいこと。

「緑羅には見せられない姿だな」

 勝が思わず洩らした一言に水都は不思議そうな顔をしていた。


 城の中は意外なほど平穏だった。

 外さえ見なければ、戦の最中、かなり危機的な状況であることさえも忘れてしまいそうなほどだ。

 とは言え。

 忘れる訳にもいかず、緑羅は時機を計っていた。

 自分が出ていく……自分の命を終える時機。

 あまり広くない城の中。

 緑羅は水都を目で追う。

 最近は水都の側にいる者が増えた。

 剛流の他にも、弾馬、和佐、秋斗あきと弘武ひろむ。腕に覚えのある奴等が常に水都の側にいる。その中で水都はよく寝ていた。

 屈強な男達の中で、ともすれば影に隠れて見えなくなるほどの小柄な身体。互角に渡り合うのは体力的に厳しいのか、それとも?

「特にやることが無いからだろう」

 水都の体調を心配し勝に確かめたところ、あっさりとこう答えられた。

 自分の命が惜しんでいる場合ではない。

 どうにかなる状況でもない。

 ただ、もう少し。水都を見ていたかった。

「俺はいったい何を考えているのか……」

 ここ二日間は憎々しいほどの晴天だったが、今日は朝からどんよりと雲が垂れ込めていた。


「日が落ちる頃には本降りになりそうだな」

 剛流は壁にもたれて微睡んでいる水都に言った。

 水都はゆっくりと目を開けて頷く。そして、また目を閉じる。

 水都のいつも通りの様子に見える。

 腕に覚えのある者でも、直接国王を狙うことに内心ひどく緊張しているはずだ。そんな中、水都のこの様子は周りの者達を安心させている。

 だが、水都は皆が思う以上に緊張しているはずだ。

 水都は緊張すると深い眠りに就けない。微かな物音で目を覚ます程度の浅い眠りを繰り返すようになる。だからこそ、常に微睡んでいる。

 あの、小部屋での話し合いの後。

 あの場にいた者は常に水都の側にいる。そして、水都が動くのを待っていた。

 日が傾くにつれ、雨脚が強くなっていく。

 勝が微睡んでいる水都の側で一言「整った」と呟いたのを合図に水都は目を開け、大きく伸びをした。

「行こうか」

 その言葉を聞いて、剛流を含む五人が静かに立ち上がり、小部屋に向かう。

 勝が整えた装備がここにあった。

「俺は本当に行かなくていいのか」

 勝と共に後から入ってきた冬雅は心配そうに聞く。

「冬雅殿はここにいて下さい」

 水都は答える。

「一つ聞いていいか」

 勝が低い声で。

「ここに来て日の浅いお前が、何故そんな危険なことをする羅に思い入れがあるとは考えづらいが……」

 水都は微かなに笑みながら答える。

「こんな所で死にたくないからです」


 ちょっと目を離した隙に水都が消えた。

 水都を取り巻くあの五人も見えない。

 緑羅はなんとなく嫌な感じを覚え外を見やると、黒い服に身を包んだ男が六人、城の外に出ていくのが見えた。

「水都」

 先頭を行くのは水都だ。

 ひどい雨の中視界は良くないが、あの小柄な身体はそれ以外に考えられない。

「水都」

 緑羅の声に気付いたのか一度こちらを見たが、次の瞬間駆け出していた。

「待て何をするつもりだ」

 逃げたのか?

 状況として考えられなくもないが、でも、そうじゃない。あの六人は同じ装備を身に着け同じ方向に走って行った。だとしたら。

「義の国王を討ちに行った」

 振り向くと勝が立っていた。

「なんだと」

 あの人数で、あの装備で。馬に乗ることもなく。

「無謀だ。勝、何故止めなかった」

 思わず勝の胸ぐらを掴む。

「あれに任せる以上のいい知恵が浮かばなかった。少なくとも、お前が出ていくよりはましなはずだ、緑羅!」

 そう言われても緑羅は納得出来ない。自分でも驚く程に動揺していた。

「どうした?緑羅。今は水都に、あいつらに任せるしかない。お前が落ち着かなければ兵士たちが動揺する。しっかりしろ」

 勝が怒鳴る。

 そう、わかっている。

 勝から手を離す。

 今はあいつらを信じるしかない。普段ならもっと落ち着いていられるはずだ。

 わかっている。

 水都だ。あそこに水都がいるからだ。

 崩れるように座り込み考える。

「義の国王は……ここから近いのか」

 声が震える。ここまで来ると自分でも滑稽だ。

「近いと……言っていたが」

 俺が早くに腹を括れば、水都を危険に晒さずに済んだんだ。

 あいつは俺の配下の武将だ。

 俺の命令で命を懸けて戦場を駈ける。そういう男のはずだ。

 ……だから。

 俺の考えはおかしい。理性では理解出来ている。だが、感情は全くそれに付いていかない。

「ここまで惚れたていたのか」

 確かめるように緑羅は呟いた。そう、初めて水都に会ったあの時に。

 緑羅は大きく息を吐く。

「明日まで待つ。帰ってこなければ俺が出ていく」

 勝にそう言うと緑羅は居室に戻った。


「戦わずして勝つとは、こんなにも愉快なものなのだな」

 義の国王は高らかに笑う。

「さぁ、一杯どうだ」

 酒を勧められた男は手でそれを断り、そのまま人指し指の爪を唇にあてた。「大人しすぎる」と、その男は考えていた。

 手が無いから大人しいのか、別に手を考えていて大人しいのか……。どちらにしても事が終わるまで油断しないことだ。

 と、何度となく義の国王に注進したはずだが、目の前のこの男には聞こえていなかったらしい。

 確かに。この程度の男なら敵に回しても然程のことはない。味方にするにはこのくらいの男の方が色々便利だ。

 そして、この程度の男にやられるのなら羅の国とやらも大したことはない。

 男は立ち上がる。

「どこに行く?」

「自陣に戻ります。酒は程々にしておいた方がよろしいかと」

 その言葉に義の国王はもう一度高らかに笑う。

「獅子将ともあろう者が案外小心なのだな。この状況で羅に負けるとでも」

 男は振り向かず手を振って出て行った。

 ひどい雨の中。

 獅子将と呼ばれた男は白馬に跨がり、数歩進めたところで一度馬を止め振り返る。

「なるほどな……」

 ぎりぎりまで抑え込まれた殺気。

 それに気付いたその男は、一度人指し指の爪を唇にあてたが、すぐに馬を走らせその場を離れた。


 朝が来た。

 勝は城の外の変化に気づいた。

「人が減っている」

 水都が言った「後ろは借り物」という言葉が正しいのだとしたら。上手くいったのか?

 緑羅が居室から出てくる。その様子から一睡もしてないのは明らかだ。

「勝、昨日は悪かった」

 緑羅が水都に惚れ込んでいるのはわかっていた。ここまで動揺するのは予想外ではあったが。

「いや」

 緑羅は一つ大きく息を吐く。

「聞いていいか勝」

 返事をする代わりに緑羅に顔を向ける。

「これを考えたのは水都なんだろう。ここに来て日が浅い奴が何故……」

「こんな所で死にたくないから、だそうだ」

 その言葉を聞き緑羅は黙る。緑羅が出て行っても城に残された人間が無事であるとは限らない。

「大丈夫だ、上手くやったようだ。程無く帰ってくるよ」

 今度は緑羅が勝を見る。

「城の外の人間が明らかに減っている。水都曰く、義の単独行動ではないらしい。減っているってことは組んでいる相手が手を引いたってことだ。上手くやったんだろう」

「そうか」

 答えて、緑羅は思う。

 そう、奴は武将だ。

 何度となく自分に言い聞かせたはずだ。どんなに想おうとそれに応えてくれる存在ではない。

 この想いを、いつか振り切ることができるだろうか。


 城の中がざわめき始めた。

「帰ってきたな」

 思いの外早い帰りだ。

 冬雅に連れられ六人は緑羅の前に現れる。

 雨の中駆けていたせいか、それとも返り血のせいか。水都を包む黒い装束がひどく重たげに見えた。

 剛流は冬雅に包みを渡す。冬雅はそれを改め言う。

「義の国王に間違いない」

 その場にいた者達は歓喜の声をあげた。

 だが、緑羅は。

 重たげな黒い装束に身を包み、相変わらず大した表情を浮かべない水都をやや苛立った気持ちで見つめていた。

「緑羅」

 勝が言葉を促す。この者達を褒めてやらねば今後の士気にかかわる。はっとした緑羅は水都以外の五人の顔を見る。

「よくやった。お前達のお陰で大した被害も無かった。後で褒美を取らせよう」

 笑顔を貼り付け言う。その言葉に水都を除く五人はほっとしたような表情を見せた。

 だが、水都だけは緑羅の言葉に反応を見せない。ひどく疲れている様子だ。

「水都」

 思わず名を呼ぶ。

 水都はゆっくりと顔を上げる。

「はい」

「大丈夫か?」

 水都はゆっくりと頷く。その様子を見ていた剛流が言う。

「少し疲れているから。自分と水都はこれで」

 そのまま、水都を促しこの場を去った。

 緑羅は二人をしばらく目で追っていたが、はたと気がつき言う。

「お前達も下がっていい。そのままだと風邪をひいてしまう。しばらくはここにいるから、ゆっくり休め」

 そう、水都も濡れていた。

 秋も終わりに近づいたこの時期、多分冷えきっていたのだろう。顔色も悪かった。

 それに気付いた剛流が水都を気遣い退室したのだ。

 俺はそんなことにも気づきもしなかった。

 自分の感情を剥き出しにし、呆れるほど動揺し、義の国王を討ったことより自分をここまで心配させたことに若干の怒りを感じている。

 緑羅は自嘲を含んだ笑みを浮かべる。

 結局、あいつにとって俺は「死に誘う存在」。どんなに望んでも手に入る者ではないのだ。

「緑羅、寝てないんだろうお前も横になった方が良い」

 勝が心配そうに言う。

「あぁ。そうさせてもらうよ」


 目が覚めたのは、日が落ちた後だった。

 義の国王の首を城の外に晒したことで、幾重にも囲っていた義の国の兵士達は我先にと逃げて行った。

 数日ぶりの平穏。緑羅は居室を出て外を眺める。昨日あれだけ降っていた雨はすっかり上がり、月明かりが射す。その視界の先に小さな影が揺れた。

「!」

 水都だ。

 緑羅は思わずその場所へ向かった。


 水都はただ月を眺めていた。

 表情は乏しいが、いつもよりは柔らかい雰囲気が漂っていた。

「水都」

 思い切って声をかけると、水都は驚いたように振り向いた。

 しばらく緑羅を見つめ固まったように動かない。

「体調は大丈夫か?」

 そんな水都の様子を気にしない素振りで話しかける。

 水都は頷きながら、やっと聞き取れるような低く小さい声で答える。

「はい……」

「なら、いい」

 緑羅は水都の横に座る。

 そんな緑羅に水都は、何かを言いかけて黙るという仕種を何度か繰り返した。

「あの……」

「うん?」

 人指し指の爪を唇にあてながら。やっと話し出す。

「すみませんでした。あれは私が言い出したことなので……他の者は……」

 途切れ途切れに言葉を繋ぐ。

「私のわがままに付き合ってくれただけなので。叱るのなら私だけで……」

 ああ。苛立ちに気づいていたのか。

 緑羅は思わず笑う。水都は困ったような表情を浮かべる。

「大丈夫だ、怒ってはいない。ただ、次に何かをするのなら俺にも相談しろ。それだけだ」

 水都は一瞬驚き、その後ふわりと微笑んだ。

 その表情に緑羅は戸惑った。初めて自分に向けられた笑顔。「望んでも手に入らない」とわかってはいても、その鼓動を抑えることは出来ない。

「良かった……」

 緑羅は水都から顔を背ける。このまま見つめていては何を言い出すか、自分でもわからない。

 水都はそんな緑羅の想いに気づくはずもなく、穏やかな表情で月を見上げていた。

「月を見ていたのか」

 ただ、黙っているのも惜しい気がした。

「はい……落ち着くので……」

 水都は膝を抱えて月を見上げていたが、しばらく経つとそのまま微睡み始めた。

「ここでは風邪をひく。部屋に戻れ」

 そう言わなければならないことはわかっていたが。もう少し、この時を過ごしていたかった。

 そのうち水都は静かな寝息をたて始めた。

「水都」

 緑羅が声をかけても目覚める気配がない。

 緑羅の想いなど水都には想像すら出来ないのだろう。無防備な寝顔に緑羅は溜息を吐く。

 触れたい衝動に駈られたが、触れるだけで抑えられる自信もない。どうしたものかと考えていたところで不意に声をかけられた。

「寝たのか?」

 剛流だった。

「ああ」

 何かを見透かされているような気がした。そんなはずはないのに。

「ここ数日、ろくに寝てないから」

 そう言いながら剛流は水都を抱き上げる。

 その言葉に、あの微睡みの意味を察する。

「では」

 剛流は短く言うと、そのまま水都を連れて城へ帰っていった。緑羅は自分の中に嫌な感覚が湧くのを感じていた。

 その感覚の名は「嫉妬」

 緑羅はその場に寝転び呟く。

「参ったな…」


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