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アストろじっく!聖徳太子篇  作者: 遠野紗雪
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推古十一年(六〇三年)

「厩戸皇子、待ってくださいよーー」

「遅いぞ、河勝。お前、それでも私の第一の従者か」

「そんなこと言ったって、私は皇子の分の荷物まで持って馬にのせているんですから。手加減して下さいよ」

 この日、厩戸皇子とその側近秦河勝らは、都を離れて地方を巡察していた。

「冠位十二階の制度も完成したことですし、もっとゆっくり休まれてはいかがですか」

「あの制度は改革の始まりに過ぎない。私にはまだすべきことがたくさんある」

 厩戸の皇子はそう言って快活に笑った。表情は決意に満ちている。視線は上向きで、目は爛々と輝いている。若さ特有の無鉄砲さを感じないではなかったが、年齢にそぐわない落ち着きと、好戦的な態度とが、それを覆って余りあるようであった。

「見ろ、河勝」

 厩戸皇子の視線の先には、大きな屋敷があった。

「こんな田舎に。珍しい。少し寄ってみよう」


 その屋敷の壁は白く、まわりには草が植えられてあった。下人や下女らしき者たちが忙しそうに働いてもいた。鄙びた土地にしては珍しく、活気がある。厩戸皇子はおや、と思った。

「屋敷の主にお会いしたいのだが」

 下女の一人に声をかける。

「取り次ぎますので、少しお待ちいただけますか」

 下女は疑うことなくそう言い、一礼して屋敷内に入っていった。厩戸皇子一行の服装などを見て、これは偉い人たちだ、と判断したのであろう。教育が行き届いている、と厩戸皇子は感心した。

 しばらくして、髭を蓄えた老人が厩戸皇子らの前に現れた。

「私はこの村の長老、小野若人と申します。して、あなた方は……?」

「こちらの御方は大王の摂政、厩戸皇子さまである」

 秦河勝が厳かに言い放つ。

「厩戸皇子さま! お噂はかねがね……。ここではなんですから、どうぞ屋敷の中へ」

 小野若人は背を丸めて屋敷の中へと入っていく。厩戸皇子一行もそれに続いた。

「中も整っているな」

 厩戸皇子がそっと柱に手を伸ばす。

「屋敷の建材は、すべて木か? それにしてはいやにきれいだな」

 そのとき、背後の入り口付近で男の声がした。

「室内の木材には、すべて塗料をぬってある。やすりをかけたうえで、な」

「イモコ!」

 小野若人が声を上げる。

「こちらの御方は厩戸皇子さま御一行だ。失礼な口は慎みなさい」

「わかっているさ。だが都の偉い御方がなんだというんだ」

「イモコ……」

 小野若人はおろおろするばかりである。 

「イモコ、と言ったな」

 厩戸皇子が男を見る。

「屋敷の内部と同じように、外壁に色を付けないのはなぜだ。何か理由があるのか?」

「外壁にまで趣向を凝らすと、金持ちの屋敷だと勘違いした輩が金を奪いに来る。それだけのことだ」

「そうか……。そこまで計算されているのだな」

 厩戸皇子は、今度は小野若人の方を向いてこう言った。

「このあたりは、塗料の原料の産地かなにかなのか」

「近くに桑の木がたくさん生い茂っております。桑の木は、古来より布などを染める染料として使われています。それをイモコが、やすりをかけた後の木材にもよく染まると、そう言って……」

「桑の木はいい。生薬にもなるし、実を食べることも出来る。この村の大きな財産だ」

 イモコが自慢げに鼻をさする。

「ほう」

 厩戸皇子はしたり顔だ。何か考えがあるように見受けられる。

「イモコ、客人のもてなしを頼む」

「どうして俺が」

「奥を取り仕切るアカメが今日はいないのだ。だから、な?」

「わかったよ」

 イモコはそっぽを向くと、奥どころらしき場所へと去って行った。

「今の男は?」

 秦河勝が聞く。

「二十年程前、村に住む夫婦が置いていった捨て子です。屋敷の前に捨てられていたため、私が引き取りました。何事にも秀でた男で、今では下人たちを取り仕切る家長のようになっています」

「イモコというのは、珍しい名だな」

 厩戸皇子が呟く。

「あの男の両親は、禁忌を犯しました。禁忌を犯した夫婦の子で忌む子。また、イモリの子をもじって、イモコ、と。幼少の頃につけられた、蔑称ですな」

「禁忌。それはどのような?」

「……」

 秦河勝が尋ねたが、小野若人は沈黙した。

「その蔑称を今も使い続けているわけか。変わった男だな」

 柱にもたれかかって座っていた厩戸皇子が、ひとりごちる。

そのとき、厠に行っていた厩戸皇子の従者の一人が、叫び声を上げた。

「なんだこれは!」

 厩戸皇子たちが声を上げた主の方へと向かう。そこにはイモコと、厩戸皇子の従者伴暁が血相を変えて立っていた。

「皇子、この者は私たちを殺そうとしました」

「なに!?」

 秦河勝が気色ばむ。

「猛毒であるトリカブトを笊の中に隠し持っていたのです! それが何よりの証拠です」

 そう言いながら、伴暁はイモコの持っていた笊を指差した。

「まったく、あほらしい」

 イモコはやれやれ、と言った様子で取り合わない。

「確かにこれはトリカブトだ。だがな、毒として使うつもりなどない。トリカブトは強心作用、鎮痛作用のある薬草として知られているんだ。トリカブトの塊根を滅毒加工したもの、これを『附子』と呼んで、元気のない者、心の臓の弱っている者などに煎じて飲ませる。するとたちまちその者は健康を回復させる」

「お前は薬師か?」

 伴暁が聞く。頬は紅潮していた。

「違う」

「薬師でもない者がそんな危険な薬草を出そうとするとは、けしからん!」

「この村に薬師はいない。俺は隣村の薬師に弟子入りして、生薬について学んだ。俺が薬について学んだことで、この村では死ぬ人間が減った。俺が正式な薬師でないことが問題ならば、それは薬師をこの村に派遣しない中央の役人の怠慢いうものだ。違うか」

「むむ」

 伴暁は何も言い返せないでいた。顔は真っ赤だ。

 そのとき、大声で笑い出したものがいた。他でもない、厩戸皇子である。

「もうよせ暁。そなたの負けだ」

「皇子……」

「イモコと言ったな。そなたの言うことはもっともだ。人数不足で正式な薬師が地方に派遣できないのも、そのためにそなたのような薬師の真似事をしなければならない者が存在するのも、すべては役人のせいだ」

 厩戸皇子は一呼吸おいてこう続ける。

「だがな、イモコとやら。私たちはそれを是正するために、この国をもっと良くするために、日夜働いているのだ。お遊びに見えるこの地方巡察も、その一環だ。暁の無礼は私が詫びよう」 

 そう言って厩戸皇子は軽く一礼をした。

「俺は別に、そういうつもりで言ったんじゃ……」

 皇子に頭を下げられ、イモコは狼狽した。

 厩戸皇子は頭を上げると、イモコの目を見てふっと笑った。優しいまなざしだった。

それにばつが悪くなったのか、イモコはそっぽを向いて歩きだした。

「まったく。俺はただ一行の中に顔色の悪い者がいたから、それが気になって附子入りの粥を出そうとしただけだってのに。なんでこんな大事に……」

 と呟きながら。


 その夜、小野若人は宴を開いた。宴は大いに盛り上がり、秦河勝などは裸踊りをしてみんなを笑わせた。

 その宴のさなか、厩戸皇子は外気を吸いたくなり、外へ出た。

 するとそこには先客がいた。イモコだ。

「厩戸皇子さま……」

「さま? そなたらしくないな」

 厩戸皇子が笑う。

「いえ、今回のことで自分がいかに狭い世界で生きていたかが身にしみました。あなたさまは、部下の失態は自分の責任と考え、またそれを実行に移せる人でもあるのですね。人の上に立つ者としての器量を、見せつけられたような気もしています」

「桑の木は、この村の財産。そなたは昼間そう言ったな」

「? はい」

「この村の大きな財産はお前だと、私は思うよ」

「な、何を仰いますか」

「捨て子として育ちながら家政を取り仕切るまでに成長し、村の長老からも頼りにされている。建築に詳しく、薬の知識もある。見ず知らずの役人の体調を気遣う優しさまで持っている。これを宝と言わずして、なんと言おう」

「滅相もございません!」

 イモコは顔を真っ赤にして首を横に振る。

「イモコよ。中央に来る気はないか」

「中央。大和に、ということでございますか」

「そうだ。そなたの力を中央で役立ててほしい」

「私は庶民です」

「先ごろ私は冠位十二階の制度を整えた。これは身分にとらわれず、実力のあるものをどんどん取り立てよう、という制度だ。お主なら、大丈夫だ」

「私がいなくなったらこの村は……」

「有能なものをこの地に派遣しよう」

「答えは今でなくともよい。考えておいてくれ」

 厩戸皇子はそう言って宴の席に戻った。

 翌日、一行は村を後にした。


 半年後、役人の登用試験があった。

 首席で合格した者は、摂政に謁見できるというしきたりがある。

 摂政厩戸皇子の執務室を訪れた若者は、なんとあのイモコであった。

「イモコ!」

「お久しぶりでございます。厩戸皇子さま」

 イモコは深々とお辞儀をする。

「今は小野妹子、と名乗っております。漢字は妹に子、と書きます。村の長老の養子にしていただきました」

「そうか、そうか」

 厩戸皇子が満足げに頷く。

「しかし、またイモコ、か。どうせならもっと良い名をつければよいのに」

「これは戒めのためです。お前は所詮は一介の庶民であり、もとは捨て子だということを忘れないための」

「そうか……」

 厩戸皇子の表情が少し曇る。

「皇子さまの執務を邪魔するわけにはいきませんので、このあたりで失礼いたします。それでは」

 小野妹子は一礼して去っていった。


   推古十五年(六百七年)

「とうとうこの日がやって来たな」

 執務室で、厩戸皇子が語りかける。

「長かったですね」

 小野妹子が答える。小野妹子は順調に昇進し、高官となっていた。

「ああ、本当に長かった。摂政に就任した頃には、こうして遣隋使を派遣することが出来ようとは、思いもよらなかった。まして、その遣隋使にそなたを選ぶことになろうとは、な」

 この年、厩戸皇子は大陸において漢民族が新たに興した国、隋に学びたいと考え、遣隋使を派遣する。その遣隋使に選ばれたのが他でもない、小野妹子であった。

「しかし、なぜ今なのです? 準備はもっと以前から整っていたはずですが」

「今、隋は高句麗と戦争状態にある。いわば外敵を抱えている状態だな。そういうときに、無暗に敵は増やしたくはないであろう」

 小野妹子の問いに、厩戸皇子は笑って言った。

「なるほど。確かにそうですね。しかし、この一文はどうでしょうか。『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す』というのは。隋の皇帝煬帝は、たいそう気位の高い人物だと聞いています。煬帝の怒りを買っては、元も子もないのでは」

「妹子よ、外交というのはな、ときに勝負をしなければならないときがあるのだ。通常時の外交なら、適度に距離を置くことが大事だ。だが、今は勝負の時。どれだけ相手との間合いを詰められるかが重要なのだ。この一文は煬帝の怒りを買うかもしれない。だが、煬帝が愚鈍な人物でなければ、そなたらを追い払うことはあるまい。人間として、皇帝としての感情よりも、国家のことを考えるならば、な」

「つまり厩戸皇子さまはこの機を利用して、隋との地位的な差を縮めようというのですね」

「そうだ」 

「厩戸皇子さま。やはりあなたさまは特別な方です。誰も見ていないところを、たった一人で見ていらっしゃる」

小野妹子は感嘆した。まばゆそうに、厩戸皇子を見つめる。

「私は一人ではないよ。お前がいる」

「私など厩戸皇子さまの足元にも及びません」

「謙遜するな。私の言ったことを即座に理解し、意見を述べることが出来る。そのような重臣は、お前をおいては他にいないよ」

「ありがたきお言葉。この妹子、命を賭して必ずやこの書を煬帝のもとに届けます」

 小野妹子が深々と頭を下げる。

「頼んだぞ」



「面白いね! 璃茉、君文才あるよ」

 はしゃいだように言うアナンをよそに、曜子と星桂は困ったような様子で目を合わせる。

「面白いけど、小野妹子が捨て子だったっていうのは無理があるんじゃないかしら」

「小野妹子は、春日皇子の子だっていう伝承まであるんだろう? その人物をもとは捨て子だったとするのはなあ」

「聖徳太子は身分の低い女性を群臣の養女にして妃にしているでしょう。だから、同じようなことをやったんじゃないかと思ったの」

「まあいいじゃないか。小説化すると確かにわかりやすいよ。ところで、高句麗っていうのは?」

「朝鮮半島にあった国の名前よ。地理的には今の北朝鮮自治区と、ごく一部の中国が高句麗のあった場所」

「隋と倭の中間にあった国だったんだね」

「そう。他にも新羅と百済という国もあるけどね」

「この時代はなかなか難しいね」

 アナンがお手上げ、というポーズをとる。

「この時代はアジア情勢も含めて考えないといけないから。外交が活発だったのよね。江戸時代に鎖国してたのが嘘みたいよ」

璃茉が笑う。

「ほんとにね」

 曜子が相づちを打つ。

「この時代は朝鮮半島の国々との交流が盛んだったの。例えば百済から来た職人はとても重宝されたらしいわ」

「へー。占星術の知識もそうなのかな」

「だいぶ時代は下るけれど、そうね。高句麗から来た宿曜師なんかが、物語には登場するわ。それが平安時代」

「宿曜師ってのは、宿曜占星術を専門にする人?」

「そう。昔は陰陽師と人気で双璧をなしていたらしいわよ」

「それはすごいなあ」

「中国はもっとすごいわよ。シルクロードを伝って西洋占星術と、インド占星術の流れ両方の影響を受けてるんだから」

「そうか。中国って広いもんな」

 鼻高々、と言ったようすの璃茉に、アナンは気のない返事をする。

「西洋占星術とインド占星術って似てるよね」

 曜子が星桂に声をかける。

「十二の宮、十二の室を使うという点では確かに似ているな。根本的には違わない、といってもいいかもしれない。ホロスコープを使う点でも」

「ホロスコープ。自分の生まれたときの星の配置のことよね。おおまかにいうと」

「おおまかにいえば、な。皆、このあと時間あるか? 俺も聖徳太子について西洋占星術でいろいろ見ていきたいんだが」

「私は大丈夫」

「僕も」

「私も」

めいめいに返事をする。

「なら、ホロスコープが作成できるコンピューター室に移ろう」

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